第55話 運営側の苦悩
「はぁ……」
演習会の打ち合わせが終わり、クライヴはイスに背を預けて天井を見上げた。自然と口から漏れでたのは深い深い溜め息。
特務隊の副隊長に任命され、演習会の運営をするようになって早数年。こんなに心身共に疲れるのは今年が初めてだ。自由気ままに参加していた一隊員時代が懐かしい。
運営側ともなると、進行管理、安全面の確認、医療班の準備──とにかくやることがたくさんある。おかげでここ最近は、特務隊と警備隊を行ったり来たりする毎日であった。
──最後にティナの顔を見たのはいつだったかな。
ここ最近まともにティナの顔を見ていない。たまに会えたとしても、ティナはエイダの世話で忙しそうにしている。
演習会の準備は、普段の仕事に支障が出ないよう調整しなければならない。打ち合わせが早朝から行われたり、夜遅くに行われなりするのは当たり前だ。絶賛口説き中だと言うのにこれではあんまりだ。
「なんだなんだぁ。随分疲れてんな」
からかうような調子で話しかけてきたのは、警備隊の全隊長であるアルヴィンだ。アルヴィンも先程まで共に打ち合わせに参加していた。一緒に打ち合わせをしていた者達は、もう既に退室していていなくなっていた。
「はぁ……アルヴィンじゃなくてティナに会いたい……」
「んぁ? ああ、お前の番いの嬢ちゃんか」
そうか、アルヴィンはティナを見た事があった。以前、通勤デート中に遭遇した事を思い出す。
「忙しすぎてティナに全然会えない。俺とティナの邪魔をするなら、演習会なんてなくなればいいんだ」
「アホか! いいわけねぇだろ!」
「ちっ……!」
半分本気の発言であったクライヴは、忌々しげに舌打ちをした。
アルヴィンが演習会の何たるかを説いてくるが完全無視だ。普段適当なくせに変な所で真面目だから困る。アルヴィンも準備が面倒とか言っていたではないか。
クライヴの家──ウォルフォード家は、四家と呼ばれる獣人貴族だ。初代国王を支えた名家中の名家だ。対して、アルヴィンは
だが、警備隊全隊長と特務隊副隊長という役職から見れば全隊長の方が上だ。特務隊が独立機関だとはいえ、武人社会は上下関係が厳しい。それに年齢もアルヴィンの方が上だ。
ややこしい間柄ではあるが、二人はそこそこ親交が深かった。人前ではクライヴがアルヴィンを立てるが、二人しかいない今はお互い素で話している。
「ったく、レナードはどうした? 二人でやりゃいつも問題なくこなしてんだろ」
「…………この間、休みすぎたから働けとさ」
苦虫を噛みつぶしたような顔をするクライヴにアルヴィンは「は?」という顔をした。アルヴィンはクライヴが休んでいた事を知らないのだ。
愛しい番いが攫われた上に、倒れたティナが心配でクライヴは付きっきりで看病をしていた。その間、特務隊の仕事は休みを取っていたのだ。無期限で申請をしたら、レナードが快く休みを許可してくれた。
そのおかげで朝から晩までティナと共に過ごせたのだから後悔はしていない。だが、クライヴは上司であるレナードを甘く見ていた。
『休んだ分はきちんと働いて下さいね』
そう言われたのは、演習会の打ち合わせ初日の事であった。ニコリと微笑んだレナードには、有無を言わせぬ迫力があった。
無期限休暇を許可したのに『そろそろ仕事に来い』と言ってくるのはおかしいと思った。あれは演習会の準備があるからさっさと戻って来いという意味だったのかもしれない。
まぁ、そんな訳で演習会の準備はクライヴがメインで動く事となったのだ。城下から通っているレナードに代わり、早朝と夜の打ち合わせは全てクライヴが請け負っている。休んでいた約一週間、二人分の仕事をきっちり片付けてくれたのだから反論など出来るはずがない。
「そういや、あの嬢ちゃんも演習会を見に来るんだろ?」
当たり前のように聞いてきたアルヴィンに、クライヴは怪訝そうな顔で返す。
「ん? 呼んでないのか?」
「逆に呼ぶと思うのか?」
そう返せばアルヴィンが不思議そうな顔になる。人族はやたら想い人を演習会に誘いたがる。獣人族からすれば理解不能だ。
「ティナを招待して誰かに目を付けられたらどうする? 俺の番いはめちゃくちゃ可愛いんだぞ」
「あ~……そういう事か。相変わらず
「妻を溺愛して何が悪い」
「いや、お前まだ結婚してねぇだろ」
アルヴィンのもっともなツッコミに、クライヴはまたしても舌打ちをした。自分としてはティナとの結婚は揺るがない未来だ。そのために頑張って口説いているというのに。
そこでふとこのクソ忙しい日々の元凶が何なのか気が付いた。
「……よく考えれば俺がティナを口説く暇がないのは仕事のせいだよな」
「ん?」
「そうだ。仕事のせいだ。いっそ特務隊なんて辞め──」
「アホかー! お前、なんっつー事を言いだすんだ!」
クライヴの突飛な発言にアルヴィンが絶叫する。発言した本人は、うるさいとばかりに顔をしかめていた。
「仕事を辞めてもティナを養う余裕はある」
「そんな心配なんざしちゃいねーよ! 副隊長がくだらねぇ理由で辞めんなっつーの!」
「くだらないとは失礼だな。俺は仕事よりもティナの方が大事だ」
「はぁ……レナードの苦労が目に浮かぶ」
キリッとしながらとんでもない事を言うクライヴにアルヴィンが目頭を押さえた。
獣人族からすれば、番いとの時間を大切にするため仕事を辞めるのはおかしい事ではない。現に歴代の特務隊では、番いとの時間を優先して辞めていった者もいる。
「お前がこんなに色ボケするとは思わなかったぞ。お前とレナードが演習会でバカみたいに勝ちまくってキャーキャー言われても、面倒くさそうにしてたじゃねぇかよ」
「当たり前だ。番いでもない奴に騒がれても嬉しくない。俺がキャーキャー言われたいのはティナだけだ」
「へーへー。お前の頭ん中が嬢ちゃん一色なのはよーく分かったよ」
面倒くさそうにアルヴィンがひらひらと手を振る。
一方でクライヴは、ティナの事を話していたら無性に会いたくなってきた。あの華奢な体を抱きしめたい。。あのはちみつ色の長い髪を触るのもいい。ティナの髪はサラサラで指通りがいい。いい匂いもして、ついつい触りたくなる。
「……ティナに会いたい」
切実な願いを口に出すも、時刻は既に日付が変わる一時間前。こんな時間では、ティナはもう寝ているだろう。
「愛が重いな……。嬢ちゃんに同情すんぞ」
「
「俺に言うなっ!」
アルヴィンは独身だ。武人らしいがっしりした体躯に、明るく朗らかな性格。適当そうに見えても面倒見も良い。この男を慕う者は多いのに、未だ独身というのだから不思議だ。
「……そうか、お前は男にモテるもんな」
「おい、語弊があんぞ。部下に慕われていると言え」
ジロリと睨まれるが、これも無視をしておく。別にアルヴィンの恋愛事情など知ったことではない。
今は人の事より自分の事だ。そう切り替えたクライヴは、ようやく重い腰を上げた。
「よし、帰る」
「唐突だな。
「ああ。さっさと準備なんて終わらせて、ティナを口説く!」
「……ほどほどにな」
まずは、明日の朝。久しぶりにティナと一緒に朝食を食べよう。明日の予定を思い浮かべながら、クライヴは寮へと帰るのであった。
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