第25話 クライヴの葛藤
レナードから大目玉を食らったクライヴは、みっちり一日中働かされる羽目になった。
大量の書類仕事――しかも期限間近の急ぎのものばかりを任され、やっと終わったかと思ったら、今度は近衛隊と警備隊の新人指導に行かされる。特務隊が指導に行くなど滅多にないのに……。エセ紳士の面で爽やかに微笑むレナードが心底憎らしかった。
獣人族は超強い、なんて変な勘違いをされているせいで、ぶっ通しで戦い続ける羽目になった。向上心があるのは良いことだが今日は勘弁してほしい。
人族と比較すれば、獣人族は瞬発力・腕力・洞察力などが圧倒的にいい。体力も人族よりはある。あるのだが……流石に数十人以上ぶっ通しで戦えば疲れを感じるというものだ。指導と言うよりも、後半は八つ当たり気味になっていた感は否めない。恨むならウチの腹黒隊長を恨んでほしい。
「ティナに会いたい……癒されたい……疲れた……」
野郎共に囲まれていたせいか、無性に癒やしが欲しくて堪らない。ティナの可憐な笑顔を見たい。ティナの甘くて優しい匂いを嗅ぎたい。この腕の中にぎゅっと抱きしめたい。
ティナ不足の重い足取りで向かったのは、隊舎内にある自分の部屋だ。クライヴは王都に家があるが、仕事が忙しく泊まり込みとなることもあるため、一応寮に部屋を与えられている。
部屋へ入るなり、上着をソファへと投げつけ、浴室へと直行する。鍛錬場の舞い上がる砂埃のせいで、肌がザラザラしていて気持ち悪い。それに、汚れたままでティナに会いに行くなどあり得ない。頭からシャワーを浴びて全身丁寧に泥を洗い流した。
──そういや、ティナの髪からもフィズの匂いがしたな……。
急に泊まることになったと言っていたから、シャンプーも借りたのだろう。夜着を借りたせいで、うっすらフィズの匂いが付いているのだって気に食わないのに、髪からもフィズと同じ匂いがするなんて、嫉妬心ではち切れそうだった。
さっぱりした体に替えのシャツを羽織り、濡れた髪をタオルでわしゃわしゃと拭く。部屋に備え付けの時計を見ればもう夕食時であった。クライヴの勤務時間はとうに過ぎている。
「くそっ、隊長め。何が『終わったら帰っていいですよ。終了報告は不要ですので』だ。絶対こんな時間になるのが分かってただろ」
この時間であれば、ティナはとっくに帰宅している。どう考えてもティナと会わせないようにされている。
明日までに頭を冷やせという事か。はたまた反省しろという事か。どちらにせよ、レナードの対応につい舌打ちをしてしまった。
「とりあえず帰るか……」
枯渇するティナ成分のせいで怒る気力もない。さっさと帰って明日の朝ティナに会えることを楽しみにするしかない。
悲哀に満ちた大きな溜め息をつき、部屋を後にする。寮組は食堂にいるだろうが、ティナもいないのに行く必要はない。そうしてそのまま玄関へと向かった。
「あらぁ、副隊長じゃない。今日は帰るのが遅いのねぇ」
玄関まで来たところで出くわしたのはフィズだ。
片手に持ったカゴからは、何やら怪しげな薬草や毒々しい液体の入った瓶などが見えていた。特務隊の医師という位置付けなのだが、フィズは毒物大好きの変人なのだ。
「何だかお疲れのようねぇ。栄養ドリンクでも作ってあげましょうかぁ?」
死ぬ。フィズの作った栄養ドリンクなど何が入っているか分からない。ティナと結ばれてもいないのに死にたくはない。
胡乱な目で静かに首を左右に振った時、ふわりと匂い立つ香りに気が付いた。今朝、ティナの髪からも香った匂いだ。胸の内で嫉妬心がムクムクと再燃していく。
「そういえば、ティナに夜着を貸したそうだな」
「ええ。フリフリのとびきり可愛いのを貸したわよぉ」
「フリフリ……」
クライヴの脳内では、ティナがレースたっぷりの夜着を纏い、恥じらうように頬を染める。もちろん露出多めの夜着である。
「うふふ、見たかったぁ?」
「めちゃくちゃ見たかった」
即答で本音が漏れ出てしまう。
フィズが着るとただの露出狂にしか見えないが、ティナが着るなら話は別だ。絶対可愛い。見たい、とてつもなく見たい!
ティナ本人から透けてもいないし露出もないと言われているが、そこはまるっとスルーしていた。男なのだからこのくらいの妄想は当然だと開き直る。
「それなら良いものをあげるわぁ」
クライヴの内心を見透かしたようにフィズが艶っぽい笑みを浮かべる。そして、取り出した紙に何かを書き込み始めた。
「はい、これ。と~っても可愛い夜着が買えるお店よ」
「ぐっ……!」
クライヴの脳内で理性と煩悩が対峙する。
ティナには是非とも新妻が着るような夜着を着てほしい。ティナが自分好みの夜着を纏うなんて最高すぎる。
だが、アプローチ中の今、そんな事をすれば一発で嫌われるのは間違いない。ティナの心を得るためにじっくり口説くと決めたのは自分だ。分かってはいる――分かってはいるが欲望には勝てない。
長い葛藤の末に、クライヴはフィズのメモを受け取った。
「……いつかの参考に貰っておく」
「うふふ、男って正直よねぇ」
ニマニマとした笑みで見てくるフィズをつい睨みつける。
「そういえば、ティナの前で人化したそうだな。ティナが『初めて』人化と獣化の瞬間を見たと言っていたぞ」
「あらぁ、『初めて』の獣化はレオノーラよ。私が貰った『初めて』は人化よぉ」
「余計悪いわっ! くそっ、ティナが見る『初めて』は俺でありたかったのに!」
意味ありげに『初めて』を強調する二人は至って真面目だ。ここにレナードがいれば二人揃ってブリザード吹き荒れる冷めた視線を喰らっていただろう。
「じゃあ、お詫びに良いこと教えてあげるわぁ。あの子、どうやら番いについて調べてるみたいよぉ」
「何……? そ、それは……辞退したいとか言うことか?」
「どうかしらぁ。どちらかと言えば前向きに考えているようだったけどぉ」
昨夜のティナの様子を思い出しフィズが小首を傾げた。ティナからは番いを辞退する方法は聞かれていない。なぜ自分なのかと悩んではいたが、それをあえてクライヴへ伝える必要もない。
そんな事など知らないクライヴは分かりやすく目を輝かせた。
「ほ、本当かっ!? ティナが前向きに?」
先程フィズから貰ったメモを強く握りしめる。ティナが自分との関係を前向きに考えているなら今すぐにでも買いに行っていいかもしれない。
若干思考が暴走しかけるも止める者は誰もいない。しかし、フィズの次なる言葉に絶句する事になる。
「あっ。そういえばぁ、書庫であのお嬢ちゃんに絡まれてたわよぉ」
「……あの? 誰のことだ?」
「やぁねぇ、副隊長に言い寄ってるあの子よぉ。えーと……プリシラ、とか言ったかしら? 『妻になるのは自分だ』な~んて言ってたわよぉ」
は?
ティナに?
衝撃的すぎて数秒フリーズしてしまう。
プリシラとかいう名前には確かに聞き覚えがある。しつこく手紙を寄こすので、嫌でも覚えてしまった。どこで好かれたのか記憶はないが、こちらは顔も知らないのだ。
誰が何と言おうとクライヴの番いはティナだ。妻として隣へ立つのもティナ以外あり得ない。
「副隊長からハッキリ言うのが一番いいと思うわぁ。恋する乙女は盲目だものぉ」
「ちっ! ティナに誤解されたらどうしてくれるんだ。俺の番いはティナだぞ」
「人族には『番い』がよく分からないみたいねぇ。まぁ、モテるようで何よりだこと」
「俺がモテたいのはティナにだけだ」
きっぱり言い切ったクライヴの瞳は獰猛な獣を彷彿とさせるものがあった。ティナを振り向かせるためには憂いも不安要素もあってはならない。邪魔する者がいるなら叩き潰すまでだ。
「あらあらぁ、何だか物騒な雰囲気……程々にねぇ。警備隊沙汰になったらマズいもの」
「当たり前だ。口で言っても分からなければ……まぁ、その時に考えるさ」
「必要な毒があったら言ってねぇ。証拠の残らない毒物もあるからぁ」
「絶対いらん! そっちの方がヤバいだろ」
「……も・ち・ろ・ん、媚薬もあるわよぉ。欲しいときは、いつでも声をかけてちょうだい」
うふふ、と意味ありげな笑みを残し去っていくフィズに、クライヴは手の中のメモをグシャリと握りしめた。
媚薬……ちょっと欲しい、と思ってしまったのは一生の不覚である。
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