第9話 忠犬のお出迎え
──困った。非常に困った……。
ティナは自分に集まる視線と、ひそひそ聞こえる話し声にげんなりしていた。
特務隊で働き始めてまだ二日目。それなのに、クライヴの番いであることが城中に知れ渡ってしまったのだ。
──そりゃ、こんな事されたらバレるよね……。
城の回廊を歩くティナの隣には、ニコニコと嬉しそうな顔のクライヴがいる。ちらりと見上げたティナに気付くと、それはもう幸せそうに微笑みかけてきた。
ことの発端はつい先程であった。
ティナは下町に部屋を借りている。新しい職場となった特務隊へは歩きで通っていた。朝の賑やかな通りを抜けて、白亜の城を目指す。
特務隊の隊舎は、エルトーラ城の城壁の中にある。とはいっても、王族が住む場所や政治を行う場所からは離れた場所にある。それでも、城壁の中に入るには一人一人手続きが必要であった。
立派な正門の前を通り過ぎると、城内で働く人が行き来する通用門が見えてくる。使用人募集の時と初出勤の時は正門を使用したので、この通用門を通るのは今回が初めてであった。
初めての段取りに不安と緊張を抱えながらも、周りの真似をして長い列に並ぶ。思ったよりも列はスムーズに流れ、あっという間にティナの順となった。前の人がしていたように、身分証を提示し所属を伝える。少し驚いた顔をされたが、無事通る事が出来た。
ホッと胸をなで下ろしながら門をくぐると、周囲が何やら騒がしいことに気付く。人々の視線の先を追うと、見覚えのある人物が目に入った。
──な、何でここにっ!?
アッシュグレーの髪に人目を惹く容姿。なんと、そこにはクライヴが待ち構えていたのだ。しかも、あろうことかクライヴはティナを見つけるなり嬉しそうに笑み崩れた。
「ティナ! おはよう」
その瞬間、周囲の視線がティナへと一気に集まる。怖い。そして、刺さるような視線がとても痛い。
気まずい空気を感じながらも、おそるおそるクライヴへと声をかけた。
「あの……ここで何を?」
「ん? ティナを待ってたんだ」
「えぇと……急ぎの仕事でしょうか?」
「いや。迎えに来ただけだ」
一瞬、迎えと待ち伏せの違いについて本気で考えてしまう。ティナとしてはこの場合は、待ち伏せの方に一票入れたい。
しかし、クライヴがあまりにもいい笑顔だからか反論する機会を逃してしまう。ぶんぶん激しく揺れるしっぽの幻覚まで見えてきた。これではオオカミというよりも犬──しかも忠犬だ。
「こっちの門を使うのは今日が初めてだろ? 迷ったら大変だから迎えにきたんだ」
「それは……ありがとうございます……」
実を言うと、広い城内を移動して特務隊の隊舎まで行きつけるか不安があった。そのため、迎えに来てくれたのは大変ありがたい。一瞬でも待ち伏せだなんて思ってしまった自分が恥ずかしい。
だが、次の瞬間クライヴはとんでもないことを口にした。
「ティナは俺の番いだからな。どこぞの野郎にちょっかい出されたら困る」
この一言に周囲からは、大きなどよめきが巻き起こった。聞こえてくるのは「あの子は誰だ」「クライヴ様に番い!?」などという驚きの声ばかり。
──こ、こんなところでなに言ってくれてんのよぉーー!!
絶叫したい気持ちを抑えてティナはクライヴを引っ張り、物陰へと隠れた。人目がなくなったところで、勢いよくクライヴに詰め寄った。
「クライヴ様! 番いは辞退すると言いましたよね!?」
「………ティナは俺が嫌いか?」
ティナの言葉にクライヴがしょんぼりとなる。気のせいか、耳を伏せて悲しそうにする犬の姿が重なって見えた。動物好きのティナは思わず言葉を詰まらせた。
「初対面の時は俺もつい舞い上がって……ティナには悪いことをしたと反省しているんだ……」
今度はへにゃんと垂れたしっぽまでもが見え始めた。これではティナがいじめているようだ。
それを知ってか知らずか、クライヴがティナの反応を窺うように不安げな瞳を向けてきた。
「迷惑か……?」
思わず「うぐっ」と言葉を飲みこむ。
ティナよりもずっと強いはずなのに、今は怯えた犬のようだ。動物をいじめているようで大変いたたまれない。
「ひ、人前で番いとか口にされるのは困ります」
「わかった。気をつける」
「あ、あとは……突然抱きつかれたり、舐められたりするのは困ります」
「……善処する」
「あ、あと……その……キスは絶対ダメです!」
「頬とかならいいか?」
なぜそうなる。先程、反省していると言っていたのは噓だったのか。
「つ、付き合ってもいないのにそういうのは困ります」
「そういうもんか? よし、じゃあ結婚しよう」
パァっと明るい笑みを浮かべたクライヴに脱力した。なぜいきなり結婚話へと飛躍するのだろうか。考え方が極端すぎる。
「結婚とはお互いの事をよく知ってからするものです。そんな風に軽はずみにするものじゃありません」
「ふむ……それじゃ、これから毎日迎えに来る。よろしくな」
「………なぜそうなるんですか」
「俺は親睦を深めたい。ティナは道に迷わない。一石二鳥だろ?」
「………いえ、あの……」
もはや返す言葉がない。しかも、番いを辞退するといったことは、完全にスルーされている。
「ところで、そろそろ行かないと遅刻するぞ」
「えっ!?」
「ほら」
クライヴがポケットから懐中時計を取り出す。いつのまにか勤務開始が迫っていた。
「た、大変! 勤務二日目で遅刻だなんて」
「大丈夫だ、近道を案内するから任せろ」
そうして二人が特務隊へと向かって歩き出す頃には、ティナがクライヴの番いであることが城内を駆け巡っていた。現場を目撃していた人から一気に広まったのだろう。道すがらでひそひそと聞こえてくる会話に辟易してしまう。クライヴにも聞こえているはずなのだが、全く気にする様子はない。
──うぅ、番いは辞退したのに……。
とはいえ、これから同じ職場で働くのだからギスギスするのも気まずい。多少距離感がおかしいが、クライヴが悪い人とは思えない。現に今も、小柄なティナの歩幅に合わせて歩いてくれていた。
「昨日はどうだった? レオノーラはちゃんと案内したか?」
「あ、はい。いろいろ案内して頂きました」
「誰かには会ったか?」
「食堂でキャロルさんと会いました。ウサギの獣人なんですね」
「げっ! 何もされなかったか? キャロルにだけは気を付けろよ。あのウサギは万年発情期だから」
「…………」
あなたがそれを言うか、というのは心の内にだけ留めておく。今のところティナの中ではキャロルよりクライヴの方が要注意人物だなのだ。
「そういえば、特務隊は全部で何名の方が在籍しているんですか? 昨日はキャロルさん以外見かけなかったですが……」
「今ここにいるのは九人だ。仕事で外に出ていたり、夜行性で昼間は寝てたりするが……まぁ、そのうち顔を合わせるだろ」
「そうですか。では、ご挨拶は難しそうですね」
夜行性なら昼間に会う機会はそうそうないだろう。一応ティナの勤務時間は朝から夕方までとなっている。
「まぁ大丈夫だろ。ティナが入ったのは隊長が伝えてるし。あいつらも匂いで気付いてるはずだからな」
「………に、匂いっ!?」
さらりと放たれたクライヴの言葉にティナは耳を疑った。
自分はそこまで臭うのだろうか。それは乙女として由々しき問題だ。そういえば、クライヴにも匂いを嗅がれた気がする。
「俺らは獣人族だからな。嗅覚も人族より飛び抜けていいんだ」
「そ、そうですか……」
「ティナは甘い匂いがする。香水と違って野に咲く花のような優しい匂いだ」
「ソウデスカ……」
美形の笑顔に騙されそうになったがセリフがヤバイ。いや、オオカミだから嗅覚がいい故だろう。とりあえず臭い訳ではないようでちょっぴり安心した。
「えぇと……そうなると、皆さんへの挨拶は特段必要ないということでしょうか?」
「ああ、会った時にすれば大丈夫だ。俺らは礼儀なんて気にしないからな」
その言葉にホッとする。
レナードから獣人族は警戒心が強いとは聞いている。だが、隊員達と仲良くなれれば嬉しい。あわよくば獣化した姿も見せて欲しい。
一層、仕事への熱意を燃やしたティナは、自然と笑みを返した。
「ありがとうございます。早く特務隊に馴染めるよう頑張ります」
「…………ティナが可愛いっ」
感動に打ち震えるが如く悶絶するクライヴに、ティナは胡乱な目を向けるのだった。
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