第18話 崇拝者

「え~、いいなー。僕もブラッシングして欲しかった~」


 ブラッシング話を聞いて、ブーブーと子供のように口を尖らせたのはウサギ獣人のキャロルだ。ティナは今、厨房で洗いものの手伝いをしていた。


「あれ? でも、獣人族は他人に触られるのが嫌なのでは……?」


 それは先日クライヴから聞いたことだ。ブラッシング中は無防備になるため、他人に触られるのを嫌がるそうだ。


 しかし、ティナの素朴な疑問にキャロルは爽やかな笑顔を浮かべた。


「子リスちゃんになら大歓迎だよ。可愛い女の子になら是非とも触って欲しいね」

「………」


 やはりキャロルは天性の遊び人だ。


 そういえば、おやじさんの店でも似たようなことを言ってくる酔っ払いがいた。なぜ酔っ払いはああもはた迷惑に絡んでくるのか。お尻を触られそうになっておかみが助けてくれた事もあったっけ。


 ティナの目から光が消えたのを見てキャロルは慌てて作業の手を止めた。


「ちょっ……子リスちゃん! そこは笑って流してよ!」

「あ、はい……」

「その目やめて! いたたまれないっ!」


 ついつい白けた目で見てしまったせいか、キャロルが「優しくしてよっ」とか騒いでいる。優しくしてほしいなら酔っぱらいのような発言は控えてほしい。まぁ、こんな冗談が言い合えるほどには打ち解けたと思っておこう。


「もー、可愛い子にちやほやされたいのがウサギのさがなんだから仕方ないじゃん。少しくらい多めに見てよね」

「キャロルさんのはただチャラいだけだと思います」


 以前レオノーラがキャロルのことを節操なしと言っていた。最近ではこの意味が身に染みて分かる。


「えー、ちょっと酷くない?」

「……キャロルさん、配達に来た女の子を口説いてますよね? しかも何人も」

「うっ、バレてるっ!」

「あれを見てキャロルさんの本性がよく分かりました」

「な、なかなか辛辣だね……」


 そうこうしているうちに、洗い物が終わってしまった。皿を拭くのはキャロルがやってくれているので、ティナは布巾を持って食堂へと向かった。


 テーブルを拭くティナにキャロルが声をかける。厨房と食堂はすぐ隣なので、離れていても会話は十分できるのだ。


「そういえばさー、ウチの奴らとは全員会えた?」

「えっ?」

「隊長と副隊長とレオノーラと僕。それ以外には誰と会ったの?」

「えーと…ダンさんとリュカ君にお会いしました。他の方にはまだお会いできてません」

「あー…テオは夜行性だから仕方ないか。フィズもいいとして……ルークとはまだ会ってないのかぁ」


 皿を拭き片付け終えたキャロルがこちらへきてテーブルを拭を手伝ってくれる。流石はウサギ獣人。きれい好きである。こういう所は素直にすごいと思う。


「皆さんお忙しいでしょうし仕方ないですよ」

「うーん……でもルークはなぁ……あいつ何やってんだか」

「本人がいない所で噂話とは如何なもんかね?」


 突然聞こえてきたのは聞き慣れない第三の声。ティナとキャロルは反射的に声のした方へ視線を向けた。


 そこには整髪剤で髪をピシリと撫でつけ、制服を隙なく着こなす男性が佇んでいた。腕を組んでこちらを見据える目はどこか鋭い。


「わぉ、噂をすれば」

「えっ…あ……」

「こいつがルークだよ。オオワシ獣人のルーク」


 突然のことで戸惑うティナに、キャロルが教えてくれた。だが、その言葉の中に気になる部分があった。


──オオワシ獣人……?


 特務隊へ来てオオワシは何度か見かけた事がある。まさかとは思うが、あのオオワシが目の前の人物だったりするのだろうか。


 焦げ茶とも黒とも取れる髪に一房の白いメッシュの髪。切れ長の鋭い瞳。どことなくだが、あのオオワシに似ていなくもない。


「ふん、ろくに挨拶も出来ないのかね」

「ハッ! す、すみません。新しく入りましたティナです。よろしくお願いします」

「全くなぜこんな小娘が……」


 ルークがティナを見る目は冷ややかだ。その態度であまり歓迎されていないのだとすぐに分かった。


「ちょっとルーク、そんな言い方はないでしょ。子リスちゃんが気になって見に行ってたくせにさ」

「ワタシがいる所にこの小娘が来たんだ。別に気になどなっていない」

「わざわざ獣化までして?」

「任務帰りで獣化していただけだ」

「あー、もう相変わらず頭固いなぁ」


 ふん、と鼻を鳴らしたルークは苛立たしげに指をとんとんと動かした。そして鋭い目つきでティナを睨みつけた。


「ワタシは君の態度が気に入らない」

「す、すみません……」


 先程の会話から、あのオオワシが彼なのだとは分かった。これだけ嫌悪されるのは、毎回じろじろ見ていたからかもしれない。若干ルークの気迫に気圧され気味のティナへキャロルが助け船を出す。


「ルーク、突然そんなこと言ったら誰だって困惑するでしょ」

「キャロルは黙っていたまえ。──そもそもだ!」


 キャロルからティナへと向けられた黄色い瞳がより一層鋭さを帯びる。ルークはティナをびしりと指差すと声高に不満を口にした。


「副隊長の番いという誉れ高い立場に選ばれたというのに何故辞退したのだっ! ありえないっ!」

「…………えっ?」


 予想外の言葉にティナはポカンと口を開けた。隣のキャロルは頭を押さえて「あちゃ~」と呟いている。


「我が隊の隊長と副隊長は、それはもう素晴らしい人物なのだぞ! 隊長は頭の回転が速く冷静沈着! 副隊長は一騎当千にて勇猛果敢! あの方達が挙げた功績は数知れず! そんな副隊長に見初められておきながら受け入れないだとっ!? 副隊長の素晴らしさが分からんのかねっ!」


 ルークの熱弁にティナは口を開けて固まった。あまりの熱量に気圧されてしまったからだ。


「あー……子リスちゃん。ルークは隊長と副隊長の熱烈な支持者なんだ。いや、えーと……信望者、かな?」

「お二人のことは崇拝している」

「……だ、そうです」


 ルークの迷いのない言葉にキャロルが苦笑する。とりあえずは、ルークがレナードとクライヴを超絶リスペクトしているのはよく伝わった。


 崇拝するクライヴの番いにならなかった事が許せないのだろう。ティナに対して厳しい態度の理由が理解出来た。


「とにかくだ! 君は今すぐにでも副隊長の元へ嫁ぐべきだっ!」

「と、嫁ぐっ!?」

「そうだ。いったい何が不満なのだ? 副隊長の偉大さが分からないのかねっ」

「いえ……あ、あの……クライヴ様には私よりももっと良い人が──」

「我々獣人族は番い以外は欲さない!」


 ティナが言い切る前にルークがピシャリと言い切る。獣人族に詳しくないティナは目を見張った。それを見たルークは、馬鹿にするようにふふんと鼻で笑った。


「何だ、そんな事も知らないのかね」

「ちょっ…ルーク……」

「番いとは世界にただ一人の唯一無二の存在。獣人族にとってなくてはならない大切なものなのだ。番い以外を伴侶にするなど絶対にない。それなのに君ときたら……」


 ティナは驚きを隠せなかった。番いというのがそこまで重要な立場だとは思ってもいなかったのだ。


 人族の恋愛であれば少なからず出逢いと別れが繰り返される。「一目惚れ」などと言われても別れる事なんて珍しくない。クライヴがティナを好いてくれているのも一時の感情だと思っていた。


「獣人族が一途で情熱的と言われる所以はそこにある。何があろうと番い以外を愛すことなどあり得んからだ」


 クライヴがやけにティナに固執すること。そして全く諦める気配がなかったこと。ルークの言葉でようやくその理由が分かった。


「番いがそこまで重要だったなんて……」

「分かったのなら今すぐ結婚したまえ」

「うっ……そ、その…結婚についてはすぐ決められるものではありません。クライヴ様にも言いましたがお互いの事をよく知らないのに結婚と言うのはちょっと……」


 普通ならクライヴのように地位も高く、見目も麗しければすぐにでも頷くのだろう。だが、ティナとしてはそれは受け入れがたい。お互いを知った上で恋愛に発展するかしないか判断したいのだ。突然結婚など無理だ。


「副隊長よりも素晴らしい人がいると? 番いなのだから悩むまでもないだろう。君の考えはさっぱり理解出来ん!」


 獣人族と人族の恋愛観の違いは中々に大きそうだ。ギロリと睨んでくるルークにティナはビクリとした。猛禽類の睨みは迫力がある。


「あー……ルーク。そのくらいにしといたほうがいいよ……」

「だからキャロルは黙っていたまえ! これはワタシと小娘の問題──」


 何かを察したのかルークが急に黙り込んだ。その顔からは先程までの勢いが消え失せている。キャロルもどこか落ち着きがない。


 二人の変化にティナが内心で首を傾げていると、カツンと足音が聞こえた。そして、地を這うような低い声が耳に届く。


「ルーク。俺のティナに何をしている」

 

 そこには、厳しい顔つきで絶対零度の吹雪を纏うクライヴがいた。

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