第34話 消毒
「えっ……ええぇぇーー!!」
獣人貴族と呼ばれる四家のうち二家が特務隊にいる。しかも、それは隊長・副隊長のツートップときた。予想外の事実にティナは思わず叫んでしまった。
レナードとクライヴに至っては、突然叫びだしたティナに驚きを隠せない様子であった。自分達を見て叫び出したのだから無理もない。入りかけた食堂の入口でポカンとしていた。
「あはっ。お姉ちゃんってば驚きすぎ」
「いやぁ、いい反応するね~」
「えっ……えっ? し、しかも……当主様? 次期当主様っ!?」
そんなもの超お偉いさんではないか。あわわわと慌てふためくティナの視線はキャロル達とクライヴ達を行ったり来たりしている。
獣人貴族である四家は建国当初からある由緒正しき家柄だ。人族の貴族などより遙かに歴史がある。
「よく分かりませんが……ティナ嬢、大丈夫ですか?」
「は、はいぃ!」
レナードに声をかけられたティナは、ピシッと背を伸ばして畏まった。声が裏返ってしまったのは致し方ない。
「お姉ちゃん、落ち着いて。ほら、深呼吸、深呼吸~」
そう言ってリュカが肩をポンポンと叩いてくれる。ティナも自分が慌てすぎている自覚があったので、言われるがままに深く息を吸った。
そんな二人の様子に割って入ったのはクライヴだ。ティナの肩を叩くリュカの手をベシリと叩き落とした。
「リュカ、ベタベタし過ぎだ。ティナは俺の番いだぞ」
「うっわー、次期当主様がこわーい」
わざとらしく怯えたフリをしたリュカは、クライヴなど恐れずティナへと擦り寄った。そんな腹黒なリュカを見てクライヴが頬をひくつかせる。
すぐ傍で火花が散るが、肝心のティナは心を落ち着かせるために絶賛深呼吸中だ。それどころではない。
「……もしかして私達の家の事でしょうか?」
「さっすが隊長、状況把握が早い。子リスちゃんが四家を知りたいって言うからウチに二人いるよって教えてあげたんだ」
「あぁ、そういう事でしたか」
キャロルの説明にレナードは合点がいったとばかりに頷いた。
獣人族の中で四家と言えば、誰もが知っていることだ。それゆえに、レナードもクライヴもティナにフルネームを名乗るのを失念していた。
「そういえば、ティナ嬢には家名を名乗っていませんでしたね」
「あー……そういや俺もだな」
「では、この機会に改めまして。四家が一つ、ヒョウ一族のオルセン家当主レナードと申します」
「同じく四家が一つ、オオカミ一族のクライヴ・ウォルフォードだ」
優雅に一礼するレナードと笑顔のクライヴ。二人ともいつもと変わらないのに、四家と知ったからかオーラが違って見えてしまう。
「す、すごい人が……こ、こんな近くにいたなんて……」
「そうでもありませんよ。今の四家などほぼ名ばかりですし」
「歴史はあっても大した権力はないしな。むしろ権力なんて面倒なだけだし」
「いや、でも……建国当初からの忠臣……」
「昔はそうだったようですが、今はこの国が住みやすいから手伝っているだけですよ。もしも、国王が戦争だなんて
レナードがニコリと微笑んだ。中性的な美貌で爽やかな好青年としか言えない見た目なのに、言っている事が不敬極まりない。国王に対して戯言って……。
いつの間にか隣に座っていたクライヴも「そうそう」と頷いて、レナードへ同意している。こっちも不敬極まりない。
「まっ、エルトーラ王国の王族は平和主義だから戦争なんてしないだろうがな」
「獣人族にも人族にも平等ですしね」
これにはキャロルもリュカも頷いていた。もちろんティナも納得だ。
エルトーラ王国の王族は、身分に関わらず平等な権利を訴え、国民の立場になって政策を考えてくれる。温かい人柄と確かな手腕で、老若男女・種族を問わず支持され続けているのだ。
「あっ、ティナがウチに嫁に来たら俺が当主になる予定だからよろしくな」
「へ……?」
「うちは結婚と同時に当主を継ぐんだ。だから俺はまだ次期当主って訳だ。俺が当主になるなら、ティナがウォルフォード家の女主人ってとこだな」
全く同意出来ない。ニコニコ嬉しそうな笑顔でとんでもない事を言ってくれる。
貴族の女主人と言えば、夫の留守の間に家を切り盛りする重要な立場だ。女主人の手腕次第で、家が廃れてしまう事だってある。
「いやいやいやいやいや、絶対無理ですっ! 私には無理ですっ!」
「ティナ・ウォルフォードか……いい響きだな」
「お、お断りです! 私は庶民ですよっ!?」
「ティナ嬢、そこは心配はありません。私の妻も庶民ですが、今は滞りなく女主人として過ごしていますよ」
「と、いうことだ。安心して嫁に来てくれ」
レナードの合いの手にクライヴはいい笑顔で話を纏めた。何が「と、いうことだ」だ。
ティナは蒼白になりながら首を左右に振って拒否をした。田舎育ちで庶民中の庶民のティナには安心など出来るはずがない。そもそも、まだ付き合ってもいないではないか。
「わ、私は普通の結婚がいいんです。平凡だけど働き者の男性と結婚して、もふもふに囲まれて過ごす方がいいんです」
ティナが思い描く結婚とは、庶民同士のごく普通の結婚だ。玉の輿なんて分不相応なのでご遠慮したい。
だが、このティナの発言にクライヴの目つきが鋭くなる。
「俺以外と結婚するつもりなんて許しがたい発言だな。一応確認するが、そういう相手がいるとか言わないよな?」
「ひぇ!」
クライヴは笑みを浮かべているが目が笑っていない。オオカミが獲物を狩るが如き冷たく鋭い目つきをしている。背筋がぞわっとしてたじろぐと、がっしりと腰をホールドされて逃げ道を塞がれてしまった。
「まさか結婚を考えている男がいるのか?」
「ひっ……い、い、いませんっ!」
「ふぅん、それじゃ今までに付き合った奴は?」
「うぇ? そ、それは……いましたけど……」
突如クライヴの顔から表情が抜け落ちる。あまりの迫力にティナは身を引くも、腰を抱かれている手がそうはさせなかった。
──な、な、何!? この年でお付き合いの経験がない方が珍しいんじゃないのっ!?
いつの間にか食堂はシンと静まり返っている。助けを求めるように他の者に視線を向けるも、サッと顔を背けられてしまった。いつもはクライヴを止めてくれるレナードすらそっぽを向いている。
「ティナ、そいつはどこの誰だ?」
「えっ? えっと、田舎の幼馴染みと王都で知り合った人ですけど?」
「二人?」
「は、はい……」
多くないかと呟きが聞こえたが普通だと思う。しかし、とてもそう言える雰囲気ではない。
「へぇ……俺以外の男がティナと……へぇ……」
「あ、あの?」
「そいつらは、ティナに触れたのか?」
ぐいっとティナを抱き寄せたクライヴが真剣な目で見つめてきた。有無を言わせぬ圧力が凄まじい。
「ふ、触れたとは?」
「キスとか。まさか、それ以上の──」
「し、してません! て、手を繋いだだけの清いお付き合いですっ!」
『それ以上』の例えを口にされる前に、ティナは白状することを選んだ。手を繋いだだけなどお子様かと言われそうで恥ずかしい。それなのに、「あちゃ~」と誰かの声が聞こえてきた。
「手を繋いだだと?」
「は、はい」
「それはこっちの手か?」
「え……は、はい……?」
クライヴがティナの左手を持ち上げる。
「ふぅん……」
「あ、あの?」
「……消毒しないとな」
「へ……っ!」
何を、と思った時には遅かった。クライヴが手の甲へと唇を寄せたのだ。
しっとりとした唇の感触――ティナが状況を理解するよりも早く、クライヴはティナの手を裏返し、手のひらへも口付けを落とした。
「なっ! な、な、なななな何をっ……ひゃっ!」
手を引こうとしてもビクともしない。それどころか、クライヴの行動はエスカレートしていく。
手のひらを舐めたかと思うと、親指・人差し指・中指と順に口に咥え出したのだ。クライヴの口に咥えられた指に生温かい舌が這う感触がする。
抱き寄せられているせいで、それらの痴態を目の前で見ることとなったティナは一瞬で真っ赤に茹で上がった。全神経が左手に集まっているのではないかというくらい、クライヴの舌の感触に敏感になる。
「ク、クライヴ様っ……は、離して下さいっ」
「ティナ、俺以外の男に触れるなよ? 次はこれだけじゃ済まさないからな」
「ひっ…! わ、わわわ分かりましたっ!」
「ん、いい子だ」
最後にもう一度手のひらへ口付けを落とすと、クライヴはティナの手を離した。
いつものような蕩けんばかりの笑顔。クライヴの表情が戻ったことに安堵するも、舐められてスースーする左手のせいで動悸は一向に治まらなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます