第16話 恋文

「どうぞ、お茶です」

「ありがとうございます」


 ティナが出勤した時には、既にレナードは仕事を開始していた。遅刻はしなかったものの、ちょっと肩身が狭い思いでお茶を出す。


 ちなみ彼は、お茶がぬるくならないと口をつけない。知らずに熱々で出してしまった際は、冷めるまで手を付けようとしなかった。クロヒョウ獣人なだけに猫舌のようだ。


 一緒に通勤してきたクライヴはと言うと、ティナを隊舎まで送り届けてすぐに警備隊との打ち合わせへと出掛けていった。


『じゃ、俺はこのまま警備隊へ行ってくる』

『はい、行ってらっしゃい』

『午後楽しみにしてるからな。じゃーな!』


 満面の笑みでそう言うなり、さりげなく頬を撫でていったのだ。最近触れてくる事がなかったので油断していた。しかも、壊れ物でも触るかのように優しく触れてくるので思わずドキリとしてしまった。


──犬っぽいから油断してたけど、クライヴ様って見た目はかっこいいもんね。


 美男美女が多い獣人族なだけあり、クライヴも非常に端正な顔立ちをしている。通用門でキャーキャー言われていたのも頷ける。レナードが中性的な美しさだとすると、クライヴは凛々しいといったところか。


 ティナからすれば、魅力的なのは獣化した姿の方だ。キリリとしたオオカミ姿は貫禄がある。オオカミの毛は硬いのかと思っていたが意外にも柔らかかった。顎から胸元にかけての飾り毛なんてふわっふわだった。


「ティナ嬢、昨日はとても楽しそうでしたね」


 書類を書き上げたらしく、レナードが羽ペンを置いてお茶へ手を伸ばす。昨日とは獣化したクライヴを撫でまくったときのことだろう。


「はしゃいでしまってお恥ずかしいです。でも、立派な爪も牙もかっこ良かったです」

「それは良かったです。そのうちブラッシングでもしてやれば喜びますよ」

「あっ、午後からブラッシングの約束をしまして…」

「それならゆっくり時間を取って下さい。動物の世話もティナ嬢の仕事の内ですから。それに、犬の抜け毛は凄まじいですので」


 さりげなくクライヴが動物扱いされているのは気のせいだろうか。しかもオオカミではなく犬扱いだ。


 レナードからすれば、クライヴとティナの距離が近付くのは願ってもいない状況なのだ。駄犬と化しつつあるクライヴもティナと結ばれれば多少落ち着くだろう。そんなことを腹のうちで考えられているとは、ティナは微塵も気付いていない。


「そういえば、獣人族が獣化するのは一瞬なのですね。クライヴ様がオオカミになったのも全然気付きませんでした」


 あの時は、気付いたら膝に顔を乗せて伏せをする犬──ではなかった、オオカミがいたのだ。実はちょっと変身する瞬間を見てみたかったと思っていたりもする。


「…………あまり人前では変化しませんからね」

「確かに。そんなことしたら獣人族だってバレちゃいますもんね」

「……まぁ、そんなところです」


 人前で急に変身したら大騒ぎだろう。獣人族の子供が誘拐される事件だってあるくらいだ。納得するティナだが、レナードの言葉に別の意味が含まれていることをは気付いていない。


 レナードがほどよく冷めたお茶を飲み、止まっていたペンを動かし始めたので、ティナも書類の振り分けを開始する。


 他部署からの依頼、特務隊の隊員からの報告書、中には入隊希望者からの熱烈な自己推薦書まで届けられていた。期限の近いものからレナードへと回していく。


──えぇと、これはこっち。これは急ぎかな。あれ、これはクライヴ様宛の手紙?


 特務隊宛の手紙の中に混ざっていたのは、上質な紙で作られた可愛らしいデザインの封筒。後ろを見ると『プリシラ』と書かれていた。個人的な手紙だろうか。とりあえずクライヴ用の文箱へ振り分けようとした時、レナードから待ったがかかった。


「ああ、そちらは廃棄して構いません」

「えっ?」

「クライヴには不要ですので」


 優しげな笑みだが言っている事は中々に酷い。封も開けずに廃棄とは。というか、レナードは宛名を見ていないはずだ。


「あ、あの……大事な手紙とかだったりは?」

「いいえ、違います。それはクライヴに惚れ込んでいるご令嬢からの手紙です」

「そ、それって…恋文っ!」

「どちらかと言えば、一方的な想いが書かれたはた迷惑な手紙ですね」


 それを恋文と言うのではないだろうか。それにしても、恋する乙女が一生懸命書いたであろう恋文を廃棄と言い放つとは…。ドライすぎるというか、辛辣すぎる。


 レナードは捨てろと言うが差出人の気持ちを考えるとそうもいかない。どうしたらいいか困惑していると扉をノックする音が聞こえた。そして、レナードの返事も待たずに扉が開けられる。


「隊長、報告書貰ってきたよー」


 元気よく入ってきたのは、茶褐色の髪の少年であった。まだ幼さの残る顔つきだが、目を引く美少年だ。


──わ、初めて会う方だ。隊服を着てるから特務隊の方だよね。


 なんとなくだが、どこかで見たような気がしなくもない。そう思いつつも、きちんと挨拶をせねばと思った時、少年がこちらを向いた。そして、ティナを見るなりパァっと明るい笑みを浮かべた。


「お姉ちゃんだー!」

「えっと……あの……」

「……んっ、何それ? うっわ、また来たんだ」


 少年はこちらへやってくるなりティナが持っていた手紙を奪い取った。ティナが止める暇もなく、封を切って中身を取り出す。


「なになに……『クライヴ様に番いが出来たと風の噂で聞き筆を取りました。わたくしという者があるのにどういう事でしょうか?』。うっわぁ、副隊長モテるね~」

「はっきりお付き合いは断ったと言うのに……クライヴも難儀ですね」


 少年とレナードは差出人について知っているようであった。そして恋文かと思ったが、浮気を問い詰めるような内容には驚いてしまった。


「副隊長は、お姉ちゃんにメロメロなのにね」

「えっ? いや、あの…私は別に……」

「恋は盲目って言うけど、ここまでくると怖いよねー」


 意図しない三角関係など絶対にお断りだ。だいたい自分はクライヴに恋愛感情など持っていない。


 それよりも、無邪気に腕を組んでくる少年に困惑した。人懐っこい上に美少年なので、ちょっとしたスキンシップにどう対応したらいいか分からない。さすがに、クライヴのときのように頬を引っ叩くわけにもいかない。


「リュカ、離れなさい。ティナ嬢が困っているではないですか」

「えぇ~、ボクとお姉ちゃんの仲じゃない」


 同意を求めるように見つめてくる愛嬌たっぷりの黒い瞳。どこかで見覚えのあるそれは、昨日見た可愛らしいキツネと全く同じであった。レナードが呼んだ名前で確信へと変わる。


「えっ? ……リュカ君!?」

「はーい、キットギツネのリュカだよ~」


 ティナが驚くのを面白がるようにリュカはニッと口角を上げた。少年らしいその表情は、世のお姉様方を虜に出来そうな愛らしさだ。


人化じんかして会うのは初めてだもんね。びっくりした?」

「び、びっくりしました。人化したリュカ君も……素敵ですね」

「えへへ~」


 年下ゆえか、つい可愛いと言ってしまいそうになったが、そこは言葉選びに気を付けておいた。15歳の少年なら多感なお年頃だ。可愛いとは失礼だろう。


 素敵と言われたリュカは嬉しそうに顔をほころばせる。獣化していた時にも見せたあの笑顔だ。無邪気な美少年の姿に可愛いキツネ姿が重なりほっこりしてしまう。


「……リュカ、さっさと書類を寄こしなさい」


 褒められて嬉しそうにしていたリュカがビクリと肩を震わせる。

 リュカは報告書を届けに来たのだ。ティナは自分がレナードの仕事の邪魔をしていたと気付く。


「す、すみません。仕事の邪魔してしまいました」

「いいえ、ティナ嬢は悪くありませんよ。全く。これっぽっちも。普段から不真面目なリュカが悪いんです」

「えっ……いや…えっと…」


 きっぱりとリュカの非を口にするレナードに、なんと言えばいいのか言葉を詰まらせた。そうやってレナードがティナと話している隙を狙い、リュカがそろりそろりとレナードの机に書類を置く。


「……リュカ」

「はいぃ! ごめんなさいっ!」


 じろりと睨まれたリュカは、すばやくティナの背に隠れてしまった。よく見るとふわふわの大きなキツネ耳が出ている。


「リュカ君……耳が……」

「えっ? うわっ! 隊長が怖すぎてうっかり耳出てる!」

「人聞きの悪いことを言わないで下さい。お前の人化が未熟なのでしょう」

「だって隊長の威圧感は半端ないんだってばー。睨まれるとぞわっとするんだよ」


 二人のやりとりに苦笑するティナは、すっかりクライヴ宛の手紙の事を忘れてしまっていた。

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