第41話 救出劇
「呼んだか、ティナ?」
自分の名前を呼ぶその人に、ティナはすぐ言葉を返すことが出来なかった。
──えっ……クライヴ様?
オオカミの群れによる襲撃からの急転直下。状況がさっぱり飲み込めないティナは、瞬きを忘れて呆然とした。
バタバタと風にはためく幌の向こうでは、オオカミの唸り声や犯人の怒声が聞こえてくる。クライヴはそれに構うことなくティナの元まで来ると、その温もりを確かめるかのように強く抱きしめてきた。
「見つかって良かった」
「クライヴ様……く、苦し……」
「グルルルッ」
感傷に浸れたのはほんの僅かであった。感極まったクライヴの腕の力が強過ぎて息が苦しい。必死に背を叩いて訴えるも力は弱まらない。
ティナの腕の中にいた子トラなどもっと苦しそうだ。低い唸り声を上げて、今にもクライヴへ噛みつきそうな勢いだ。
「何だこいつ? トラ?」
「ガウッ!」
「こ、子トラちゃん! クライヴ様は悪い人じゃないよ。大丈夫だから、ね?」
「……グゥ」
ティナが宥めると子トラはピタリと唸るのをやめた。どうやらティナの言う事は聞いてくれるようだ。それでも顔はムスリとしている。
「こいつも捕まってるのか。ティナ、そのままそいつを抱えていろ。とりあえずここから降りるぞ」
「えっ……?」
「このままだと横転するだろうからな」
言うが早いか、クライヴはティナを横抱きに抱き上げた。人一人と子トラ(鉄球付き)を抱き上げたというのに、平然としている。
「少し揺れるぞ」
「え……ちょっ――ひゃあ!」
そう言うなりクライヴはためらいもなく走行中の馬車から飛び降りた。まさかの行動に、ティナは子トラをしっかり抱きしめた。子トラも「ミギャッ」と悲鳴を上げ、爪を立ててティナにしがみついてくる。
ふわりとした浮遊感は一瞬で、すぐに着地の衝撃が襲う。
クライヴはティナ達を抱えたまま見事に着地を決めたのだ。転ぶこともなく衝撃も最小限。もちろんティナ達を落とすこともない。強靱な肉体を持つ獣人族とはいえ、規格外過ぎる。
──び、び、びっくりした……。
心臓がバクバクし過ぎて破裂するのではないかという程うるさい。普通走行中の馬車から飛び降りれば大怪我では済まない。というか飛び降りるなど考えもしない。
「ティナ、大丈夫か?」
「は、は、はい……」
蒸し暑い幌馬車から外へ出たからか、吹き抜ける風が心地良い。そのおかげで少しは落ち着きを取り戻す事が出来た。
──ほ、本当に助けに来てくれたんだ……。
助け出された実感と共に、じわじわと胸の内から何かが込み上げてくる。泣きたいような笑いたいような気持でクライヴを見つめていると、突然クライブが眉間にシワを寄せた。
「クライヴ様?」
「血の匂いがする」
「えっ?」
「どこか怪我をしたのか?」
「えっと……あっ! 馬車の中で頭を打った時の!」
あれか、と思いこめかみを触ってみた。ぬるりとした感触に驚いてその手を見ると、指先が血で濡れていた。
その瞬間クライヴの雰囲気が一変する。あまりの迫力にティナは「ひえっ」と小さな悲鳴を上げた。子トラなどプルプル震えている。
「あ、あの……こ、これは……」
「あいつら、よくも俺のティナにっ! ルーク!」
クライヴはティナをそっと下ろした後、上空を見上げて大声で叫んだ。
クライヴの呼びかけに応じて、上空で旋回していたルークが地面へと降りてくる。ルークがいた事に気付いていなかったティナは、オオワシの滑空に少し驚いてしまった。
「ティナを守っていろ。傷一つ付けるな」
「承知しました」
ピシリと背を伸ばしたルークを見届けると、クライヴは怒気を身に纏ったまま幌馬車の方へと歩き出した。
いつの間にか幌馬車は一台が横転し、もう一台がそれに突っ込むような形で止まっている。もうもうと土煙が上がり、それらを取り囲むようにオオカミの群れが唸り声を上げていた。
「あー……小娘。その……目を瞑っていた方がいいぞ」
「ルークさん。あ、あのクライヴ様が……オオカミも……犯人は武器も持ってるのに……」
いくらオオカミ獣人とはいえ、牙を剥く野生のオオカミの群れに丸腰で向かうなど危険すぎる。しかも、武器を所有した犯人達は全部で六人もいるのだ。
ティナがハラハラしている内にもクライヴは幌馬車へと近付いていく。オオカミとの距離もどんどん近くなる。
そして、一番近くにいたオオカミがクライヴの方を見た。それと同時にクライヴがスッと右手を挙げる。
「…………え?」
ティナは我が目を疑った。
クライヴが手を挙げた瞬間、オオカミ達が一斉に後ろへ下がったのだ。まるで獲物──この場では犯人──を譲るように。
「小娘、我らは祖となる動物とは簡単な意思疎通が出来る。あのオオカミはお前の救出のために、副隊長が近くの森から呼び寄せたものだ」
それを聞いてティナもようやく思い出した。獣人族は祖となる動物と意思疎通が出来る──つまり、あのオオカミは味方という事らしい。
「あ、あの……それでも犯人達は武器を持っています。人数だっておお……へっ?」
ティナはまたもや我が目を疑った。丸腰のクライヴが危なげない動きで犯人達と交戦を始めたのだ。
ナイフが振り下ろされればヒラリと躱し、殴りかかろうとする犯人には強烈な蹴りを喰らわせる。一対多数だというのにまったく危なげのない戦いぶりだ。
「おい、見ない方がいいと言っただろう。今の副隊長は大層お怒りなのだ」
「えっ、なぜ?」
「馬鹿者が。お前が怪我をしたからに決まっているだろう」
「私?」
そういえば、クライヴはティナが怪我をしたのを見て態度が一変した。でもこれは直接犯人に傷付けられたのではなく、馬車の揺れで頭を打っただけなのだが。
「番いであるお前を攫った上に、怪我までさせたんだ……奴らは終わったな」
誇らしげに語るルークにティナは青ざめた。まさか息の根を止めるつもりなのだろうか。いくら誘拐犯だろうと殺しはまずい。
「と、止めないと!」
「なぜだ? 副隊長のお怒りはもっともだろう?」
オオワシ姿のルークが首を傾げる。
その間にも、幌馬車の方からはドカッとかゴスッとか大変物騒な音が聞こえてくる。ちらりとそちらへ視線を向ければ、クライヴが蹴りで犯人を吹っ飛ばしていた。
思わず「ひぇ」と情けない声を漏らした時、サッと黒い影が頭上を横切った。反射的に上を向くと、見知ったトラフズクの姿があった。
「ルークの阿呆! 副隊長止めんとダメやろ! 番いちゃんが怯えとるやんか!」
「えっ? あ、テオさん!」
「とりあえず自分が副隊長止めてくるんよ。安心してーな」
無音で羽ばたいたテオは、そのままクライヴの元へと飛んでいった。なんて頼もしいトラフズクだろう。
遠目に見守っていると、テオがクライヴの上を旋回しながら何かを言っていた。それに対してクライヴが言い返している。会話をしながらも犯人を締め上げているから怖い。
──うぅ、ごめんなさい。怪我して本当にごめんなさいっ!
自分の無力さに心の中で全力で謝り倒す。お願いだからクライヴが警備隊の世話になるような事態だけは避けたい。
やや間を置いて、ようやくクライヴが動きを止めた。どうやらテオが説得に成功したらしい。
「良かった……」
「副隊長があんな奴らに負けるはずがなかろう」
フンと鼻を鳴らすルークに「クライヴが殺しをしそうで怖かった」とは言えなかった。番い至上主義という意味を身をもって体感してしまった。
ホッとしたのも束の間、突如として激しい目眩に襲われた。
「あれ……?」
「ティナっ!」
ふらりと体が傾ぎ、意識が遠のくような感覚に襲われる。そんな中、焦ったクライヴの声が聞こえた気がした。
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