第54話 まさかのお誘い
「えっ、フィズさんも演習会は不参加なんですか?」
執務室の中、ティナは目の前の黒髪の貴公子の言葉に驚いていた。思わず、本を片付けていた手も止まってしまう。
「ええ。フィズは医師という扱いですからね。キャロルと同じく非戦闘員扱いなんです」
黒髪の貴公子こと特務隊隊長のレナードは穏やかな笑みを浮かべながら説明してくれた。
演習会とは、特務隊と警備隊が合同で行う恒例行事らしい。ティナは見に行くことさえ禁止されている。『ナンパされるから』という訳の分からない理由からだ。それを言ったのは、もちろんクライヴである。
獣人族の──いや、クライヴの番い至上主義には慣れたつもりだったが、これには若干呆れてしまった。なぜああも過保護なのか。
まぁ、そんな訳でティナも演習会は留守番組となっている。それでもよほど行きたいオーラが出ていたのか、レナードが演習会の話をしてくれたのが今日のことだ。ちなみにクライヴは、演習会の打ち合わせで不在にしている。
「キャロルもフィズも最低限は戦えますが、日々鍛えている警備隊が相手では手こずるでしょう。それに万が一、怪我でもされるとウチが困りますから」
確かに。キャロルが怪我をすれば、大食らいの多い特務隊は空腹にあえぐ事になるだろう。同じようにフィズが怪我をすれば、急病人が出たら大変な事になる。
「それでも二人とも戦えるんですね。ちょっと想像がつかないです」
「キャロルは草食獣ですから余計に戦闘のイメージが薄いのでしょうね。あれでも一応、街のごろつき程度なら余裕で勝てるのですよ」
「もしかして、ウサギ獣人ですから蹴りがすごいとかですか?」
「ええ、その通りです。下手をすれば相手が骨折します」
「……へ、へぇ……」
予想外の言葉にティナは苦笑いを浮かべる。
骨折させるほどの蹴りが繰り出せるのに、非戦闘員というのはおかしくないだろうか。獣人族の基準がいまいち分からない。
「フィズの方は……もう実験というか……」
突如レナードが遠い目をしながら言葉を濁した。
続きを聞いていいものか悩んだが、レナードが言葉を続けてくれた。ティナの顔に『気になる』と書いてあったのだろう。
「フィズは毒蛇が祖なので、毒物の扱いに長けています。戦闘スタイルもその毒を駆使したものです。
以前、人手が足りない際に盗賊の捕縛に行かせた事があるのですが……気化した毒物を風上から流して全員戦闘不能にしました」
「……へ?」
「麻痺毒だったのですが、何分で動けなくなるか笑いながらデータを取っていたそうです」
「そ、それは……」
「ちなみに偵察役のルークも、風下にいたため被害にあいました」
「…………」
セクシー美女が猟奇的過ぎる。そして、ルークが憐れすぎる。彼がフィズを遠巻きにするのはこの辺が原因だったのか。
「ティナ嬢。フィズが特殊なだけで、我々はきちんと分別がありますからね。そこは誤解しないで下さい」
「は、はい」
レナードの爽やかな笑みを前に、ティナは頷くことしか出来ない。
一緒に過ごしてきて、獣人族の皆が優しいというのはよく分かっている。しかし、公衆の面前でディープなキスをしてきた誰かさんは、分別があると言えるのだろうか。そこは心の中だけに留めておく事にした。
「え、えぇと……レオノーラさんやリュカ君も強いのですか?」
「レオノーラは体術だけなら警備隊の隊長クラスの実力者ですよ。リュカもまだ粗さはありますが十分強いです」
「す、すごい!」
そういえばサーバルキャットは獰猛だったと思い出す。ネコ科にしては狩りの成功率も高い種だ。強いと言われれば納得である。
キットギツネが祖であるリュカは、まだ未成年の少年だ。普段はティナを「お姉ちゃん」と呼んでくる無邪気な少年だが、やはり強いらしい。
「ルークもテオも戦えますし、ダンも強いですよ。まぁ、この三人は演習会に乗り気でないので適当に負けそうですが」
「ルークさんもですか? 結構負けず嫌いな感じがしますが…」
ティナの疑問を受けて、レナードがニコリと微笑んだ。
「流石ティナ嬢、よく分かっていますね。ですが、ルークは負けず嫌い以上に、見世物になるのが嫌なようです」
「な、なるほど……」
確かにルークなら「見世物になるつもりなどない」とか言いそうである。きっと崇拝するレナードとクライヴの面子を立てて参加するのだろう。
テオが乗り気でないのも分かる。夜行性だから昼間に活動するのが苦手なのだろう。
そして、ダンに至っては納得しかない。彼は結構マイペースだ。そして平和主義である。以前もリュカと警備隊員のケンカを仲裁した事がある。実際仲裁役をしたのはティナであったが。
「レナード隊長も参加するのですか? 確か今年は模擬戦だとか…」
「いえ、私とクライヴは運営側です。全隊長のアルヴィンや警備隊の各隊長達も運営に回ります」
「そうなんですか」
それを聞いて少し残念に思ってしまった。クライヴの戦っている姿をまた見てみたいと秘かに思っていたからだ。
クライヴの強さは目の前で見たので知っている。あの時は、怪我をしたティナを見てブチ切れたクライヴが殺しをするのではないかと怖かったが、圧倒的な強さは凄かった。颯爽と助けに来てくれた姿は今でも目に焼き付いている。
そこまで考えてはたと気付いた。なぜ自分は、あの姿をまた見たいと思っているのか。
──あ、あれ? でも、普段とのギャップがすごくかっこよかったし……いや、そもそも私は見に行けないし。
クライヴへの気持ちが変化している事にティナ自身はよく分かっていない。エイダが近寄ってきたので頭を撫でて気持ちを落ち着かせる。
「エイダも飽きてきたようですね。本棚の整理が終わったら先にお昼をどうぞ」
「えっ、あ、ありがとうございます」
演習会の話しはここまでとなった。見に行きたい気持ちはあるが、今はお昼と聞いて急かしてくるエイダの方が優先だ。
そうしてティナは仕事を再開させた。
そんな事があった数日後、ティナはプリシラに呼び出されていた。
『ティナ、貴方にお願いしたい事があるの。明日の夕方会えないかしら?』
昨日こんな手紙が届いたのだ。
ちなみに場所は室内である。伯爵令嬢であるプリシラが応接室を準備してくれたのだ。父親が城勤めと言っていたのでツテがあったのだろう。前回ルークが盗み見していたので、その対策である。
ちなみにあれはやはりクライヴに言われての事だったそうだ。クライヴには、しっかりお説教をしておいた。
「本当にエイダちゃんを見習ってほしい……」
はぁ、と溜め息をつきながら指定された一室へと向かう。
エイダには前回に引き続き、今回も留守番をお願いしている。いつもならクライヴに預けるのだが、今日は演習会の準備で不在だったので、食堂で待っているように話した。あそこなら夕飯の準備をするキャロルがいるし、腹ぺこ隊員もやってくるから寂しくないだろう。
行ってくるねと言った時のエイダときたら。しょんぼりしていて申し訳なかった。まだまだ人見知りが激しいから、一人置いて行かれると心細いのだろう。帰ったら好きなだけ本を読んであげようと心に誓う。
そんな事を考えていると指定された一室へと到着した。念のため周囲を確認するがオオワシはいない。もちろん他のメンバーも見当たらない。
ホッとしながら扉をノックする。
「ティナ!」
「プ、プリシラ様っ!?」
すぐに扉が開いたと思いきや、プリシラが飛び出してきた。その後ろではプリシラ付きのメイドのアニーがペコリと頭を下げている。
「お待たせしてしまいましてすみません」
「べ、別に待っていないわ。
プリシラのツンデレは今日も絶好調のようだ。照れを隠すようにソファへと引っ張っていかれるが、それもまた可愛らしい。
応接用のソファへ向かい合わせて腰を下ろす。
「あの、手紙ではお願いがあるとありましたが……何かあったのですか?」
「っ!」
プリシラの顔が分かりやすく反応する。どうやら言い出しにくかったようだ。
「あ、あのね……わ、
ティナは小さく首を傾げながら言葉の続きを待った。少しの間の後、プリシラが意を決したように顔を上げた。
「……わ、
「…………へ?」
まさかのお誘いにティナは数秒フリーズするのであった。
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