第6話 初出勤は平手打ちから
「ここが憧れの特務隊…!」
夢にまで見た特務隊。ついにその敷地へと足を踏み入れたティナは、感動に打ち震えた。使用人募集でも訪れたじゃないかというツッコミは受け付けない。
隊長であるレナードがバイト先の食堂へやって来たのは一昨日のこと。ティナは今日から特務隊で働くこととなった。働き手が一人減るというのに、温かく送り出してくれたおやじさんとおかみさんには感謝しかない。
緊張の面持ちで廊下を移動し、以前連れて来られた部屋の前へとやってくる。ここはレナードの執務室だ。
一度大きく深呼吸をして心を落ち着ける。残念ながら緊張度合いはたいして変わらない。それでも意を決して扉を叩く。すぐに「どうぞ」と落ち着きのある声が返ってきて、おそるおそる扉を開けた。
「失礼致します。本日から──きゃあ!」
執務室へと入るなり、ティナの視界は何か──いや、誰かに抱きしめられた。それがクライヴだと分かるまでには、しばしの時間を要した。
「ク、クライヴ様!? い、い、いきなり何をするんですかっ」
「ティナ、会いたかった! はぁ…ティナの匂い…癒される」
「ひぃっ!」
くんくんと匂いを嗅がれて思わず悲鳴を上げる。すーはーすーはーという息づかいがしたかと思えば、ほぅと恍惚そうな溜息まで聞こえてくる。怖い。怖すぎる。
「こんのバカ犬っ! てめぇは待ても出来ねぇのかっ!」
「ああティナ!!」
ベリッっという音がしそうな勢いでクライヴを引き離してくれたのはレナードだ。ドスの利いた声に驚きはしたが、人のにおいを嗅ぐ変態を引き剥がしてくれたのは大変ありがたい。
クライヴはというと、レナードに首根っこを引っ掴まれながらも未練たっぷりにこちらを見てくる。あの様子では今回も反省は一切していない。なので、その視線には気付かぬフリをしておいた。
「レナード隊長、今日からよろしくお願いします」
「ティナ、俺はっ!? 俺には!?」
人のにおいを嗅ぐような変態とは、あまりよろしくしたくない。そう言ってやりたいが仮にも相手は副隊長。このまま無視するわけにもいかないので、曖昧な笑みを返しておいた。
「ティナ嬢、またもやこのバカがすみません。貴女には主に私の補佐を頼もうと思います。決してこのバカ犬の元には付かせませんのでご安心を」
苦笑しながら告げられた言葉に目を丸くする。使用人というから、てっきり掃除や洗濯などの雑用をするのだと思っていた。ぽっと出の自分に隊長補佐などという仕事は大役過ぎないだろうか。
でもまぁ、この隊長のそばなら安心な気がする。何がとは言わないが。
「はぁっ!? なんでティナが隊長の補佐なんだよっ!」
「自分の胸に聞きなさい。未婚のお嬢さんをみすみす危険に晒すわけにはいきません」
「ティナは俺の番いだぞ!」
いや、番いは辞退しましたけど。
『俺の番い』と口にしたクライヴに、内心で深い溜息をついた。あんなにはっきり辞退宣言をしたのに、この人は全く聞いていなかったらしい。
「………クライヴ、黙りなさい」
「うぐっ」
レナードが冷ややかな声でクライヴを一睨みする。さすがのクライヴも隊長には逆らえないのか、何か言いたそうにしながらも口をつぐんだ。
「失礼致しました。業務内容ですが、備品のチェックや書類の振り分けをお願いしようと思っています」
「えぇと…掃除や洗濯などは?」
「それは各々でするので大丈夫。食事も料理人がいます」
掃除も洗濯も料理も業務に含まれない。使用人の仕事としては楽すぎないだろうか。
「特務隊は少々特殊なのです。我々獣人族は警戒心が強いため、使用人にあれこれ世話をされるのを好まないんですよ」
「あ……」
動物は他者が自分のテリトリーに入るのを嫌う。獣人族にもそういったものがあるとは、配慮が足りなかった。もふもふパラダイスに浮かれていた自分が恥ずかしい。
「決して敬遠しているわけではありませんよ。ティナ嬢のことは心から歓迎しています。なにせここにいる者達は雑……ええ、それはもう雑な者ばかりなんです。ティナ嬢がいれば備品を切らすことも、書類が紛失することもなくなるでしょう」
笑顔ながらも言葉の端々から彼の苦労が垣間見えた気がする。使用人なのに補佐という仕事を任せられた理由がなんとく理解できた。
「私で良ければ精一杯頑張ります!」
「ありがとうございます。慣れるまでは指導係を付けますので、遠慮なく聞いて下さいね」
「それなら俺が──」
未だ首根っこを掴まれたままのクライヴがここぞとばかりに手を上げる。それについつい怪訝な表情をした時、扉をノックする音が聞こえてきた。
「ちょうど来たようです。どうぞ、入って下さい」
レナードの入室を許可する声の後、部屋に入ってきたのは濃紺の隊服に身を包んだ女性であった。その姿に目が離せなくなる。
──うわぁ……すっごい美人……。
カツカツとブーツを小気味よく鳴らして歩く度に、サラサラのロングヘアが揺れる。小顔ですらりとした四肢、淡い黄色の瞳はキリリとして、弧を描く赤い唇はどこか色っぽい。『お姉様』なんてうっかり言ってしまいそうな雰囲気の超絶美女だ。
「ティナ嬢。彼女が貴女の指導係のレオノーラです。もちろん彼女も獣人族ですよ」
「あなたが新入りさん? 初めまして、レオノーラよ。これからよろしくね」
「は、はい。ティナと申します。こちらこそよろしくお願いします」
レオノーラと名乗った美女が眩い笑顔で手を差し出してきた。ドギマギしながらその手を握る。彼女の手は触れるのを躊躇うほど、指の先まで細くて美しかった。
同性ながらすっかり見惚れていると、突然体が後ろへと引っ張られた。
「ふえっ!?」
「レオノーラ、俺のティナに色目使ってんじゃねーよ」
犯人はクライヴであった。
見た目よりもたくましい腕がお腹に回され、背後からがっしり抱きつかれている。痛くはないが背中からクライヴの体温が伝わってきて恥ずかしいことこの上ない。というか、俺のってなんだ。クライヴのものになった覚えなどない。
「あら。副隊長には関係ないでしょう」
「大ありだ。ティナは俺の番いだぞ」
「私はこの子の指導係として呼ばれてるのよ」
「それなら俺がやる」
「あら、隊長が認めるかしら?」
「ぐっ…ぐぐっ!」
鋭い眼光で威嚇をするクライヴであったが、完全に言い負けている。もちろん応援する気などないが。
とりあえず今すぐ離してほしい。もぞもぞと動いてみるも、がっしり抱きしめられていて抜け出せそうにない。さっそく指導係の手を煩わせてしまうが、どうにか助けてくれないだろうか。すがるような目で目の前の美女に助けを求めてみる。
「あら。かわいそうに……困った顔しちゃって。……なんだか子リスみたいね」
「だーかーらっ! ティナに色目使うな! ティナは俺のだ!」
違います。あなたのものになった覚えなんてないですー。そう言ってやろうとした時、耳にぬるりとした何かが触れた。
──えっ……? い、いいいいまっ! な、な……なな舐められたっ!!??
そう理解した瞬間、考えるよりも先に体が反応した。
「ひぎゃああぁぁぁーー!!!」
乙女らしからぬ悲鳴と共に、バッチーンと乾いた音が部屋の中に響く。渾身の力でクライヴの腕の中から抜け出したティナが、思い切り平手打ちを繰り出したのだ。
「あら。子リスちゃん、やるわね」
「……あのバカ犬……」
ティナは痺れるような痛みの残る手を押さえながら、不安に苛まれた。
──私、ここでやっていけるのかな……。
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