第38話 誘拐事件
全速力でティナの住む部屋までやって来たクライヴは、数人が集まっているのを見つけた。
「警備隊に言いに行った方がいいんじゃないかしら?」
「そうだねぇ。何かあったかもしれないし……」
聞こえてくるのは困惑したような声。不審に思ったクライヴは、集まっている人へと声をかけた。
「すみません。何かあったのでしょうか?」
クライヴの声に集まっていた人達が振り返る。女性が三人。奥様方の集まりのようだ。その内の一人――初老の女性には見覚えがあった。
彼女は確かティナの部屋の管理人だったはず。以前、王都デートでティナを迎えに来た際にも顔を合わせている。管理人もクライヴを覚えていたらしく、ハッとした表情に変わる。
「あんた、ティナちゃんの職場の……!」
「はい。その節はどうも」
急く気持ちを堪えて丁寧な態度を心がける。特務隊の制服は着ているが、こちらが不審者と思われては大変だ。
「ねぇ、ティナちゃん職場に行っているかい?」
管理人の声は、どことなく重苦しい雰囲気があった。先程聞こえてきた会話と不安そうな管理人達の表情。それだけでティナに何かあったのだと察した。
「彼女に何かあったのですか?」
クライヴの言葉に女性三人が顔を見合わせた。それぞれが困惑した表情を浮かべている。話してもいいのか悩んでいるのかもしれない。
そう考えたクライヴは、ご婦人方の警戒を解くべく礼儀正しく頭を下げた。
「俺は特務隊の副隊長を務めるクライヴと言います。ティナは俺の大切な人です。彼女に何があったか教えていただけますか?」
クライヴがそう名乗ると三人はようやくホッとした表情を見せた。副隊長という肩書きが効果的だったようだ。
おそるおそるだが、管理人の女性が手に持っていた物を見せてくれた。
「朝、いつものように掃除をしていたらこれが落ちてたんだ」
「これは?」
「ティナちゃんの部屋の鍵さ。スペアはあたしが持ってるからこれはティナちゃんに渡した方なんだよ」
スンと匂いを嗅げば、確かにティナの匂いがした。
「近くにパンやら野菜やらも散らばっててさ……」
「いつもなら、あたしが掃除してる時間にティナちゃんが仕事に行くんだ。元気に挨拶をしてくれて……それなのに今日は会ってないんだよ」
「部屋のベルを鳴らしても出ないから心配でね」
話しを聞きながらクライヴは周囲の匂いを確認した。明け方に降った雨のせいで匂いが薄れてしまってかなり分かりにくい。焼きたてのパンの匂い、洗濯物の匂い、庭先の花の匂い……それらに混じって微かに何かが匂う。
──これは……例の薬?
なぜここに。以前来た時にはなかった匂いだ。それに、獣──馬の匂いもする。こんな住宅街に馬の匂いなどおかしい。
すると、一人の女性が声を潜めて管理人に話しかけた。声を潜めようと獣人族のクライヴにはまる聞こえだ。
「もしかして……昨日の荷馬車が怪しいんじゃ……」
「荷馬車? 何か心当たりでも?」
クライヴの問いに女性が気まずそうに目を泳がせた。管理人に促されてようやく口を開く。
「昨日の夕方くらいからここに荷馬車が停められてたんだよ。長い間停まってたから不思議で……」
「確かにここに荷馬車が来るのは不自然だな」
「ここは細い道だから、普段は荷馬車なんて通らない。もしかしたら道に迷ってただけかもしれないけど……」
「いや。貴重な情報、感謝する」
そう言うと、女性はホッとした顔をみせた。関係のない情報だと思い言いにくかったのかもしれない。
今までの情報から素早く頭を働かせる。
馬の匂いがした事からも荷馬車がここにいたのは間違いない。ティナがその荷馬車によって連れ去られたと仮定したらどこへ行ったのか。確かこの道の先にあるのは、王都を出る門だ。あの門を出たのなら、次の街までほぼ一本道。
そこまで一気に予測したクライヴは、頭上に向かって大声を上げた。
「ルーク!」
「はい、副隊長」
屋根の上から顔を覗かせたのは、オオワシ姿のルークだ。管理人達は大きなオオワシ──しかも、喋る鳥に口をあんぐりと開けて驚いていた。
「至急、隊長の所に戻って状況報告を。それが済んだら、この先の街道を走る荷馬車を追え。念のため、テオには他の街道の確認へ向かわせろ」
「承知しました」
短い返事をすると、ルークは大きな羽を広げて空へと飛び立った。
管理人達は空を見上げたまま唖然としている。彼女達が驚くのも無理はない。オオワシは、翼を広げると2メートルを軽く越えるのだ。
「では、俺もこれで失礼します。貴重な情報をありがとうございました」
そう言ってクライヴは、管理人達の返答を聞く前に猛スピードで走り出した。
◆◆◆◆◆
──あ、暑い……。
今の季節は夏真っ盛り。幌がかけられているので直射日光は避けられているが、風通しは最悪であった。時間と共に荷馬車の中の温度はグングン上がり、ティナは茹だるような暑さに喘いでいた。
もっふもふの毛皮に覆われた子トラなど、もっと辛そうだ。だらんと横たわって浅い息を繰り返している。
──そういえば、獣化したクライヴ様も暑そうにしてたなぁ。
思い出すのは初夏。
木陰でブラッシングをしていても、大抵クライヴは口を開けてハカハカとしている。人化している時はそうでもないのだが、オオカミの姿になると暑いらしい。そういえば、オオカミの体温は約40度とかなり高いときいた。オオカミ獣人のクライヴにとって、夏はツライ時期なのだろう。
──子トラちゃんにお水飲ませてあげたいけど……。
トラに限らず大体の動物は、人と違って汗をかいて体温調節をする事が出来ない。手っ取り早く体温を下げるのに一番いいのは水浴びだ。
しかし、誘拐されたこの状況で犯人が水浴びなどさせてくれるはずがない。それならせめて水だけでも飲ませてあげたいと思うのだが、荷馬車は未だにノンストップで走り続けていた。
──それにしても、どこに向かってるんだろう。
外を覗こうにも身動きが出来ない。何度か起き上がろうとチャレンジはしたが、ガタゴトと揺れていては無駄であった。
──クライヴ様……。
どうにか気付いて欲しいと祈るように、胸元にあるネックレスを服の上からギュッと押さえる。そこにあるのは、クライヴからプレゼントされた犬のチャームだ。無くさないようにチェーンをつけてネックレスとして身に付けていた。
きっとクライヴなら気付いてくれる。根拠はないが何となくそう思えた。
キス事件に始まり耳舐め、指舐め──かなり問題な行動もあるが、クライヴの気持ちが真剣な事は分かっている。仕事に真面目で優しい人だというのも知っている。番いであるティナを過剰なくらい大切にしてくれる事も……。
──大丈夫。きっと大丈夫……。
言い聞かせるように何度も心の中で呟いた。不安と心細さから目が潤み視界がぼやけていく。泣いてたまるもんかとギュッと目を瞑った。
どのくらいそうしていただろうか。荷馬車の速度が緩やかになっていくのを感じた。予想通り、しばらくして馬の嘶きと共に荷馬車が完全に停止する。
御者台から人が降りる音、それにより荷馬車が軋む音。さらに耳を澄ますと、後方からも荷馬車が止まる音が聞こえた。そして、数人の男達の話し声。
──犯人は二人だけじゃない…?
途中で聞こえた会話から二人だと思い込んでいただけに愕然とした。二人なら隙をつけば逃げられるかと考えていたが、これでは子トラを連れて逃げるなど出来そうにない。
ぐるぐると考えを巡らせていると、足音が近付いてきた。ドクンと心臓が嫌な音を立てる。
「この暑さでへばってねぇか?」
「売る前に勘弁しろよ。まだ国境はずっと先なんだぞ」
「わーってるよ!」
バサリと幌が上げられ、光が一気に荷馬車の中を照らす。
「よぉ、生きてるか?」
そう言って男はニヤリとした笑みを浮かべた。
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