第3話 私が番い!?

──いったい何がどうなってこんな事に……。


 現在、ティナは革張りの大きなソファに座っていた。居心地が悪すぎて自然と体が小さくなる。


 自分は憧れの特務隊に入るべく使用人募集に来たはずだ。それなのに、なぜこんなところへいるのだろうか。気分はまるで事情聴取される容疑者だ。何か悪さをした覚えなどない。むしろ公衆の面前でキスをされたのだから、被害者はこちらである。


「そう緊張しないで下さい。少し話がしたいだけです。あのまま貴女をあそこに残しておく訳にはいかなかったので」


 萎縮するティナを気遣って優しく声をかけてくれたのは、この特務隊の隊長。光沢のある美しい黒髪に、肉食獣特有のイエローゴールドの瞳の青年だ。先程、台の上に上がった人物の一人だ。


「貴女のお名前を伺ってもいいですか?」

「……ティナと申します」

「私は特務隊の隊長を務めているレナードです。そしてこのクソ犬――失礼。これが副隊長のクライヴです」

「クライヴだ。ティナ、末永くよろし──ってぇ!」


 レナードが微笑みを浮かべたままクライヴの頭を殴る。ゴスッという鈍い音に、思わず「ひっ」と悲鳴をあげてしまった。


「改めまして、この度は我が隊の者が無体を働き申し訳ございません。公衆の面前で年若いお嬢さんにあんなことを……本当になんとお詫びをすればよいのやら」

「…………いえ」


 すまなそうに頭を下げるレナードの隣では、クライヴが嬉しそうに微笑んでいる。どう見ても反省の色はない。全力で尻尾を振る犬のようだ。


 特務隊の副隊長クライヴ。王都に来て耳にした話しだと、男らしい精悍な人物で、戦いにおいても勇猛果敢と耳にしていた。しかし、目の前の人物からはそんな気配は微塵も感じられない。普段であれば鋭いであろう瞳は、今は甘さを含みどこか恍惚とさえしている。


──うぅ、すごく気まずいよぅ……。


 クライヴから向けられる好意が理解できない。なぜこんなにも好き好きオーラ全開なのか。


「ティナ、具合でも悪いのか? それなら医務室へ──」

「お前のせいです。少しは場の空気を読みなさい」

「ようやく見つかった番いを愛でて何が悪い。むしろこれでも我慢してるほうだ」


 清々しいくらい変態的な発言をするクライヴにティナは遠い目になった。あんなことをしておいて「これでも我慢している」とはどういうことだ。あれがファーストキスだったのに、と心の中で嘆く。


「あ、あの…それで…私はなぜここへ連れてこられたのでしょうか?」


 この場から少しでも早く去りたい気持ちを胸に、遠慮がちに二人へと声をかけた。二人はハッと我に返ったように言い合いを止める。


「失礼しました。ティナ嬢は我々が獣人族だというのは御存知ですか?」

「は、はい。特務隊の方は全員が獣人族だと……」

「その通りです。私はクロヒョウの獣人で、クライヴはオオカミの獣人です。それで……実はティナ嬢が、このクライヴの番いという事が判明しまして……」

「番い、ですか?」

「一言で表すのならば運命の相手とでもいいましょうか…」


──運命の相手っ!?


 まさかの説明に目を大きく見開いた。うっかり絶叫しなかった自分を褒めてあげたい。


「ティナ、貴女が俺の番い……運命の相手だ。一生ティナだけを愛すると誓う」

「はぇっ!?」


 恥ずかしげもなく口説き文句をさらりと口にするクライヴに、今度こそ素っ頓狂な声を上げた。まだお互いの名前しか知らないというのに、突然のプロポーズなんて訳が分からない。


 盛大に戸惑うティナを見かね、レナードが厳しい口調で割って入る。


「クライヴ、まずお前はティナ嬢に謝りなさい。強制わいせつで捕まってもおかしくないのですよ」

「番いにキスするくらい当たり前だろう」

「初対面の相手にする事じゃないんですよ! 順番を考えなさい!」

「人族だって初対面でキスくらいするじゃないか」


──お願いだからキスキス連呼しないで……は、恥ずかしい……


 穴があったら入りたいとはこういうことを言うのかもしれない。今、自分の顔は真っ赤になっているに違いない。それとクライヴが全く反省していない事だけはよく分かった。


 もう今すぐにでも帰りたい。その一心で勇気を出して二人の言い争いに割って入った。


「あ、あの、私が副隊長様の──」

「クライヴと呼んでくれ」

「えっ……い、いえ……それは……」

「お願いだ、ティナ」


 副隊長という偉い身分の人を呼び捨てにする訳にはいかない。というか、正直呼びたくない。しかし、クライヴは期待を込めた瞳で見つめてくる。その姿がとある動物を連想させる。


──うぐっ……お座りしておねだりしてくる犬……!


 近所の大型犬がよくこうして撫でて撫でてと尻尾を振ってきた。だが、彼は犬ではない。オオカミ獣人で特務隊の副隊長だ。幻覚を振り切るようにギュッと目を閉じた。


――ま、待てよ。これ、名前で呼ばなきゃ話が進まなくない?


 それは困る。言う通りにして早く帰れるのならその方がいい。


「えぇと……クライヴ様?」

「敬称もいらないんだが。まぁ、今はいいとしよう。なんだ?」

「私がクライヴ様の番いというのは本当なのでしょうか? 失礼ですが、先程初めてお会いしたと思うのですけど」

「ああ、ティナとはあれが初対面だな。だが貴女が俺の番いなのは間違いない」


 秒速で即答される。唖然とするティナに構わずクライヴが言葉を続けた。


「そうか、人族ひとぞくからすると不思議に思うのだろうな。獣人族であれば番いかどうかは一目見て分かるんだ。現にティナを見つけた時の高揚感と多幸感といったら……」


 クライヴの瞳がうっとりしたものへと変わる。それにどう反応したらいいのか分からず、助けを求めるようにレナードへと視線を向けた。


 しかし、それがクライヴの気に障ってしまったらしい。


「ティナ、俺以外の男を見ないでくれ。嫉妬のあまりアレを消したくなる」

「け、消すっ!?」


 物騒な言葉に思わず声が裏返る。


「あ゛? てめぇ、上司に向かってなんてこと言いやがる」

「隊長、俺のティナの視界に入らないでくれます?」

「くそオオカミ、誰のフォローをしてると思ってやがるっ!」


 物腰の柔らかかったレナードの豹変ぶりに、心の中で悲鳴をあげる。ドスの利いた声にクライヴを睨む威圧感たっぷりの瞳。先程までの紳士的な姿が跡形もなくて大変怖い。クライヴがさりげなく『俺の』などと言っていたが、二人の雰囲気が怖すぎてツッコむ勇気もない。


「ティナが怖がってるんで今すぐ出ていってくれるか?」

「うっせぇ! お前は今すぐ反省しろっ!」


 二人はまたしても言い争いを始めてしまう。そんな二人を前にティナは激しく後悔していた。


──話についていけない……。もっと獣人族について知っておけばよかった。


 そうすればもっとこの状況を理解できたかもしれない。とりあえず番いというのは運命の相手とのことだが、ようはこの副隊長様に好意を寄せられているということでいいのだろうか。


 いくら眉目秀麗で副隊長という身分でも、公衆の面前であんなことをしてくる人はご遠慮願いたい。従兄にも軽薄な男には気をつけろと言われた。よし、ここはきっぱり断ろう。


「あ、あの……お話は理解しました。それで、番いというのは辞退出来るのでしょうか?」


 この言葉に二人はピタリと言い争うのを止めた。これ幸いとばかりにティナは話しを続ける。


「私には身に余るお話です。クライヴ様であれば私などよりも相応しいお相手がいるはずです。なので、番いというのは辞退させてください」

「…………」

「…………」


 レナードは驚愕し、クライヴは絶望に顔を歪める。なんだろう、この微妙な空気は。副隊長という身分ある者からのお付き合いを、ただの田舎娘が断るなど失礼だっただろうか。


 気まずさに耐えかねたティナは、勢いよく立ち上がった。ここは逃げるが勝ちである。


「そ、そういう訳で…あの……お、お仕事の邪魔になるので、そろそろ失礼しますっ!」


 そう言い残してティナは、逃げるように執務室を後にした。

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