第2話 出会い

 エルトーラ王国の象徴であるエルトーラ城は、王都のどこかでも見ることが出来る。遠目からでも目を引く白亜の壁と、いくつもの尖塔が特徴的な建物だ。濃紺の屋根も相まって、青空にとてもよく映える。


 そんな城内の一角。特務隊の敷地では、数多くの人が今か今かとその時を待っていた。今日はここで使用人採用試験が行われるのだ。


「うわぁ~……すごい人」


 はちみつ色の長い髪に、黒曜石のような黒い瞳。小柄な体格のせいで、実年齢よりも幼く見えがちな彼女の名は、ティナと言う。


 ティナもこの使用人採用試験に挑む一人である。意気込みはこの場の誰よりも大きい。何て言ったって、この日のために生まれ育った片田舎を出てきたくらいだ。


「どんな動物がいるのかな。すっごく楽しみ」


 ようやく巡ってきた機会に、うきうきと弾む心を抑えきれない。


 何を隠そうティナは無類の動物好きだ。物心着いた頃から動物が大好きで、図鑑片手に一日中動物観察をするような子供であった。幼少時から書き溜めた動物観察ノートの数は、両の手では数えられない。


 そんなティナが特務隊で働きたいと思ったのは、たまたま村に訪れた商隊が聞かせてくれた話がきっかけだった。


「特務隊には動物がいっぱいいるらしいぞ。クマやオオカミなんかもいて、獣人族が飼い慣らしてるって話しだ」


 獣人族という存在を知らなかった当時のティナにとって、彼らの話は驚愕だった。猛獣を飼い慣らすなんてすごい。特務隊で働いたら、いろんな動物を間近で見れるに違いない。あわよくば動物たちのお世話もできるかもしれない。


 そんな下心──いや、熱い夢を抱き続け、家族や親戚を説得し続けること数年。ティナは18歳になったのをきっかけにこの王都へとやってきたのだ。


 ところが、まさかの事態がティナを襲う。


 特務隊への入隊は獣人族のみしか出来なかったのだ。事務仕事や雑用ですら隊員がこなしているらしい。まさに青天の霹靂へきれき


 人族ひとぞくであるティナは、それを聞いて絶望した。遠い田舎からはるばる王都までやって来たというのに、まさかこうもあっさりと長年の夢が崩れ去るとは…。


 しかし、諦めきれずにあちこちで情報を集めたところ、ごく稀にだが種族を問わず使用人募集をすることがあると聞きつけた。あの日から使用人募集を待って待って一年。ようやくこの日がやって来たのだ。


「クライヴ様にお目にかかれるかしら?」

わたくしはレナード様のお姿を拝見したいわ」

「あら、レナード様には既に番いがいらっしゃるじゃない。クライヴ様はまだ番いがいらっしゃらないから私たちにもチャンスがあるわ」


 聞こえてきたのは女性二人組の会話。彼女たちは場違いなほどに身なりがよい。言葉遣いもキレイで、どう見ても使用人募集に来るような身分にはみえない。


 獣人族は見目麗しい容姿で美男美女が多い。それ故、獣人族とお近づきになりたいという者は数多くいる。おそらく彼女達もそっちが目当てなのかもしれない。


──それよりも番いって何だっけ? えーと……確か……獣人族で言う結婚相手の事だっけ?


 聞きなれない言葉に心の中で首を傾げる。


 いまや獣人族は数を減らしてしまい、エルトーラ王国内でも王都周辺にしかいない。田舎出身のティナは一度もお目にかかったことがない。そのため、あまり獣人族について詳しく知らないのだ。


 それでも、女性達が口にした「レナード」と「クライヴ」という名前は聞いたことがある。レナードという人物が特務隊の隊長で、紳士的な好青年。クライヴという人物が副隊長で、凛々しくたくましいらしい。バイト先の食堂ではいろんな話が飛び交うので自然と覚えてしまった。


 まぁ、番いなど自分には関係ないかと思い、採用試験開始の時を待つ。


 人垣の奥には台が用意されているのがかろうじて見える。おそらく特務隊の人があそこに上がって説明するのだろう。見目麗しい獣人族を一目見ようとする希望者は、前へ前へと陣取っていた。そんな熱気から逃れるように、ティナは一番後ろへと移動する。説明さえ聞こえれば問題はない。


 ティナがようやく後ろへ移動し終わった時、ざわめきと共に黄色い歓声が上がる。その歓声の大きさに背を伸ばして前方を見れば、特務隊のものと思わしき制服を着た二人の男性がやってくるところであった。


 一人は艶やかな黒髪に優しげな笑みを浮かべる男性。もう一人はアッシュグレーの髪に鋭い瞳の男性。遠目ではあるが、どちらもとんでもない美形であった。


「レナード様とクライヴ様よ!」

「レナード様の優しい笑顔……はぁ、素敵」

「クライヴ様も凛々しくてカッコイイ!」


 なるほど、彼らが噂の隊長と副隊長らしい。獣人族だと聞いていたが、見た目はモフモフ感がない――ではなく、見た目は人族と変わらない。


 台の上へと上がると二人の姿がはっきりと見えた。


──キレイな黒髪。何となくだけど二人とも肉食獣っぽい。黒……黒……隊長さんはクロヒョウかな?


 あの艶やかでしっとりと美しいビロードのような黒髪はクロヒョウの毛色に似ている気がする。すらりとした体型ながらもたくましい体格もそれっぽい。


 対してもう一人は、アッシュグレーの髪色だけでは何の獣人か絞りきるのが難しかった。


──灰色の毛色は結構たくさんいるんだよね。イヌ科やネコ科なんて特に。


 頭の中で思い付く限りの動物を挙げてみるが、なかなか予想がつかない。何か特徴的なところはないかと背を伸ばしてみる。


 まさにその時であった。アッシュグレーの髪の青年がこちらを向いた。


──しまった、ガン見し過ぎちゃった。


 流石獣人族。とても気配に敏感のようだ。気まずさから急いで視線を逸らそうとする。


 しかし、青年の顔が驚いたような表情へと変わる。そうかと思えばすぐに嬉しそうに笑み崩れた。


──えっ………?


 周囲から先程とは比べものにならないほどキャーという歓声が上がるなか、ティナは口を開けて目を丸くした。何故か青年はがっつりこちらを見てくるのだ。自惚れではない。先程からずっと目が合っている。


──な、何? 何でずっとこっち見てるの!?


 青年と面識などあるはずがない。なんとなく怖くなり、隠れるように背伸びを止める。だが、さらに予想外の出来事が起こった。


 青年が台を降りて人混みの中へと分け入ってきたのだ。黒髪の青年が何か叫ぶも、人々の歓声やどよめきで何と言っているかは分からない。


──えっ、何かこっちに向かってきてない? 何でっ!?


 思わず後退った。ただちょっとガン見し過ぎてしまっただけなのに何故こちらへ来るのだ。もしや視線がうっとうしいなどという理由で、この場を追い出されたりするのだろうか。それだけは勘弁しほしい。やっと巡ってきたチャンスなのだ。


 訳の分からない状態に頭が混乱する。そうこうしているうちに、青年の顔がはっきりと見えてきた。その顔は予想に反して歓喜に満ちていた。


「やっと見つけた……!」

「ひえっ!?」


 あっという間にティナの目の前までやってきた青年は、がしりとティナの肩を掴んだ。あまりの勢いにティナは小さな悲鳴をあげた。


「あぁ……こんな所にいたなんて」


 青年の目がうっとりと細められる。今や周囲の視線はティナ達へと集まっていた。だが、ティナは周囲の視線に気付かないくらい青年の瞳に魅入っていた。


 肉食獣を思わせるイエローゴールドの瞳。光の加減で金色にも見えるその瞳は、宝石のように美しかった。吸い込まれそうな不思議な感覚に目が離せなくなる。


「俺の愛しい番い」

「へっ? …………んん!?」


 大きな手が壊れ物を触るかのように頬を撫でる。その手が顎を掴んでクイッと上を向かせられたかと思えば、青年の整った顔が間近に近付いてきた。そして逃げる間もなく柔らかな唇が押しつけられた。


 ティナは公衆の面前で、初対面の青年に唇を奪われていた。しかもディープなキスである。


「っ………きゃああぁぁーー!!」


 どよめきの中に響き渡ったのは、バチーンという小気味よい音。ティナが青年の頬を思い切り引っ叩いた音だった。

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