第10話 ヒグマとの遭遇

「よーし、やるぞー!」


 グイっと腕まくりをしたティナは、己を奮い立たせるために気合いを入れた。目の前には雑多に積み上げられた大量の箱。ここはゴミ捨て場ではない。一応、特務隊の備品倉庫である。


 初出勤でこの倉庫の整理整頓が最優先と判断したティナは、さっそくレナードに掃除をしたい旨を申し出た。すると、申し訳なさそうな顔をしつつも切実な声で「ぜひお願いします」と即答されたのだ。そういうわけで、今日は一日倉庫の掃除をすることになった。


 まずは無造作に積み重ねられた箱を、すべて廊下へと出していく。軽い箱の上に重い箱が乗せられていたり、箱を横からこじ開けたような跡があったりと、見れば見るほど適当さが目に付く。


 倉庫から箱を出しては中身を開封。何が入っているか確認し、箱にメモを残していく。地道で時間のかかる作業だが、今後のためにも必要な作業だ。


「あれ……これ、さっきもあったような」


 中身を見て気になったのだが、いくつか在庫が被っている箱がそこそこあった。消耗品だから多めには注したのか。それとも、在庫管理がなっていないのか。後者であれば要改善だ。


 床にある箱をすべて廊下へ出し終えたティナは、最後の大物へと睨みを向けた。


「よし。あとは……」


 視線の先にあるのは、棚の一番上に置かれた箱。なぜそこに置いたのだと言いたい。


「……あんな高いところにどうやって置いたのよ」


 倉庫の中には台になりそうなものはない。仕方なしに手を伸ばしてみる。すると、意外にも手が届きそうなことに気付く。


「うぐぐぐっ……あと……ちょっと……」


 背伸びをし、指をぴんと伸ばす。あとほんのちょっと。箱を取ることに集中していたティナは、背後から近づいてくる人物に気付かなかった。


 そのため、背後からぬっと伸びてきた腕に心臓が止まるかというほど驚いた。


「ひっ……わっ! わわっ!」


 つま先立ちだったティナは、驚いた拍子に体勢を崩してしまった。ぐらりと体が傾ぎ、反射的に目をつむる。


 しかし、いつまで経っても衝撃はやってこない。おそるおそる目を開くと、目の前には大柄の青年が無表情でこちらを見ていた。


「……無事?」

「あ、えっ? ……は、はい。あ、ありがとうございます」


 先程の腕とティナを支えてくれたのがこの青年だと分かるまでに少々時間を要した。その間に青年はティナを立たせると、棚の上の箱をいとも簡単に取った。


「これ……どうするの?」

「あっ……えっと……廊下にお願いします」


 青年はコクリと頷くと箱を廊下へと運んでくれた。


 隊服を着ているので多分特務隊の隊員だろう。無表情なうえに、体が大きいのでちょっと怖い。


「あの……隊員の方ですよね?」

「ん……」

「わ、私は新しく入ったティナと言います。先程はありがとうございました」

「ダン……ヒグマの獣人。よろしく……」


 ダンと名乗った青年は、淡々と答えながら、もう一つあった箱も軽々と運んでくれた。がっしりした体躯に太くてたくましい腕。ヒグマならばこれだけ大きな体なのも納得だ。


 ティナが観察めいた視線を向けてしまったせいか、ダンはふいっと視線を逸らした。その視線は空になった倉庫を見据えている。


「次……何するの……?」

「へっ? あっ、次は棚や床を拭こうかと」

「分かった……」


 短い返事をしたダンは、隅に置いていたバケツを見つけ、雑巾を絞り始めた。あまり掃除は慣れていないのか、雑巾の絞り方がおかしい。しかも、力が強いせいで雑巾が千切れそうだ。


「あ、あの、掃除なら私がしますので」

「手伝う……」

「先程ので十分です。ダンさんは隊のお仕事があるでしょうし……」

「これも……仕事……」


 ダンはそれ以上は語らず、ぎちぎちに絞った雑巾で棚の上を拭き始めた。


 正直、ティナでは棚の上に手が届かない。もくもくと働くダンを見て、ティナは素直にお言葉に甘えることにした。


「あ、あの……それではお願いします」

「ん……」


 そうして二人で手分けして拭き掃除を始める。主にダンは高いところ、ティナは床を担当する。もともとあまり広くはない倉庫だったので、二人がかりならあっという間に終わらせることができた。


「おー……キレイ……」

「頑張った甲斐がありますね」


 見違えるようにキレイになった倉庫を眺めてダンがボソリと呟く。抑揚のない声ながらも、どこか満足そうなのが伝わってくる。


「次は……?」

「次は備品を箱から出して棚に並べます」

「………何で?」


 ダンが心底不思議そうに首を傾げる。無表情なのだが、なんだか可愛らしい仕草だ。


「棚に並べた方が取りやすいですし。それに在庫管理がしやすくなります」

「なるほど……」


 特段変わったことを言ったわけではないのだが、ダンはまだ不思議そうにしている。この様子からすると彼も整理整頓には無頓着なのだろう。


 ティナは見本を見せるために、箱の中から備品をいくつか取り出した。


「こんな風に並べていくんです。種類ごとに並べておけば、より分かりやすくなります」

「本当だ……見やすい……」

「えっと、今まではどうしていたのですか?」

「匂いで探す……簡単」

「えっ……いや、それは無理……あ、でもヒグマは嗅覚が良いですもんね。それなら可能……なのでしょうか?」


 はっきり言ってティナには無理だ。というか、人族には真似できない。


 しかし、獣人族は五感も優れていると聞く。ヒグマは数キロ先の匂いさえも嗅ぎ取れると言われ、人の何千倍も鼻が利く。獣人族である彼には出来るのかもしれない。


「もしかして、他の方も同じやり方で備品を見つけているんですか?」

「………多分。手当たり次第探した奴もいる……」


 ダンが指差した先には、例のボロボロの箱があった。こじ開けたようなアレである。


「開封したほうが早い気がしますが……」

「壊した方が早い」


 当たり前のように言ってくるダンに、またもレナードの言葉が甦る。『雑』……獣人族は力が強いだけに、何でも力任せなのだろうか。


「ん……?」


 これから整理整頓と掃除は重要だな、などと考えていると、ダンが空中の匂いをクンクンと嗅ぎ始めた。そして、廊下の先をじっと見据える。


「あの、どうかしましたか?」

「来る……」

「えっ?」


 何が、と聞き返そうとした時、ティナの耳にバタバタという忙しない足音が聞こえてきた。そしてすぐに聞き覚えのある声が聞こえてくる。


「ティナーー!!」


 廊下の角から姿を見せたのはクライヴであった。あまりにも勢いよく走ってくるのでの、思わず後退りをしてしまう。


「大丈夫。副隊長……いい人……一応?」

「い、一応って……」


 最後を疑問形にしないでほしい。しかも、なぜ首を傾げるのだろうか。


 そうこうしているうちに、クライヴは二人の目の前までやってくる。そして何故かダンを睨み上げた。


「ダン、なんでお前がティナと二人きりなんだ!」

「手伝い……」

「ずるいぞ! ティナの手伝いなら俺がする!」

「隊長に頼まれた……。副隊長、仕事ある」

「仕事なら速攻で終わらせてきた。後は俺がやる」 


 手伝う気満々のクライヴに、ティナは少し身構える。


 クライヴは黙っていれば凛々しいのだが、二人きりになるのは出来れば避けたい。既に何度もセクハラをされているだ。


「…………それなら、みんなでやればすぐ終わる……」

「えっと……それならクライヴ様も手伝ってもらえますか?」

「おう! 任せろ!」


 忠犬よろしく、せっせと手伝いを始めるクライヴ。ダンはそれを物珍しそうな視線で追うのだった。

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