第24話 ダダ漏れの欲望

「えっ……ティナ?」


 クライヴがぽかんと口を開けて驚く。普段であれば、この時間にティナはまだ出勤していない。驚くのも当然だろう。それにしても、顔が整っているだけに口が半開きでも間抜けに見えないのがすごいところだ。


「おはようございます。えっと、昨日は寮に泊まらせてもらいました」

「うふふ、私が誘ったのよぉ」

「一緒にご飯を食べてたくさんおしゃべりしたのよね」

「ねぇ~」


 ティナの左右に座っていたレオノーラとフィズのお姉様’sが、寄り添うようにくっついてくる。二人から同意を求められるように見つめられ、ティナも「はい」と笑顔を返した。


 ティナが朝早くに隊舎にいる理由が分かったのか、クライヴからの追求はない。


「ねーねー。アレ、絶対妬いてるよね?」

「女同士ではないか? 副隊長はそこまで狭量ではないぞ」

「子リスから……フィズの匂いがする……」


 嗅覚の良いダンの指摘に、キャロルとルークが「あー…」と呻くような声をこぼす。


 自身の番いが他の者と仲良くして妬かない獣人族などいない。それが例え同性であってもだ。それが獣人族のさがなのだ。それなのに、他の誰かの匂いを纏うなどと――嫉妬するのは目に見えていた。


 クライヴが物騒な気配を漂わせるよりも先に、いち早く解決策を見いだしたのはキャロルであった。捕食される側なだけあり、危機察知能力と回避能力はピカイチだ。


「副隊長、子リスちゃんに用なら連れてって大丈夫だよ。朝ごはんはもう食べ終わったし~」


 必殺・生贄作戦である。火の粉がこちらに降りかかる前にティナ生贄を差し出そうという魂胆だ。


 生贄にされている事すら気付いていないティナは、クライヴが自分に用があるのかと勘違いをする。仕事ならばしっかり働かねばならない。そう思ったティナは、慌てて空になった食器を片付けようと立ち上がった。


「いいよ、そのままで。片付けは僕がするから」

「え、あ……ありがとうございます」


 さぁ行ってこいとばかりに手を振るキャロルを不思議に思いながら、ティナはクライヴの元へと駆け寄った。


 そうして二人は執務室へと移動した。勧められるがままにソファへと腰を下ろす。クライヴもティナの隣へと座った。


 僅かな沈黙の後、クライヴが口を開く。


「……寮に泊まるなら俺にも教えてくれれば良かったのに」

「えっ?」


 クライヴの開口一番は抗議の言葉であった。仕事の話かと思っていたティナは、思わぬ発言に面をくらう。


「あ、あの……泊まることになったのは急だったんです」

「それでも教えて欲しかった……」


 まるで子供が駄々をこねるかのように、クライヴはふて腐れていた。イエローゴールドの瞳を細めムスリとしている。


「それにフィズの匂いがする」

「に、匂い……? あっ、もしかして夜着を借りたからでしょうか?」

「ああ、そういうことか…………ん……夜着? フィズの?」

「そうですが……」

「……ティナがアレを着たのか?」


 アレとはどのことだろうか。返答に詰まっていると、クライヴが肯定したと勘違いする。


「ティ、ティナが……あんな下着みたいな服を着ただとっ!?」

「えぇ! い、いえ……ち、ちが――」

「絶対可愛いだろ、そんなの! くっそ、ものすっごく見たかった!! むしろその場で襲うっ!」


 心底悔しがるクライヴにティナはドン引きした。


 色々と聞きたくない言葉を聞いてしまった気がする。そしてクライヴの言う『アレ』の意味が分かり絶句した。クライヴの脳内で自分は今どうなっているのだろうか。『エロい事ばっか考えてる』とは昨日の女子会での話だ。案外本当なのかもしれない。


「……やっぱり番いは辞退したいです」

「ち、違っ……フィズはいつも露出が多い服装で……いや、でもティナがアレを着たら是非とも見たいが……じゃなくて! 俺以外には見せたくないと言うか……」

「…………」


 支離滅裂過ぎて弁解にもなっていない。むしろクライヴの欲望がバレバレである。


 必死の弁解も空しく、ティナから軽蔑するような冷めた目を向けられたクライヴは、一気に意気消沈した。


「獣人族は独占欲が強いんだ。ティナから誰かの匂いがするのがイヤなだけだ…」


 服を借りただけでそこまで匂いがつくのだろうか。人族のティナには分からない感覚だ。大袈裟だと思いながらも書庫で読んだ本を思い出す。


『番いを見つけた獣人族は番いの愛を得ようと必死になる』

『愛情深く一途』


 番いについて正しく理解した今、クライヴに少しは歩み寄ってみようと決めたばかりだ。先程の発言にはドン引きしたが、ティナはまずしっかり説明をする事にした。


「えぇと……まず、泊まることになったのは本当にたまたまです。書庫でフィズさんにお会いしたんです。それで、獣人族について色々教えて頂く事になったので、寮に泊まらせてもらいました」

「書庫……ああ、確かにフィズはよく行ってるな」

「あと、フィズさんから借りた服は普通のワンピース型の夜着です。透けてもいませんし露出もありません」


 最後の説明は余計だと思いつつも自分の名誉のためにも言わせてもらった。妄想とは言えクライヴの脳内で自分があのスケスケセクシーな下着──ではなく、夜着を着ているなんて恥ずかしすぎる。


「……フィズって普通の服を持ってるのか? いや、でも、そうか……ああいうのを着た訳じゃないのか……うん、そうか」


 フィズへの評価──いや、信用度が低すぎるのが引っかかる。そういえばレオノーラも似たようなことを言っていた。普段から体のラインに沿ったぴったりした服を着ているだけに、何となく分からないでもない。


「フィズの匂いが付いてるのは百歩譲って我慢しよう。とりあえず、ティナのあられもない姿が誰にも見られなくて良かった」

「いえ……あの……そもそも、そんな格好をするつもりはないんですけど……」

「ティナにはフィズみたいなヤツより清楚で可憐な方が似合うと思うんだ」

「あの……聞いてます?」

「初めての時は俺が贈るからな」

「なっ!? は、初めてって…」

「うん? そりゃもちろん俺との初夜──」

「きゃあぁぁーーっ!!」


 機嫌を取り戻したクライヴが蕩けるような極上の笑顔でとんでもない事を言い放つ。クライヴの決定的な言葉を遮るようにティナが悲鳴を上げるが、それでもほとんど聞き取れてしまった。


 真っ赤になってあわあわするティナとは対照的に、クライヴはものすごく良い笑顔を浮かべている。まるで結婚するのが当たり前だと言わんばかりの顔だ。


「ところで、獣人族について何を聞いたんだ?」

「……え?」

「何か知りたかったのか? 俺で答えられる事なら教えるぞ」


 番いについてです、とは言えなかった。ポジティブ思考のクライヴに誤解されたら、そのまま籍を入れられそうで怖い。


 僅かな逡巡の後、ティナは全力で話題を切り替える事にした。それがクライヴの新たな地雷を踏むとは思わずに…。


「えぇと……あ、獣化する瞬間を初めて見せてもらいました! レオノーラさんは、しっとりとした毛並みにスリムな体がかっこ良かったです。フィズさんも緑の鱗がツヤツヤでくりくりのお目々が可愛かったです」

「…………初めて、だと?」

「はい。クライヴ様がオオカミになった時は見ていませんでしたし。あっ、人化する瞬間も見せてもらったんです。獣化も人化もあっという間なんですね」


 変身の瞬間を見せてもらえるなんてとても貴重な事だ。本にも書いてあったが変身の瞬間を他人に晒すことはしないらしい。人化すると全裸になるのだから当然かもしれない。恥ずかしげもなく裸体を晒したフィズは鋼の心臓の持ち主なのだろう。


 お茶目なサーバルキャットと妖艶なヘビを思い出し、つい口元が緩む。しかしながら、その表情がクライヴの嫉妬をより激しくさせた。 


「ティナの初めては俺のモノなのに!」

「…………」


 語弊がすごい。言い方をもう少し考えてほしい。


「しかもフィズの人化を見ただと!? それって裸だよな!? ティナが見ていいのは俺の──」

「駄犬が何をほざいてやがる」


 何の音も気配もなく後ろから現れたのはレナードであった。


 驚くティナをよそに、レナードは怒気を漂わせながらギリギリとクライヴの頭を鷲掴みにする。


「クソオオカミ……てめぇは学習能力がねぇのか? あ゛?」

「た、隊長……頭が潰れるっ…!」

「ティナ嬢に何を言おうとした? あ゛? 皮剥がれてぇのか?」

「いっ……マジ頭潰れ……いでででっ!」


 ティナは目の前の光景を見ながら遠い目をした。思うことはただ一つ。


──クライヴ様の番い、やっぱり辞退出来ないかなぁ……。


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