第37話 荷馬車の中

 ガタンッ!


 荷馬車が大きく跳ねた衝撃でティナは目を覚ました。


──……ここは……?


 頭がぼんやりして思考が定まらない。ガタゴトという揺れと車輪が回る音が耳に届く。目を凝らせば、薄暗い中に木箱などの積み荷が目に入った。


──荷馬車の中……?


 どうやら薄暗いのは幌がかけられているからだったらしい。それにしても、なぜこんな所にいるのだろうか。


 起き上がろうとして異変に気付いた。両手が体の前で縛られているではないか。


──そうだ! 羽交い締めにされて、何かを嗅がされて……。


 ようやく意識を失う前の事を思い出す。あの時、嗅がされたのは眠り薬か何かだったのか。そうなると、自分は拉致されたということか。


 状況を把握したティナは青ざめた。


 なぜ自分が狙われたのか。これからどうなってしまうのか。言い知れぬ恐怖と不安が一挙に押し寄せる。


──ど、どうしよう……に、逃げなきゃ。そもそも今どこを走ってるの?


 こうしてガタゴト揺れるということは、荷馬車が動いているという事だ。耳を澄ませてみるも、王都の喧騒は聞こえてこない。既に王都から出てしまっているのかもしれない。


──ど、どこかに手がかりは……。


 見える範囲には何の情報もない。何とか起き上がろうと試みても、馬車の揺れのせいで無理だった。

 

 そんな時、ふいにどこからか視線を感じた。見回してみても、木箱や麻袋くらいしか見当たらない。気のせいかと思った時、積み上げられた木箱の影に一対の光る目があることに気が付いた。


 動物好きのティナには、黄色く光るその目が危険な生き物だとすぐに分かった。こんな狭い所で会うはずがない生き物。黄色の瞳──それは肉食獣の特徴でもあった。


──ひっ……!!


 自分は今、両手を縛られている。足は自由だが、狭い荷馬車の中で起き上がることも出来ない。こんな状況で襲いかかられたらひとたまりもない。恐怖から額を冷たい汗が流れる。


 浅く息をしていると、ガタンという大きな音と共に荷馬車が大きく跳ねた。


 体を床に叩きつけられたティナは、痛みから小さく呻く。体を丸めるようにして痛みに耐えていると、顔にモフっとした感触がした。


 驚いて顔を上げると、すぐ目の前に先程の獣がいるではないか。ヒゲが肌をくすぐり、ふんふんとティナの匂いを嗅ぐ音が間近に聞こえる。


──た、食べられるっ……!


 ぎゅっと目を瞑り、そう思った。


 しかし、一向に痛みは襲ってこない。聞こえてくるのは、ふんふんとティナの匂いを嗅ぐ音ばかり。


 おそるおそる目を開けると、獣はまだティナのすぐそばにいた。しきりに手の匂いを嗅いでいる。


──この子……トラ?


 黄色い毛並みに黒い縞模様。特徴的な毛並みを見間違えるハズがない。サイズ的には中型犬と小型犬の間くらいだろうか。おそらくまだ子供だろう。トラの後ろ足には鎖のような物も見えた。


「あなたはどこかぶつけなかった?」


 声量を落としてそう話しかけると、子トラは匂いを嗅ぐのをやめて顔を上げた。幼獣特有のまん丸の目がティナをじっと見つめてくる。


──この子……敵意はなさそう。


 伊達に長年動物観察をしてきてはいない。獲物を襲おうとする獣の目は、もっと鋭くギラギラしているものだ。


 ティナは子トラへと優しく話しかけた。


「あなたも捕まっちゃったの?」

「…………」


 もちろん子トラが答えるなんて思ってもいない。獣化した獣人族なら動物の姿でも話すことが出来るが、目の前にいるのは普通のトラの子供だ。案の定、子トラはティナをじっと見つめるだけ何も答えなかった。


 ティナと子トラが視線を絡ませ合っていると、突如男達の声が聞こえてきた。


「ちっ! 道が悪ぃな……くそっ!」

「雨上がりだからな。ったく、ツいてねーぜ」


 子トラは男達の声がした途端、ぴゃっと木箱の陰に隠れてしまった。


──雨上がり? 私が帰る時は晴れてたけど。


 屋台街で夕食を買っていた時は晴れていた。見上げた空にはキレイな三日月があったのを覚えている。


 幌の隙間からは光が射し込んでくる。そうなると既に夜は明けているという事だ。普通に考えれば翌朝以降というところだろう。


──もしかしたら、クライヴ様が気付いてくれるかも……。


 ティナは毎日クライヴと共に出勤している。通用門までクライヴが迎えに来てくれるからだ。通用門にティナが現れなければ、クライヴが不審に思ってくれるかもしれない。一縷の望みを見いだして、ほんの少しだけ心が落ち着く。


「大丈夫よ。きっと助けが来るわ」


 子トラが隠れてしまった方向に声をかける。子トラがこちらを窺うように顔を出してくれたが、その顔は怯えているようであった。ジャラっという鎖の音が痛々しい。


──私がこの子を守らなきゃ!




◆◆◆◆◆




 一方、ティナの予想通り、特務隊ではクライヴが異変を察知して大騒ぎをしていた。


「隊長! ティナがいない!!」


 執務室で仕事をしていたレナードは、息を切らして入ってきたクライヴに少し目を丸くした。瞬き一つで落ち着きを取り戻すと、静かにクライヴへと問い返す。


「ティナ嬢がいないとは?」

「いつもの時間に来ないんだ! もしかして具合でも悪いのかもっ! ちょっとティナの家へ──ってぇ!」


 Uターンして執務室を出て行こうとするクライヴの頭にメモの束がヒットする。いつぞやのように角があたるようコントロールは完璧だ。


「落ち着きなさい。ただ遅れているだけかもしれないですよ」

「ティナは時間に正確だ! ま、まさか……ティナに何かあったんじゃ!」


 一人暮らしのティナが具合が悪くて倒れてるかもしれない。はたまた強盗に押し入られて怖い思いをしているかもしれない。


 クライヴはすぐにでもティナの無事を確認しないと気が済まなかった。


 そうした獣人族の気持ちはレナードにもよく分かる。獣人族は番い至上主義なのだ。クライヴの行動を止めるつもりはないが、女性の家へ押しかけるのは如何なものか。


「とりあえず、ティナ嬢の自宅へ行ってみなさい。具合が悪いようでしたら……一度報告を。すぐに獣化したルークも向かわせますので伝言を寄こしなさい」


 そのまま看病を、と言いかけたレナードはすぐに考えを改めた。クライヴに看病などさせたら、また何かやらかすかもしれない。とりあえずルークからの状況を待って、フィズあたりに行かせるのがベストだろう。彼女は獣人族専門の医師だが簡単な診察くらいは出来る。


「了解っ!」


 短く返事をするなりクライヴは勢いよく執務室を出て行った。任務の時よりも行動が早い。


──寝坊とかならいいのですが……。


 レナードは、ゆるりと立ち上がると隊員達がいるであろう食堂へと向かった。


「ルーク、今すぐ獣化してクライヴを追いなさい。向かう先はティナ嬢の家です。何かあればすぐに報告を」

「レオノーラ、フィズを呼んできなさい」


 レナードの指示にそれぞれがすぐに動き出す。理由を問うものは誰もいない。ティナの家に向かえ、という言葉から何が起こったのか察知したらしい。


「ダン、念のためにテオも起こしてきてもらえますか。それとリュカもたたき起こしてきなさい」


 この時、レナードをもってしても事態を把握することは出来なかった。まさかティナが追っている犯罪組織に攫われていようとは……。 


 

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