第11話 もふもふ毛玉
ティナが特務隊で働き始めてから早くも一週間が経った。最初の数日は、整理整頓と掃除に時間を費やしていたが、最近では隊長補佐らしい仕事もこなしている。
他の隊員とは、ヒグマ獣人のダンと会って以降、誰とも会えていない。レナードが「獣人族は警戒心が強い」と言っていたので、まだ警戒されているのかもしれない。
「あら、子リスちゃん。今日も頑張っているわね」
「レオノーラさん。はい、大分慣れてきま──」
「あ、ティ~ナ~!」
遠くから尻尾──ではなく、手を振ってくるのは副隊長のクライヴだ。
初出勤の耳舐め事件以降、過度なスキンシップはしなくなった。毎朝通用門まで迎えに来てくれるということもあり、今ではそこそこ普通に話せるようになった。
しかし、隙あらば口説こうとしてくるのは変わらない。それさえなければ噂通り凛々しくてかっこいい人だと思うのだが、中々に残念な人だ。
ぶんぶん手を振ってくる姿についつい苦笑する。それにしても、この姿はとある生き物を連想させる。
「…………犬」
「あははは……」
どうやらレオノーラも犬に見えていたらしい。ティナは空笑いをしながらクライヴへ手を振り返した。ただそれだけなのに、クライヴはものすごく嬉しそうだ。
「副隊長にセクハラされたら言ってね。隊長に言いつけるから」
「あ、ありがとうございます」
レオノーラが美しい笑みを浮かべるが、手をパキパキ鳴らしていて少し怖い。
「子リスちゃんは今から鍛錬場? それ新しい備品よね?」
「はい。古いのと交換するついでに少し草むしりをしようかと」
「働き者ね。あんまり無理しちゃダメよ」
むにっと頬を突かれる。それからレオノーラは、ブーツの音を響かせて去っていった。美人は何をしても様になる。うっかり見惚れてしまった。
すぐにハッと我に返ったティナは、当初の予定通り鍛錬場へと向かった。持ってきたのは、新品の草刈り鎌とバケツ。
先日、底の抜けたバケツに柄の部分が潰れて刃のひしゃげた鎌を見つけたときには、しばらくフリーズしてしまった。いったい何があったのかはいまだに謎である。
「よし、やるぞー!」
倉庫の掃除と同じく、腕まくりをして気合いを入れる。今日の仕事は、鍛錬嬢周辺の草むしりだ。
レナードによると、8割方は隊員が草刈りをしたらしい。事情があり、残り2割がまだ終わっていなかったそうだ。その事情というのが、ひしゃげた鎌と関係しているのかは分からない。
そういうわけで、残りの2割の草むしりはティナが引き受けた。
新調した草刈り鎌を使い、ザクザクと雑草を切り取っていく。新調したバケツへ雑草を入れていくと、あっという間に山盛りとなった。
「ふぅ、こんなものかな」
丸まっていた体をほぐすようにググッと伸びをする。鍛錬場もすっきりして、やり遂げた充実感がある。あとは、雑草を袋に入れ一時的に物置へしまえば終わりだ。
「あれ、あそこにいるのって……」
ティナが見つけたのは、木の枝にとまる一羽のワシだ。鋭い脚で枝をつかみ、鋭い目でじっと何かを見つめていた。
「そういえば、ココに来て見かけた動物はあのワシだけだなぁ」
特務隊には動物も数多くいると聞いたが、思ったより見かけていない。ちょっと楽しみにしていただけに残念ではあった。
「それにしても、何を見てるんだろう。獲物でもいるのかな?」
ティナがいるのは気付いていそうだが、ワシは一切ティナへは視線を向けない。ただ一点をじっと見つめていた。
ティナも釣られるようにその先へと視線を移す。そしてそこに小さな生き物がいるのに気が付いた。
「……あっ!」
大きな声をあげかけ、慌てて口を閉じる。
ティナが見つけたのは、茶褐色のふわふわな毛皮の生き物。ティナの声に目を覚ましてしまったのか、大きな口を開けてあくびをしている。
──犬? それともキツネ?
犬にしては耳が大きい。どちらかといえば、フェネックのような姿だ。
もしかして、あのワシはこの小さな毛玉を狙っているのではないだろうか。そう思ったティナは、いても経ってもいられなくなり、そっと毛玉へと近づいた。
サクリ、という足音に気付き、小さな毛玉がティナの方を向く。毛玉は再度あくびをした後、むくりと起き上がりじっとティナを見据えた。警戒しているのだろうが、逃げる様子はない。
大きな耳にふわふわとした尻尾。その尻尾の先は僅かに黒い毛色をしていた。体は思っていたよりも小さく、尻尾を入れても一メートルにも満たない大きさだ。
驚かせないよう注意を払いながら、しゃがんで膝を付いてみる。キツネらしきふわふわ毛玉は、ティナが近くに来ても気にすることなく、後ろ足でカカカッと耳裏を掻いていた。
「そこにいると危ないよ。食べられる前にどこかに逃げなさい」
ティナが優しく声をかけると、ふわふわ毛玉はピタリと動きを止めた。大きな耳がピクピク動いているので、こちらに興味を持っているようだ。
本来であれば、自然界での出来事に人が手を出すのはよくない。可哀想ではあるが、食物連鎖というのも自然界が成り立つには必要なことなのだ。
だが、もしこのキツネが隊員の誰かと親しくしている動物なら。そう思うと放っておくわけにはいかなかった。
そんなことを思っていると、予想外の出来事が起きた。なんと、ふわふわ毛玉がティナの方へと近付いてきたのだ。
「えっ……ええ!?」
普通なら野生動物が人に近寄ってくることなんてない。たいていの動物は人に対して警戒心というものがあるのだ。
ふわふわ毛玉は、ぽてぽてと効果音が付きそうな可愛らしい歩みでティナの傍までやって来た。ティナの周りをうろうろしながら、ふんふんと匂いを嗅ぎ始める。ひとしきりティナの匂いを嗅いだ後、ティナの足にひょいっと前足を置いて立ち上がった。
──か、可愛いっっ!!
くりくりの瞳がティナを見上げ、コテンと首を傾げてくる。その仕草の破壊力たるは凄まじいものがあった。動物との触れあいに飢えていたティナは、その愛らしさに一瞬で心を奪われた。
「……きゅーん」
前足でカリカリしながら、もふもふ毛玉が甲高い声で鳴く。それはまるで「抱っこ」と甘えてくるようだった。
「か、可愛い……。野生動物がこんなに人懐っこくていいの?」
おそるおそる手を伸ばしてみると、もふもふ毛玉は大人しく抱き上げさせてくれた。暴れることもなく大変大人しい。片手でお尻を支え、自分の体にくっつけるように抱きなおすと、もふもふ毛玉はご機嫌そうに一声鳴いた。
「きゃん!」
「はぅ……可愛い……」
ティナは、もうすっかりふわふわ毛玉にメロメロになっていた。耳裏を掻いてあげると、気持ちよさそうに目を細めてくれる。
ちらりと木の上を見上げれば、ワシはまだこちらを見ている。やはりこのままこのキツネを一人置いていくのは危ない。
「そうだ。レオノーラさんに安全な場所でも聞いてみよう」
「きゃう?」
「ごめんね。ここにいると危ないから一緒に来てくれる?」
「きゃん」
元気よく返事をしたキツネに自然と笑みになる。とりあえずキツネも了承してくれたし、まずはレオノーラを探そう。
そう思ったとき、ちょうど隊舎から出てくる二人の人物を見つけた。
「おや」
「ティナ!」
鉢合わせしたのは、レナードとクライヴであった。
しかし、破顔したクライヴはティナの腕の中にふわふわの毛玉がいることに気付き動きを止めた。嬉しそうだった顔が一瞬にして驚愕へと変わる。
「なっ!? そ、そいつ……!」
クライヴは、なぜかふわふわ毛玉を凝視して目を見開いている。レナードも「おやおや」となぜか驚くような表情を浮かべていた。
「あの、このコは鍛錬場にいたんです。ワシが狙っていたようでしたので、どこか別の場所に移してあげようかと思いまして」
「なるほど……」
話を聞いたレナードが、目を細めて鍛錬場の方へと視線を向ける。気のせいだろうか、その視線はどこか鋭い。
やはり野生動物に手を出すのはよくなかっただろうか。ティナが余計なことをしてしまったかと不安を抱き始めた時、クライヴがびしりと指を指した。それはティナにではない。ティナの腕の中にいるふわふわ毛玉にだ。
「リュカ! お前ティナに抱っこされるなんて! 羨ましすぎるっ!」
「えへっ。なーんだ、バレちゃったかぁ」
「………………へ??」
まだ少し幼さの残る少年の声。それは確かに腕の中のキツネから聞こえた気がした。ティナは仰天して腕の中にいる愛らしい毛玉を見下ろした。
「それにしても、抱っこ上手だね。動物に詳しいってのは本当なんだね~」
ふわふわ毛玉は、ティナを見上げるとにぱっと笑った。──そう、笑ったのだ。
「ええぇぇぇーーー!!!!!」
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