第52話 可愛い声

「グ……ぐぅ……グぁう……」


 絞め殺された水鳥のような奇妙な声。それで目が覚めたティナは、部屋の隅で子トラが何かしているのに気が付いた。


「グ……ギュ……ぐ……ぐむ……」


 何かがおかしい。


 今まで聞いた事のない声を発しているのもそうだが、朝から子トラが大人しいなどあり得ない。何と言ったって、子トラの朝(早朝)の日課はティナを起こすことなのだ。


 異変を察知したティナは、慌てて飛び起きた。


「た、大変! どこか具合が悪いのかもっ!」

「グゥ?」


 ティナが起きたことに気が付いた子トラは、慌てるティナを見てキョトンとなった。その様子は健康そのものだが、気が動転しているティナは気付かない。


 子トラを抱き上げると着替えもせずに部屋を飛び出した。


「フィ、フィズさんはいますかっ!?」

「あら、おはよぉ~」


 駆け込んだ食堂では、ちょうどフィズが朝食を摂っている最中であった。


 ティナは子トラを抱えたままフィズの元へと駆け寄る。その慌ただしさに、キャロルがキッチンから顔を出した。


「あ、あの…! 子トラちゃんが変な声を出して! も、もしかして具合が悪いのかもっ!」

「あらあら、それは大変ねぇ。ちょっと診てみましょうかぁ」


 ティナから子トラを受け取ったフィズは、にんまりと口の端を上げる。それを見た子トラの顔が恐怖に歪んだ。


「ギャウーー!!」

「子トラちゃん、暴れちゃダメ!」

「ギャ! グ……グゥ……」

「うふふ、怖くないわよぉ~」


 ティナに言われて暴れるはしない子トラだが、フィズの言葉にぷるぷる震え始めた。


 もちろんフィズは子トラが震えようと容赦する性格ではない。問答無用で半泣きの子トラの目を開き、口を無理矢理開け、全身くまなく診断していく。


「ん~……異常はなさそうねぇ。変な声っていうのはどんな感じだったのかしらぁ?」

「え、えっと……喉を詰まらせたような感じで……」


 ティナの答えを聞いたフィズが子トラを見ながら考え込む。その視線に子トラがさらに震えあがる。


「……もしかして、話す練習をしてたのかもしれないわぁ」

「へ……?」

「どうかしらぁ?」


 フィズが子トラへと問いかける。


 子トラは必死にこくこく頷いていた。病気でも何でもないから、さっさと離せと言わんばかりだ。


「当たりのようねぇ。発声練習のようなものだから心配はいらないわぁ」

「発声練習……?」

「お喋りできるようになるのも、もうすぐかもねぇ」


 そう言ってフィズは子トラをティナへ返却する。


 子トラは涙目でティナにしがみついた。注射を打たれて以来、フィズの事が苦手なのだ。





 そんな事があってから、さらに数日後。


 未だに子トラは変な声を出している。フィズの元に連れていかれたせいか、こっそり練習している事が多い。


 だが、基本的に子トラはティナと共に行動しているので、練習しているのは丸分かりだ。いくら声を抑えていても、近くにいるのだから聞こえてくるのだ。時々ティナの行動を確認するような仕草は可愛いとしか言えない。


 今日も執務室で働くティナの近くには、子トラの姿があった。レナードとクライヴも書類仕事中だ。


──声は出てないけど発声練習してるよね、あれ……。


 執務室はレナードとクライヴが話す声とティナが手紙を仕分ける音くらいしかない。子トラの声は聞こえないのだが、先程から口が動きっぱなしだ。あれは確実に口パクで練習している。レナードとクライヴも時々子トラの方を見ているので気付いているのだろう。


 一生懸命なのだが、どこか抜けている。その可愛らしさに笑みを堪えながら手紙を仕分けていく。


──あれ? これは?


 手にした手紙は隣国からのものであった。宛名を見るとレナード宛だ。


「ああ、ようやく届きましたね。ティナ嬢、その手紙を頂けますか」

「あっ、はい」


 手を止めたティナに気付いたのかレナードが声をかけてきた。


 ティナは手にしていた手紙をレナードへと渡す。レナードは手紙を受け取るなり、早速開封して中身を読み始めた。


「ふむ……こちらもダメでしたか。捜索願の出ている獣人族はいないようです」

「南もか。ここが最後の頼みだったんだがな」

「一応もう少し知り合いを当たってみるとの事です」


 同じ部屋にいるため、レナードとクライヴの会話は嫌でも聞こえてくる。仕事の会話を隊員でもないティナが聞いてもいいものかと思ったが、話している内容はとても気になるものであった。


──もしかしなくても、子トラちゃんの事だよね?


 一人黙々と口パク発声練習をする子トラは、どこからか誘拐されてきた獣人族の子供だ。今は特務隊で保護という形を取っているが、家族探しは継続中である。


「困りましたね。こうも手がかりがないとは……」

「こいつの野生児っぷりを見ると、人里を離れて暮らしていた可能性もあるよな」


 クライヴに野生児と称されたように、この子トラは中々に元気いっぱいだ。


 最初は知らない場所を警戒して大人しかったが、今では色々な所を活発に散策している。庭を走り回って木に激突したり、木に登ろうとして下りられなくなったり……とにかく目が離せない。


「早く親元に返してあげたいのですが、これでは時間がかるかもしれませんね」

「せめて名前が分かればなぁ……」


 レナードとクライヴが子トラへと視線を向ける。口パク発声練習をしていた子トラは、何事もなかったのように首を傾げた。あまりの白々しさに二人が笑いを堪える。


「……グゥ」


 笑われているのに気付いた子トラが不満そうに低い声で鳴く。


 ティナは場を取りなそうと子トラの傍へとしゃがみ込んだ。数回頭を撫でてやると尻尾がゆらゆらとご機嫌に揺れ始めた。


「え、えぇと……子トラちゃん。もしかして、そろそろ名前言えるかな?」

「グゥ?」

「私はティナだよ。子トラちゃんの名前は?」

「…………」


 少しだけ子トラの口が動く。だが言葉を発する様子はない。


「まだ無理そうだな」

「気長に待ちますか。子供の成長は早いと言いますからね」


 見守っていたレナードとクライヴも仕方ないという顔になる。確かにこればかりは、子トラの頑張り次第かもしれない。


──今度絵本でも読んであげようかなぁ。


 ティナも幼い時、両親や祖父が絵本を読んでくれた。読み聞かせは勉強になるかもしれない。


 そう思った時だった――。


「…………ダ」

「えっ?」


 いつもの鳴き声とは違う声。子トラはムグムグ口を動かし、一生懸命何かを伝えようとしている。


「……エ……だ」

「子トラちゃん?」

「…………エイダ」


 可愛らしい声が執務室に響く。三人が呆気に取られている中、子トラは得意気な顔をしている。


「エイダ? もしかして、子トラちゃんの名前?」


 驚きながら尋ねると、子トラが首を上下に振って頷いた。まん丸のおめめが褒めてとばかりにキラキラ輝いている。


「すごい! 子トラちゃんが喋った!」

「グゥ~」

「エイダちゃんって言うんだね! 可愛い名前!」

「ガゥ!」


 大好きなティナに褒められて、子トラはとてもご満悦だ。頭を撫でられても物足りないと抱っこをせがんで甘えている。


「エイダ、ですか」

「エイダ。お前の家族についても何か分からないか?」

「ガゥ! グゥ……ガゥ! ガーゥ!」


 クライヴの問いに返ってきたのは、いつもの鳴き声であった。一応何かを説明しているような感じではある。


 お喋りが出来るようになるには、まだまだ時間が必要そうだ。

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