第49話 寮生活初日
──なんか、フワフワする。
自分の布団はこんなに肌触りが良かっただろうか。そういえば、前にもこんな事があったような気がする。
ティナは、ぼんやりしながら重い瞼を持ち上げた。寝起きでだからか視界が定まらず、黄色と黒しか見えない。
──んっ? 黄色と黒?
「ガーウ」
目の前にあったのは子トラの超どアップであった。吐く息の生温かさが伝わってくるほどの至近距離だ。
幼いとはいえトラは猛獣。この子は獣人族なので人を襲うような事はしない。そうは分かっていても起き抜けに猛獣のどアップは心臓に悪い。
「お、おは……よう……」
「ガゥ!」
驚いたのを隠すように挨拶をすれば、とても元気な挨拶が返ってくる。鼻と鼻を合わせる挨拶も忘れてはいない。
カーテンが閉められたままの窓へと視線を向ければ、多少明るくなってきているが、まだ薄暗さの方が
「そっか、トラは
薄明薄暮性とは、明け方と夕暮れに活動が活発になる事を言う。
トラは暑さに弱いとされ、基本的には日中はあまり動かない。夏真っ盛りの今は余計にそうだ。それ故、少しでも気温の下がる今の時間は元気のようだ。
子トラを見やれば、縞模様のしっぽがゆらゆらと揺れている。これは「遊ぼう」という意味だろうか。
寮生活一日目を恐怖の寝起きドッキリからスタートさせたティナは、朝から元気いっぱいの子トラを撫でてから手早く着替えを済ませた。それから部屋を出て食堂へと向かう。これだけ早い時間に起きたのだから、何か手伝おうと思ったのだ。子トラもティナの後をてちてち付いてくる。
「おはようございます」
「あれ、早いね? ああ、そこのチビ助に起こされたのか」
案の定、キャロルは既に朝食の準備に取りかかっていた。子トラは人見知りを発揮してティナの後ろへ隠れてしまう。
「今作るからちょっと待ってて~」
キャロルは女性関係がだらしないチャラ男だが、料理に関しては至極真面目だ。朝昼晩と皆の食事を準備するだけでなく、個別の好みに対応するというきめ細かさまである。そのどれもが絶品だからすごい。
だが、今回は手伝いに来たのだ。今まで休んでいた分も働かなくてはいけない。
「あの、朝食は後でいいです。何かお手伝いします」
「いいの? それじゃ、皿洗ってもらってもいい?」
「はい」
キャロルの視線を辿って流しを見れば、使用済みの調理器具が山となっていた。料理をして、これらを洗って……それをいつもこなしているのだから、やはり働き者だ。チャラ男だが。
ティナは、足下でキャロルをチラ見する子トラへと向き直った。
「子トラちゃん、キッチンは危ないから入っちゃダメだよ。ここで待っててね」
「……グゥ」
「遊ぶのはまた後でね」
嫌々そうながらも子トラがコクリと頷いた。
少しの罪悪感を感じながらキッチンへと入る。子トラは、言いつけ通りキッチンには入らず食堂との境でお座りをしていた。どうやらここで待機するようだ。
「あはは、すごい懐かれてるね。ネコ科って気まぐれな奴が多いのに、あれは忠犬って感じじゃん」
「まだここに慣れてないだけですよ。知らない場所で心細いのかもしれません」
子トラの熱い視線をビシバシ感じながら、ティナは腕まくりをした。食器洗いは、バイトしていた下町の食堂でもよくやっていた。
いざ洗い始めると、調理器具に混じって食器がいくつかあった。
「あれ、もう誰か食べ終わったんですか?」
「副隊長だよ。ついでに僕も一緒に食べたけど」
「えっ? クライヴ様、もう仕事に行かれたんですか?」
「なんか警備隊と約束があるらしよ。多分隊長も行ってるんじゃないかな」
「こんな朝早くから……」
やはり隊長副隊長ともなると相当忙しいようだ。それなのにティナの世話をするためだけに休みを取っていたとは恐縮である。
──なにかお礼しないと……。
クライヴだけでない、特務隊の皆にもお礼をしたい。昨日のパーティーで知ったが、レオノーラやリュカもティナの救出へ駆けつけてくれたそうだ。
お菓子を作るのはどうだろうか。それとも別の物がいいだろうか。
「……まっ、事件の聴取だなんて子リスちゃんには言えないよね」
ポツリとしたキャロルの呟きは、肉を焼く音に掻き消されたのであった。
◆◆◆◆◆◆
警備隊の一室。簡単な聴取に使われるこの部屋は、簡素なイスとテーブルがあるだけの質素な部屋であった。
レナードとクライヴの向かいには、警備隊全隊長のアルヴィンと聴取を担当する者、その後ろにも聴取員が立っていた。
「……なんで貴方までいるのですか、アルヴィン」
「クライヴが被害者の代わりに来るっつーんで、俺が仲介役を買って出たんだよ」
ニカッと歯を見せて笑うアルヴィンとは対照的に、聴取担当者は気まずそうだ。
それもそのはず、本来であればこの聴取は誘拐事件の被害者であるティナと子トラが呼ばれていた。それに待ったをかけたのがクライヴであった。
ティナは、ただでさえ誘拐されて怖い思いをしたのだ。その時の事を思い出させるなんてとんでもない。ついでにこんな男所帯に連れてきたくもない。
そんな訳でクライヴが代わりに聴取する事になったのだ。ちなみにティナには一切伝えていない。
「何が仲介役だ。俺がティナの代わりに聴取に応じるとは事前に通達しているはずだ」
「だからそれが前代未聞だっつの。何で被害者じゃなくて、犯人ぶちのめした奴の聴取をしなきゃならねぇんだよ」
「ティナからは攫われた際の状況など聞いている。俺で充分だろう」
「だーかーら、お前が聞くんじゃなくこの場で話を聞かせてくれっての。見ろ、こいつの困った顔を」
アルヴィンに肩を叩かれた聴取員が気まずそうに目を伏せた。どう見ても困惑している。
一応クライヴ──いや、獣人族が番いを大切にする性質なのは、警備隊側もよく知っている。なので、クライヴが同席するだろうとは思っていた。だが、まさか被害者本人と全く会えないのは予想外だった。
「ったく、本当
「却下だ」
「即答かよ」
「ティナをこんな野郎臭い所に連れてこれるか」
「お前な……そっちが本音だろ」
「俺の可愛いティナに惚れる奴がいたらどうする? うっかり喉元食い千切るかもしれん」
真顔で危険極まりない事を言い放ったクライヴに、その場がシンと静まり返る。オオカミがそんなことを言うとシャレにならない。
「と、まぁ……そういう訳で聴取はクライヴにして下さい。構いませんよね?」
場にそぐわぬ柔らかな笑みを浮かべたのは、レナードだ。笑顔なのに有無を言わせぬ圧力を感じさせる。
「相変わらずお前の笑みは胡散臭いな。ったく、こんな早朝から聴取しなきゃなんねぇなんて可哀想だと思わねぇのか」
「この時間を指定してきたのはそちらでしょう。どうせ貴方に合わせたのでは?」
「んぁ? そういえば夜勤明けだと助かるとは言ったな」
「…………」
「いやー、まさかOKになるとは思わなくてよ」
あっはっはっ、と笑うアルヴィンに全員が胡乱な目つきになる。やはり全員がこの時間に違和感を感じていたらしい。
「とりあえず、聴取を始めてもらえるか?」
そう切り出したクライヴは、どこか機嫌が悪そうだ。さっさと終わらせたいというのが顔に出ている。
「そ、それでは、誘拐された時の状況から……」
こんなに気まずくて緊張する聴取は今までに体験したことがない。聴取員はキリキリと痛む胃痛を感じながら聞き取りを開始するのであった。
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