第40話 オオカミの群れ
王都を出たクライヴは、すぐに荷馬車を追うかと思いきや、街道を逸れて一旦森へと入った。素早く周囲に人がいないのを確認し、オオカミの姿へと変化する。こちらの姿の方が圧倒的に早いからだ。
着ていた隊服は都合良く消えたりなどしない。獣化と同時に地面に落ちてしまっている。咥えて持っていくと速度が落ちる。あとで人化した時に着るものがなくて困りそうだが、一刻を争ういまはやむを得ない。
服を置き去りにし、街道が見える位置まで移動する。街道は旅人や商人の姿がちらほらと確認できる。この姿で街道を駆け抜けたら、ちょっとした騒ぎになりそうだ。クライヴはこのまま森の中を駆け抜けることに決めた。
軽やかに木々の合間をすり抜け、足場の悪い岩場を飛び越える。
一般的なオオカミなら、全速力で走れるのは20分程だ。しかし、そこは獣人族。普段から鍛えているので持久力はそこそこある。クライヴは速度を落とすことなく走り続けた。
途中、荷馬車や幌馬車を見つけては、鼻をひくつかせて匂いを確認した。ティナの匂いがしないと分かれば、また全速力で駆け出す。
──ティナ……ティナ! 無事でいてくれ……っ!
焦燥感が胸を締め付ける。
やっと見つけた愛しい番い。その唯一無二が失われるかもしれない。
──絶対に助け出すっ!
誓いを胸にスピードを更に上げる。そんな時、バサリという大きな羽音が響く。
「副隊長、この先に怪しい馬車が二台おります」
併走するようにやって来たのはオオワシ獣人のルークだ。大型の猛禽類であるルークは、羽を広げると2メートルにもなる。森の中ではその巨体が邪魔なのか、少々飛びにくそうにしていた。
「ティナの姿はあったか?」
「幌がかけられているので不明です。副隊長の嗅覚で御判断頂けたらと」
「分かった。この先だな」
「ちょっ……ふ、副隊長っ!」
クライヴが更にスピードを上げ、ルークが慌てた声を上げる。振り切られまいと、ルークは一度大空へと高度を上げた。
ちなみにこの時、ルークが足で何かを掴んでいたのだが、クライヴは走るのに夢中で気付いていない。
クライヴは街道が見える小高い丘へと出た。その足元にはルークの言った通り、二台の幌馬車が走っている。距離としてはかなり離れている──それでも嗅覚の良いクライヴは確信を得た。
──あれだ! 前の馬車……あそこにティナがいる!
愛しい番いの匂いを察知したクライヴは、大きく息を吸い込むと高らかに遠吠えをした。
◆◆◆◆◆
ウオォォーーーン!
とおぼえがきこえる。このこえは「オオカミ」とかいうやつだ。もりできいたことがある。
アォーーン!
ウォーーン!
オオカミのなかまかな? いち、にー、さん……たくさんいる。
ピュイィーーー!
トリのこえだ。トリはまるくてちいさいのとか、おおきくてめがこわいのとかいろんなのがいるってははうえがいってた。
ヒトはきらい。
ヒトはこわい。
でもこのヒトはこわくない。おみずとたべものもくれた。やさしくてあったかくていいにおいがするんだ。
ははうえ、ちちうえ……あいたいよ……。
◆◆◆◆◆
あれから幌馬車はまた走り出していた。正確には分からないが、再び走り出して一時間以上は経過しているだろうか。
王都の石畳とは違い、街道はそこまで整備されていない。ガタゴトと揺れる馬車の振動が直接体へと伝わってくるのは結構辛かった。それでも横に転がされていた時と比べれば、今は木箱に背を預けているので大分マシな方だ。お尻が痛いのだけは我慢するしかない。
そんなティナの膝の上には丸くなって眠る子トラが一匹。先程から耳がパタパタ動いているので、もしかしたら起きているのかもしれない。
子トラの後ろ足は鎖で繋がれ、その鎖は鉄球と繋がっている。鎖の長さは1メートル足らずで、これが子トラの自由を奪っていた。
ティナは子トラの背中をゆっくり撫でた。幼獣特有のふわふわの毛は、とても触り心地がいい。きっと自分一人だったら心細くて泣いていたかもしれない。小さな子トラはティナの支えとなっていた。
──確か、犯人は「国境」がどうとか言ってたよね。あとは「売る」とも言ってたっけ。
それは、先程停車していた時に聞こえてきた犯人達の言葉だ。会話の内容から推察するに、ティナ達を売るつもりらしい。
人身売買など、今やほとんどの国が禁じている。とは言っても、それは表向きだけだ。いまでも裏では平然と人の売り買いが行われている。
さらに、一部の国では獣人族の迫害が未だに続いていた。人族よりも力のある獣人族は忌避されがちなのだ。見目麗しい者が多いだけに愛玩奴隷にされる事もあるらしい。
──まぁ、私は人族だから労働奴隷だろうけど。
自分の容姿は自分が一番分かっている。小柄なせいで子供扱いされるような奴を買おうとする物好きはいない。小間使いとかそんなとこがせいぜいだ。家の前に荷馬車がいたから待ち伏せされたのかとも思ったが、狙われるような心当たりもない。
それにしても、我ながらこんな状況だというのに随分と落ち着いている。どうやら自分は図太い神経の持ち主のようだ。思わず自嘲気味に笑ってしまう──その時だった。。
何かが聞こえたような気がして、ティナはハッと顔を上げた。
──動物の声……?
耳を澄ませると馬の蹄と荷馬車の音の他にす何かが聞こえてきた。いつの間にか子トラも目を開けてじっと幌の外を見つめている。
ウオォーーーン!
「ちっ! なんでこんなところにオオカミがっ!」
「クソッ!」
遠吠えらしき獣の声がした直後、幌越しに聞こえてきたのは犯人達の焦った声。それと共に馬の嘶きも聞こえてくる。
──オ、オオカミっ!?
一瞬クライヴが助けに来てくれたのかと期待を抱く。しかし次の瞬間、幌馬車が激しく揺れた。オオカミに興奮した馬が勢いよく走り出したのだ。
「きゃあっ!」
バランスを崩したティナは、激しく床に叩きつけられた。受け身を取り損ねて頭を強打してしまう。激しい痛みに、すぐには起き上がれなかった。
「ガウッ! クゥン……クゥ……」
「だ、大丈夫……」
ティナを心配してか、子トラがか細い声でクンクン鳴き出す。頭を撫でてあげるも、すぴすぴ鼻を鳴らして悲しげに鳴いていた。
その間にも幌馬車は激しく揺れ続ける。体が飛び上がる度に、床や木箱に叩きつけられる。ティナは子トラを守るように抱きしめると体を丸めた。
「オオカミの群れだ!」
「スピードを上げろ! 止まったら終わりだぞっ!」
ガタンゴトンと激しく上下左右に揺れる中、犯人達の慌てた声が聞こえてくる。その言葉にティナも驚愕した。
オオカミと聞いてクライヴが助けに来てくれたのだと思ったが違ったようだ。野生のオオカミなどお呼びではない。万が一、荷馬車から振り落とされたら食い殺されかねない。
「クライヴ様っ!」
恐怖から思わずクライヴの名が口からこぼれた。
そんな時であった、バサリと幌が上げられ光が差し込む。オオカミが入ってきたのかと思い、心臓が嫌な音をたてる。
「呼んだか、ティナ?」
耳に馴染んだその声に、ティナは顔を上げた。そこにいたのは、悠然と微笑むクライヴであった。
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