第35話 妖しい実験室

 特務隊の隊舎には誰も寄りつかない一室がある。一階の一番奥にあるその部屋には、医務室という看板が掛けられていた。ここは怪我をした隊員だけでく、保護した獣人族を治療する場所でもあった。


 しかし、中へ入ると初見の者はまず愕然とする。


 そこは医務室とは名ばかりで、実際は実験室と化しているからだ。あちこちに実験結果を記した紙や医学書などの本が散らばっていて、変な色の液体や干からびた草と思しき物体がそこかしこに並べられている。どこからか聞こえてくるカタカタという不気味な音まである。


 この薄気味悪い部屋の主は、ヘビ獣人のフィズであった。体の線が分かる程ピッタリとした服を好んで着用し、気怠げな口調と左目のほくろ――未成年直視禁止のセクシーさが持ち味の妖艶美女である。


 彼女は獣人族を専門とした医師だ。しかし、仲間内からは治療を敬遠されている。治療ついでに研究目的で血を抜こうとするのだから無理もない。腕はいいのだが変人というのが、隊員達からの評価だ。


 ブームスラングという美しい緑色のヘビを祖とする彼女は、毒物実験を始めとした薬物研究をこよなく愛していた。以前クライヴに勧めた媚薬もその研究過程の一部だったりする。ちなみにブームスラングは超猛毒のヘビである。


 そんな彼女は、現在医務室の一角で真っ青な液体をかき混ぜていた。鼻歌を歌いながら楽しそうに作業している様子は、どこぞの国にいるとされる魔女とやらにそっくりだ。


「フィズ……いる……?」

「いるわよ。何か用かしらぁ?」


 控え目なノックの後、医務室へ入ってきたのはヒグマ獣人のダンだ。


 普段ならダンも医務室を敬遠している。だが、今日は治療が目的ではないため、躊躇いなく入室してきた。


 そんなダンは、医務室へ入るなり足を止めた。普段から無表情のダンが眉間にしわを寄せる。


「…………臭い」


 ヒグマは嗅覚がいい。医務室の中に漂う不快な匂いをいち早く察知しての発言だ。臭いと言いながらも鼻を押さえないあたりは流石であった。


「あらぁ、レディに失礼な発言ねぇ」

「違う……そっち……」

「うふふ、分かってるわよぉ。これのことでしょ?」


 フィズが手袋をはめた手で小さな丸薬を手にした。それの事だと言うようにダンが頷く。


 フィズが手にした薬は、市販されている丸薬と見た目はよく似ている。その匂いも人族であれば『薬』らしい独特の匂いくらいにしか思わない。


 ところが、嗅覚に優れた獣人族ではその見解は全く異なっていた。鼻をつくような異臭は、本能的に拒絶してしまう。


「分析……終わった……?」

「ええ、バッチリよぉ。隣国からテオが持ってきたものと、洞窟に隠されてた薬の成分は基本的に一致したわぁ。ただ……」


 そう言うとフィズは分析結果をまとめた書類へ目を落とした。つつ、と紙の上をなぞる指付きはどこか色っぽい。


 書類の横には見た目が同じ丸薬がそれぞれ置かれている。それらをジッと見ていたダンは片方を指差した。


「……こっちの方が強い……」

「当たりよ。鼻が利くって便利ねぇ」

「………臭い」

「はいはい。鼻が利く分、こういう時は大変ねぇ」


 フィズの言葉にダンがこくりと頷く。


 ダンが言葉足らずなのは特務隊では周知の事実だ。少ない言葉でも何が言いたいのか理解出来る程には、それぞれの付き合いは短くない。


「ダンの言う通りよぉ。王都で出回っているこっちは、隣国の薬の改良版ってところかしらぁ。中毒性もグンと高くなっているからタチが悪いわよねぇ」


 フィズが分析をしていたのは、ここ最近王都で問題となっている例の薬であった。テオが隣国で失敬してきた薬と、クライヴが以前洞窟で見つけた薬──この二つを分析していたのだ。


 王都の中毒者から回収した薬から、この薬が鎮静剤とは名ばかりで人体へ悪影響しかもたらさないことは既に解明されている。それとは別に、フィズも独自で薬の成分分析を行っていたのだ。その理由は、ただ単に毒物好き故の好奇心からだ。


「高揚感、中毒性なんてほぼ倍ね。粗悪な薬というよりも悪質な薬物だわぁ」

「人族には危険……」

「そうね。獣人族わたしたちなら匂いなり本能なりで危険を察知するけれど、人族には難しいわねぇ」

「犯人の目星は……?」

「各国を流れてるあの犯罪組織が濃厚じゃないかしらぁ。隣国で足が付きそうだからこの国に来たっていうところかしらねぇ」

「ああ……あの……」


 フィズの言う犯罪組織とは、国々を渡り歩きながら犯罪を繰り返す集団のことだ。薬物や粗悪な品を売ったり、奴隷商人紛いのことをして荒稼ぎしている。他国ではまだ幼い獣人族が狙われた事もあった。


「他国に逃げられると手が出せないから厄介よねぇ。私がちょっと噛めばイチコロなんだけどぉ……」


 繰り返すが、ブームスラングは猛毒のヘビである。噛まれたらひとたまりもない。ある意味、完全犯罪が成立しそうで非常に恐ろしい。


 レナードに『比較的まとも』と評されているダンは、静かに首を横に振った。ダンは『協力要請』の意味をきちんと理解しているのだ。


「それじゃダメ……ちゃんと捕まえないと……」

「全員ガブッとしちゃった方が早いじゃない」


 フィズがウェーブがかった髪を後ろへ払いのける。細く美しい指をなぞるように緑の髪がさらりと揺れる。仕草の一つ一つがいちいち色っぽい。


「犯人を捕まえるのは……警備隊の仕事……」

「そんな悠長にしてたら逃げられちゃうわよぉ」


 今回の捜査は警備隊が中心となって進められている。容疑者が例の犯罪組織である事も警備隊だって予想しているはずだ。


 おそらく警備隊は、攫われた者がいるかもしれないという線も考慮している。王都で行方不明者は出ていないものの、他国で攫われた者が捕らわれているかもしれない。もしも強制捜査に踏み入って、他国の者が亡くなるような事態になれば国際問題だ。慎重になるのはそのせいでもあった。


 共同捜査ではなく協力要請としていたのもそこに起因する。


 特務隊の面々は優秀ではあるが血気盛んだからだ。なまじ力があるだけに強行突破をやりかねない。警備隊全隊長のアルヴィンは、飄々としていながらも特務隊の性質をキチンと把握しているのだ。


「勝手……ダメ……」

「はいはい、分かってるわよぉ」


 心底残念そうにしながらも、フィズは納得した。


 隊長であるレナードも『警備隊へすること』と隊員へ言い含めているのだ。『勝手をするな』と釘を刺されたのは、フィズだって分かっている。隊長命令は絶対なのだ。


「分析結果……持っていっていい……?」

「ええ。隊長に持っていくんでしょう?」

「ん……」

「じゃ、こっちが成分表。こっちが二つの違いと症状の危険性の説明。よろしくねぇ」


 フィズは遠慮なしに書類の束をダンへと押し付けた。変人と言えども医師は医師。一枚一枚ビッシリ書き込みがされていた。


「それじゃ、私は研究の続きをするからぁ。用があったら呼んでちょうだい」


 そう言うなり、用は済んだとばかりに、先程までかき混ぜていた真っ青な液体の元へと戻っていた。


「……それ何?」

「獣人族にも利く即効性麻痺毒の試作品よぉ」

「…………」


 フィズの笑顔は実に楽しそうだ。何のためにとか、誰で試すとかツッコミどころが満載だ。


 ダンは無言で医務室を後にした。触らぬ神に祟りなし、である。

 

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