第53話 勉強会

 子トラ改めエイダが言葉を発してから数日。特務隊では、ほっこりするような光景が目撃されるようになった。


「これは犬だよ。い・ぬ」

「い……い、にゅ」

「こっちは猫。ね・こ」

「にゃ? ……にゅ? ……にぇこ!」

「そうそう。上手だね~」


 褒めるられたエイダがぱぁっと明るい顔になる。


 食堂で開催されているのは、ティナによる絵本の読み聞かせだ。生徒は喋れるようになったばかりのエイダだ。まだ人化の出来ないエイダは、いつものようにトラの姿でティナの膝の上に座っていた。


 教材はティナの私物の動物図鑑。絵本も準備したのだが、エイダはこっちの方がいいらしい。


 たどたどしい言葉で一生懸命お喋りするエイダは、誰が見ても文句なしの愛らしさだ。おかげでこの読み聞かせには毎回観客がいる。


「はぁ~……癒されるね~」

「何なのこの和む光景。ずっと見ていられるわ」


 本日の観客はキャロルとレオノーラだ。二人とも表情が緩みっぱなしである。


「う……?」

「ん、これ? これはウサギだよ」

「う……うしゃ……」

「ウ・サ・ギ」

「……うしゃぎー!」


 エイダの成長はなかなかに早い。やはり幼児は何でも吸収するからなのか。


「エイダちゃん、あそこにいるキャロルさんはウサギ獣人なんだよ。白いウサギ姿、見たことあるよね?」


 ほら、とキャロルの方へ視線を向けるとエイダがじっとキャロルを見つめる。その視線に答えるかのようにキャロルがひらひら手を振った。


 未だ隊員達に心を開いていないエイダは、ティナにぴとりとひっついてきた。心細かったり、不安になると、こうして寄り添ってくることが多いのだ。それでも一応視線だけはキャロルに向けられている。


「エイダ~、いい加減に僕にも慣れてよ。そんで抱っこさせて~」

「……」

「エイダ、私は? 私も抱っこしたーい」

「……」


 エイダを構いたい二人に対して、当の本人は無言だ。多分まだ抱っこは無理だろう。あっさり玉砕したキャロルとレオノーラはがっくりと項垂れていた。


 ティナが苦笑していると、食堂へクライヴがやってきた。


「レオノーラ、演習会の日程が決まったぞ。キャロルは今年も不参加で構わない」


 二人がそれぞれ返事を返す。


 演習会という聞き慣れない言葉に、ティナはエイダと顔を見合わせた。


 そんなティナの表情に気付いたクライヴが近寄ってきた。


「そうか、ティナは初めてだったな。演習会っていうのは、年に一度警備隊と特務隊でやる公開演習のことだ。今年は模擬戦が予定されている」

「へぇ、知らなかったです」

「公開演習と言っても招待客しか入れないからな」


 クライヴが説明をしながらティナの髪へ触れる。今日のティナは、はちみつ色の長い髪を一つに結い上げていた。


 最近気付いたのだが、クライヴはティナの髪をよく触るようになった。毛繕い的な感じなのだろうか。手を握られたり、頬を触られたりするよりは恥ずかしくないので好きにさせている。


 それにしても演習会とは興味深い。みんなの活躍をぜひとも見てみたい。


「あの、それって私も見に行けますか?」


 期待に満ちた目でクライヴを見上げる。エイダも行く気らしく、目を輝かせてクライヴを見ている。エイダの場合は、演習会よりもティナに付いていきたいだけかもしれない。


 二人からキラキラした目を向けられたクライヴは一瞬たじろいだ。番いであるティナの願いなら叶えてあげたい。あげたいのだが……。


「ダメだ。演習会は人が多くて危ない」

「危ないって……警備隊と特務隊の関係者じゃないんですか?」


 疑問符を浮かべまくるティナに、フォローしてくれたのはキャロルであった。


「あー、演習会はね、ちょっとした出会いの場みたいになってるんだよ。意中の子を招待したり、可愛い子をナンパしたり」

「…………え?」


 いや、そもそも演習会とは。思わず心の中で自問自答する。


「模擬戦形式だと勝ち抜いた後にプロポーズする奴とかいるわよね」

「あー、確かに。きっと今年もいるだろうね」


 逆にどんな場なのか見てみたい。演習会なのにそんなイベント化していていいのだろうか。果たして上司公認なのだろうか。


 そこで思い出したのは警備隊の全隊長だ。一度だけ会ったことがあるが、あまり細かい事を言うような人には見えなかった。


「まぁ、そういう訳だ。そんな危険な場所にティナを連れて行きたくない」

「私にそんな心配は必要な──」

「「「 あるっ! 」」」


 必要ないです、と言い終わる前に遮られてしまった。三人揃って見事なハモりである。


「ティナは自分の可愛さを分かっていない。俺が日々どれだけ忍耐を強いられているかっ!」

「子リスちゃんみたいにか弱くて可愛い子が行くなんて危険よ!」

「そうそう! エイダもトラの姿で行くのは騒ぎになるからダメだからね」


 三人の力説がすごい。特にクライヴが言っている意味が分からない。忍耐を強いた事などないのだが。


 少し気圧されながらもティナは引き下がらずに言葉を続けた。


「でも、皆さんの勇姿を見てみたいです。獣人族の方はすごく強いって聞きますし」

「ダメだ」

「ほんの少し見るだけですから。クライヴ様の戦う姿もかっこよかったですし」

「うぐっ……!」


 クライヴの心が揺れる。最愛の番いからのお願い。しかも、上目遣い。


──くっそ、めちゃくちゃ可愛いっ!


 理性と煩悩の狭間でぐらぐら揺れる。「副隊長、負けちゃダメよ!」というレオノーラのげきすら飛んでくる。


 可愛いティナを目に焼き付けたい気持ちを堪え、天井を見て数度深呼吸をして何とか踏みとどまった。


「……ティナ、悪いが我慢してくれ」

「どうしてもダメですか?」

「どうしてもだ」


 しゅんとしてしまったティナを見て、クライヴは胸を掻き乱された。罪悪感が半端ない。


「う~ん、子リスちゃんってば意外と小悪魔だね」

「葛藤してる副隊長が面白すぎるわ」


 キャロルとレオノーラの外野二人はすっかり傍観モードだ。苦悩するクライヴを見て楽しんでさえいる。


「あっ、いっそ僕が二人を連れて──っ!」


 そう提案しかけたキャロルを、クライヴがものすごい形相で睨みつける。あまりの迫力にキャロルが震え上がった。


「俺のティナを連れ出すだと? いい度胸だな」

「い、いや。子リスちゃんがどうしても見たいならと……」

「ああ、そうだ。どうせならお前も演習に参加するか?」

「えっ!? ちょっ……ぼ、僕は戦闘向きじゃないんだけど……」

「公開演習を見たいんだろう? 遠慮するな」


 微笑を浮かべるクライヴの目は笑っていない。


 ティナとしてはキャロルが同伴することで公開演習へ行けるのなら嬉しいが、とてもお願い出来る雰囲気ではない。オオカミに睨まれた憐れなウサギのためにも諦めるしかなさそうだ。


「……見てみたかったなぁ」


 小声で呟いたティナの言葉は、クライヴとキャロルの声に掻き消されたのだった。

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