第5話 突然の来訪者

「ありがとうございました。またお待ちしてますね~」


 店内がごった返すほど忙しいお昼時を終え、ティナは元気な声で最後の客を見送った。そのついでに表の看板を『営業中』から『準備中』に変えておくのも忘れない。


 ここは王都の中でも平民が住む区域にある小さな食堂だ。店主の『おやじ』が作る料理は家庭料理だが、どれも温かみがあり絶品と定評がある。ティナはここで給仕として働いていた。


「今日もお疲れさん。はいよ、まかない」

「わぁ! 今日も美味しそう!」


 恰幅のいい体を揺らしながらまかない料理を出してくれたのは、この食堂のおかみさんだ。おやじさんの奥さんでもある。キビキビと働き、時には酔っぱらいの口喧嘩をピシャリと叱りつけるたくましい女性だ。


 おかみさんと厨房から出てきたおやじさんの三人で席につく。今日のまかないは、お肉がトロトロになるまで煮込まれたビーフシチューだ。口に入れた途端、深い味わいが広がり幸福感に満たされる。これだけで疲れが一気に飛ぶ。


「それにしても昨日は残念だったねぇ。急に中止になるなんてさ」

「だな。あんなに毎日求人情報を見に行ってたのにな」

「っ……!」


 二人の言葉に思わずむせかける。


 副隊長クライヴによる前代未聞の奇行。どう考えてもあれが中止になった原因だ。しかしそれを口にするのはいささか憚られる。そのため、二人には「事情があり使用人募集は中止になった」とだけ伝えていた。


 二人は辺境のド田舎から出てきたティナを雇ってくれた上に、いろいろ世話を焼いてくれる心優しい人達だ。特務隊で働きたいという夢も応援してくれていた。今回だって「ウチの事は気にすんな。長年の夢を叶えてこい」と快く送り出してくれたのだ。そんな二人に変な心配などかけたくない。


「き、気長に待ちますよ。チャンスはまたあるでしょうし」


 正直なところ、あの副隊長がいるとなるとちょっと考えてしまう。昨夜は田舎に帰ろうかと割と本気で悩んだくらいだ。しかし、よくよく考えれば使用人と副隊長ではそうそう接点はないだろ。そう結論付けて、また特務隊で働くために頑張ることにしたのだ。


「そういえば獣人族の人ってえらい美形揃いなんだろう。誰かお目にかかれたかい?」


 おかみさんからワクワクとした期待の目を向けられる。ティナとしては、この話題から逃げたいのだが、こんな瞳を向けられては話を逸らすことは無理そうだ。


「えぇと……隊長と副隊長の方は見ました。確かに整った顔の方たちでしたよ」


 レナードは理知的で紳士的な男性。クライヴはたくましく精悍な男性。ちょっとクセのある方たちだったが、二人ともとてつもなく整った容姿だった。


「はぁ~、噂は本当なんだねぇ。あたしも一目見てみたいもんだよ」

「王都出身のおかみさんでも獣人族の方には会ったことがないんですか?」

「そりゃねぇ。人化していれば獣人族だなんて分からないもんだし」


 おかみさんの隣でおやじさんもうんうんと頷く。どうやらおやじさんも獣人族を見てみたいらしい。


 今更ながら使用人募集に来ていた人達があんなに浮き足立っていたこ訳が分かった。普段お目にかかれないからこそ、あのような機会に一目見てみたいという人が殺到したのだろう。


「王都に住む女の子は、一度くらい獣人族との恋を夢見るもんさ。浮気もしない献身的な旦那……素敵だねぇ」

「おいおい、男だって同じ事を考えたことがあるぞ。誰だって美人で献身的な嫁には憧れるからな」


 図らずも番いの話になり、またしてもむせ込みそうになる。まさか自分が番いとして口説かれたなんて言えない。しかも相手は副隊長だ。


「そ、そうなんですね。田舎では獣人族なんて馴染みがないのであまり詳しくなくて」


 獣人族について詳しくないのは本当だ。人の話で聞きかじる程度の知識しかない。実際、番いについても知らなかったくらいだ。


 それでもティナには一つだけ確信出来ることがあった。


「みんなが憧れるくらい容姿端麗なら、きっと獣化した姿もとっても美しいんだと思います!」

「相変わらずブレないねぇ。年頃の女の子だってのに」

「ティナちゃん目当ての客が聞いたら泣きそうだな」


 ティナの熱い動物愛を前におかみさんが豪快に笑い出す。おやじさんに至っては変な冗談まで言い出す始末だ。


 そんな時、チリンチリンと鈴が高らかに鳴った。これは扉に付けている鈴の音だ。


 ティナ達は同時に扉へと視線を向けた。そして、柔らかな笑みを浮かべて佇む人物に目を見開いた。


「休憩中にお邪魔いたします」


 艶やかな黒髪、老若男女問わず目を奪われるような優しげな微笑み。すらりとした体躯でお辞儀をする様はまるで貴族のような美しい所作。こんな下町などにはそぐわぬ高貴なオーラを纏った美貌の青年がそこに居た。


「なっ……た、隊長さんっ!!」

「ええっ!?」

「何だって!?」

「ティナ嬢、昨日ぶりです。旦那様も奥様も突然の来訪で申し訳ございません。私は特務隊の隊長をしているレナードと申します」


 レナードの丁寧な言葉遣いにおやじさんとおかみさんがむず痒そうな表情になる。食堂では『旦那様』『奥様』なんて上品に呼ばれることはないからだ。


 驚く三人に構わずレナードは店内を物珍しそうに見まわす。彼の周辺だけ別な空間のようだ。


「木の温もりが感じられる良いお店ですね。獣人族は自然を好むので、こういった雰囲気はとても落ち着きます」


 レナードが店主であるおやじさんにニコリと微笑みかける。おやじさんは戸惑いながらも店を褒められて嬉しそうだ。おかみさんはおかみさんで間近に見る獣人族にすっかり目を奪われていた。


 特務隊の隊長がここへ何の用だろう。もしや昨日逃げるように話を終わらせたことへの苦情だろうか。ティナが戦々恐々としていると、レナードが柔らかな笑みを向けてきた。


「実はティナ嬢にお願いがあってやってきたのです」

「へっ……ひゃい!」


 まるで心を見透かしたかのようなタイミングにぴしりと背を伸ばした。うっかり声が裏返ってしまったのが恥ずかしい。


「旦那様と奥様にも関係するお願いなのですが……」


 レナードが申し訳なさそうな視線をおやじさんとおかみさんへ向ける。


「実は彼女を特務隊の使用人として雇いたいのです。ティナ嬢は動物の扱いに長けているとか……そのような方を是非とも我が隊で雇いたいのです」


 まさかの申し出にティナは目を白黒させた。そういえば受付で書いた書類に「動物の扱いには自信があります」と書いた記憶がある。まさかあれを読んでくれていたとは。嬉しい反面、昨日の騒ぎが脳裏にチラつく。


 答えあぐねていると、おやじさんとおかみさんが喜びの声を上げた。 


「ティナちゃん! 良かったじゃないか!」

「夢が叶ったじゃねぇか!」

「えっ……あっ……」

「しかし、看板娘を奪うようで大変心苦しいのですが…」

「なーに、ティナちゃんの夢の方が大事さ。ねぇ、あんた?」

「ああ。こっちは気にすんな」


 おやじさんがドンと胸を叩く。その気持ちはありがたい。ありがたいが素直に喜べない。


「どうしたんだ? 嬉しくねぇのか?」

「えっ……いや、その……」


 さすがにこの場で「番いだから採用されたのですか」とは聞きにくい。煮え切らない態度のせいか、レナードの形の良い眉が悲し気に下がる。


「やはり突然ではご迷惑でしょうか?」

「えっと…その…」

「我が隊にはティナ嬢のお好きな動物がわんさかいますが……」

「っ!!」


 動物がわんさか。この言葉にティナの中の天秤が一気にガクンと傾いた。


 副隊長がなんだ。番いがなんだ。長年の夢であるもふもふパラダイスな職場をみすみす逃すなんてあり得ない。


「是非とも働きたいです!」

「それは良かった。それでは、早速明日からよろしくお願いします」


 こうしてティナは特務隊への雇用が決まった。穏やかなレナードの笑顔にどんな思惑があるのかも知らずに…。

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