第8話 ふて腐れるオオカミ

 ティナがレオノーラに隊舎内を案内してもらっている頃、クライヴは忙しなくペンを走らせていた。仕事のスピードはいつも以上に早い。それなのに、その顔は仏頂面だった。


 クライヴがふて腐れている理由はただひとつ。ティナとの接点がないことだ。


 レナードの計らいでティナが特務隊の一員へと加わった。それ大いに感謝している。しているのだが、納得がいかない。


「何で指導係がレオノーラなんだよ。ティナは俺の番いなのに……」


 消化しきれない現実を口に出すと、うっかり手に力が入る。ボキリという鈍い音と共にペンが真っ二つに折れた。本日三本目の備品破壊である。


 去り際に見せたレオノーラの勝ち誇った顔ときたら。きっと今頃、二人で楽しく過ごしているに違いない。腹立たしすぎて再度ペンを握る手に力が入る。


「だいたい何でティナが隊長の補佐なんだ。自分の番いがいるくせに……この浮気者め」

「うるさいですよ。レオノーラを指導係にしたのは同性だからです。早く特務隊うちに慣れてもらうためなのですから諦めなさい」

「同性ならフィズもいるだろ」

「彼女に指導役が務まると思いますか?」

「無理だな」

「そういうことです」


 理路整然とした説明には反論の余地が一切ない。ちなみにフィズとは、特務隊に二人いる女性隊員のうちの一名だ。彼女は社交性──いや、協調性というものが欠如している。


「私だって最初はお前の補佐に付かせようと考えていたんですよ。それなのにお前ときたら……」

「何が問題だったんだ? ちゃんと大人しくしていただろ?」


 憮然とした顔でレナードを睨みつければ、なぜだか呆れたように溜息をつかれる。


「……初対面の印象を変えたいんじゃないんですか?」

「ああ、だからキスは我慢した」


 ドヤッと胸を張る。自分としてはかなり理性を押さえた行動をしていた。それは間違いない。


 と思っているのだが、レナードから冷ややかな視線を向けられる。


「クライヴ、いいですか。人族からすれば匂いを嗅いだり、耳を舐める行為はただの変態です」

「…………は?」

「お前の行動は、人族からすれば最低最悪のものです」


 強烈な一言に一気に血の気が引く。


 確かに耳を舐めたのは少しやり過ぎたかもしれない。頬を叩かれたからそれに対しては反省している。


「え……ま、まさか……ティナに嫌われ……」


 この世の終わりのような悲痛な顔のクライブの手元で本日四本目のペンが折れる。無情にも手元の書類には、漏れたインクがしみ込んでいく。


「まぁ、印象は最悪でしょうね」

「さ、最悪……」

「これ以上嫌われたくなければ、過度なスキンシップはやめることです。そのうち避けられますよ」

「それは嫌だ!」


 愛しい番いに避けられるなど耐えられない。まして嫌われるなど想像したくもない。


「人族の番いを持つ者として助言しましょう。まずは焦らずに自分を知ってもらうことから始めなさい」


 レナードの番いもティナと同じく人族だ。そんな彼のアドバイスを、クライヴは真剣に聞き入った。


「相手が警戒しているようなら無理強いはしないこと。ときには引くことも大切です。時間をかけて少しずつ距離を縮めて、信頼を得ていかないといけません」

「じわじわ攻めればいいんだな」

「……言葉は悪いですが、概ね間違いではありません」


 それならばどうするべきか。クライヴの脳が仕事の時以上に稼働する。


「ティナに警戒されずに距離を縮める………あ、いっそ獣化するか」


 名案とばかりに手を叩く。


 クライヴの獣化した姿はアッシュグレーの毛並みのオオカミだ。ボリューミーな尻尾とふっさりとした毛並みが自慢だったりする。動物が好きらしいティナなら、きっと喜んでくれるに違いない。


 そう考えるクライヴとは反対に、レナードの眉間にシワが寄る。クライヴのオオカミ姿は大型犬よりも大きい。その上、爪は鋭利で口から覗く犬歯も鋭い。普通に考えれば、喜ぶよりも怖がられる可能性の方が高い。


「それはやめておきましょう。ティナ嬢は動物が好きなのかもしれません。それよりも、明日からティナ嬢と共に出勤するのはどうですか?」

「通用門まで迎えに行くってことか?」


 理解の早いクライヴにレナードは頷いて見せた。まずはお互いを知ることから始めるべきだ。


「門からここまで少し距離があるので道案内といえば不審ではないでしょう。そこで会話を重ねれば、少しは距離を縮められるかもしれませんよ」

「隊長、ナイスな提案だ!」

「いいですか? スキンシップはダメですからね」

「……ちっ」


 レナードの念押しに、クライヴが小さく舌打ちをする。あわよくば手を繋ぐくらいなら許されるのではと思っていたのだ。


 呆れ顔になるレナードに、クライヴがきりりとした顔でティナへの愛を語る。


「ティナは小柄だから俺のすっぽり腕の中に収まるんだ。華奢で柔らかくていい匂いで……あの大きな瞳が困ったように見上げてくるのがたまらなく可愛い」

「黙れ、変態」


 こんな姿を隊員が見たら呆れ──いや、大爆笑だろう。副隊長としての威厳もなにもあったものではない。


「クライヴ、お願いですからこれ以上問題を起こさないで下さい」

「当たり前だ! 俺を何だと思ってるんだよ」


 心外だとばかりに言い返してくるクライヴにレナードは大きな溜息をついた。既に何度も問題を起こしているというのに、この駄犬は全然理解していない。


「ああ、早くティナ嬢に駄犬の手綱を握ってもらいたい……」

「ティナに散歩されるなら本望だ。喜んで獣化するぞ」

「はぁ………」


 皮肉の通じないクライヴに深い深い溜め息が漏れる。レナードは頭を抱えながらも仕事を再開させるのであった。

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