第29話 レオンハルトの勝利

 レオンハルトは焦っていた。ルーチェの救出に目途めどがたったと思った直後での苦戦で、普段従者の協力を得ての鍛錬であればできている筈の対処に思い至らず、その不手際が更に焦りを呼ぶ悪循環におちいっている。

 しかも状況はルーチェが逃げ切れたならそれで終わりではない。むしろ神殿騎士たちがより多く向かったアレンが一番危機的状況に有るはずだ。しかし全体を見回す余裕などとても無いのでその様子を確認する事もできていない。


「くそぉ」


 思わず、普段は使わないような汚い言葉が口を突く。急がなければ、その一念だけがレオンハルトの頭の中をぐるぐると渦巻いている。その負の螺旋らせんを解いたのはルーチェの勇敢な行動だった。追ってくる騎士が重装甲の一人だけになって余裕のできたルーチェは、レオンハルトが苦戦しているのを見てとって援護しようと考えたのだろう。逃げ回りながらこの部屋に辿り着いて一旦地面に放置した荷物を取り上げ、レオンハルトと対峙たいじした騎士の一方に向けて投げ付けたのだ。鍛冶仕事で鍛えているとはいえ、一介の少女が投げ放てる程度の重さ故に、騎士も痛みなどは無かったようだが、突然後ろから頭部に何かがぶつかった驚きで隙ができる。


「うわっ?」

「レオンハルト、今よ!」

「応!」


 ルーチェが必死で作ってくれた好機にレオンハルトは見事に応え、攻めあぐねていた一方を叩き伏せる。一人を欠き連続攻撃が叶わなくなった事で、もう一人の騎士もあっという間にレオンハルトに叩きのめされる。独りルーチェを追うことに専念していた一人も、一対一ではデュラディウスの威力になす術なくたおれる。

 眼前の敵を掃討したレオンハルトは気を緩めることなく、より大きな危険に見舞われているアレンに注意を向ける。神殿騎士たちがどういう基準で人数を振り分けたかまではレオンハルトには判らなかったが、アレンにはルーチェの倍以上の人数が詰め寄っていた。元から部屋が狭い事もあって、甲冑を着込んだ騎士たちの鈍い足取りでも、アレンはあと一歩の所まで追い詰められていた。

 だが目的を目の前にしているために騎士たちは視野が狭くなっており、自分たちにとって最も危険な存在が後ろから迫っている事に気付かなかった。戦闘の最初の部分を巻き戻して観るかのように、再びレオンハルトのデュラディウスが縦横無尽に振るわれ、アレンもあっという間に救出された。

 残ったのは皮肉なことに最初からレオンハルトに対峙していた五人。だが人数は同じでも、先程と違いレオンハルトは焦るような状況に無い。今度こそ回り込まれてアレンやルーチェを狙われないよう、細い通路のようになった部屋をふさぐように位置取りながらゆっくり近付く。レオンハルトの卓越した業前に腰の引ける五人を、ギルベルト司祭がしゃがれ声を張り上げて励ます。


「怖気づくでない。先ほどは二人でも上手く連携して抑えておったではないか。そ奴も余裕ぶって見せておるだけじゃ。後ろの二人を庇わねばならんのじゃから、勢い良く動くことはできん筈じゃ。交互に斬りかかれば何もできん」


 確かに冷静に連携を取られればまだ劣勢を強いられる。だが後ろから声を張り上げているギルベルトには、実際に剣を交える圧力が伝わっていない。甲冑の面越しにも焦りと怯えを感じたレオンハルトは、もう一度神殿騎士団に和解を促す。


「もう諦めていただきたい。先ほどまで十余人を数えた騎士も残るは貴方達だけ、もう決着は付いた筈です。叛逆はんぎゃくを見過ごす事はできませんが、諸卿なりにこの島を案じての決断だったと王宮へ必ずお伝え致します。重ねて申し上げます。もう終わったのです」

「耳を貸すでないぞ。まだ卿らは…儂は負けてはおらんのじゃ。力を合わせ、その見習いを叩きのめせば済むことじゃ」


 老爺ろうや叱咤激励しったげきれいに、今度はこの場で最も幼い少女が最早軽蔑けいべつの色も隠すことなく言い返す。


「レオンハルトを倒しただけじゃこの場を逃れるだけにしかならないわ。貴方達の計画は重力水を秘密で手に入れて、充分な準備をした上で初めて行動しないと何の意味もない。忘れたの?王宮からの調査隊はもう出発してる。レオンハルト一人にこんなに数を減らされたのに、このうえ王宮の騎士団全部に立ち向かえる気でいるの?」


 王宮からの調査隊、は咄嗟とっさの方便だったが、それが神殿勢力に知られていない今は大きな交渉材料になる。戦意を喪失しつつあるのを感じたレオンハルトは危険を承知で構えを解く。甘いかもしれないがレオンハルトは戦いたくはなかった。今までの立ち回りでもデュラディウスの斥力で弾き飛ばされ、中には衝撃で昏倒こんとうした騎士も居るかもしれないが、ほとんどは倒れてしまって甲冑の重みで立てなくなっているだけだ。だがこのまま続ければもしもの事が有るかもしれない。まだレオンハルトには命の重みを背負うほどの覚悟は持てていなかった。

 だがレオンハルトの期待とは裏腹に、司祭は一度定めた道をれることなど思いもよらない様子で歯ぎしりしている。


「ええい、黙れ黙れ!調査隊を言いくるめるのは儂が何とかする。お主らは何としてもこ奴らを始末せい。いったん引き払ってまだ何も手を付けていないように装えば、むしろ調査が済んだということで安心して行動できるわ!」

「そんな上手くいく訳ないでしょう。一度疑われた以上、もう貴方が存命の内に再び王宮に黙って此処へ訪れる事なんてできる筈ない!」


 根幹にあるのが噓とはいえこの舌戦はルーチェに分が有る。元より王宮に秘密裏に全ての準備を整えるのが条件の計画だったのだ。露見のきっかけはレオンハルトとローグライアンの偶然のいさかいだったが、何もかもを完璧に進められると思ったギルベルトの平和惚けした感覚での計画は、些細なほころびから全て無駄になる定めだったという他ない。

 その上何度も説き伏せて計画に賛同させた戦力も失った以上、ギルベルトの計画は完全に頓挫とんざしたと言って良い。ただ独り、若いうちからの野望を挫かれた老人だけがまだ、失われた夢にしがみついている。


「諸卿、司祭様及び神官の方々の捕縛にご協力ください。私も神職の皆様へ刃を向けるのは本意ではありません」


 レオンハルトの言葉にガイラッハがうなずき、のろのろと神官たちを取り押さえようと動き出す。ギルベルト以外の神官たちは観念したように逃げるそぶりも見せない。ギルベルトは逃れようとしているが、高齢の彼を取り押さえるのは容易い事だろう。レオンハルトは騎士たちには指導者に縄打つのは辛かろうと率先してギルベルトを押さえにかかる。

 実際のところシペリュズ神殿そのものを廃すわけにもいかない以上、首謀者であるギルベルト以外の神官たちは赦免しゃめんされるだろう。神殿騎士団は人員を刷新して神殿全体を監視する体制となるだろうが、ギルベルトの高齢を理由に司祭位はより従順な神官に譲られる筈だ。あわや血まみれの惨劇さんげきとなったかもしれない今回の騒動は、平民にとっては穏やかな世代交代と受け取られる結末を迎えるだろう。


「若、お疲れさまでした」

「ああ、何とか皆無事で終われそうだな」

「ほんと。来る途中で一騎当千なんて絵空事みたいに言ったけど。あんなに大勢を一人でやっつけちゃうなんて見直したわ」


 アイク島全土の人心を揺るがしかねなかった事態を早急に収集した手柄は、独断専行とはいえ迅速に対応したハインリヒと実際に行動したレオンハルトの物となる。ギルベルトの両手を後ろに回し、紐で両親指をきつめに縛って抵抗を断念させたレオンハルトは、無理に自分に都合の良い未来図を思い描いて猛った気を穏やかに調えようとして、考えが抜け落ちていた部分に気付く。

 降伏した神官や騎士をどうやって護送すればよいか、レオンハルトには全く思いつかない。彼らが今大人しくしているのは、計画が頓挫した事に加え、もうすぐ現れる筈はずの調査隊本隊に抵抗するのは不可能だと考えているからだ。だが調査隊はルーチェの虚言の中でしか存在しない。

 結局最後まで無事だった五人の騎士が、デュラディウスに弾き飛ばされて動けなくなった騎士たちの鎧を脱がせ、気絶している者には活を入れて、自分たちが敗北した事を告げていくのを横目に、レオンハルトは今後彼らをどう処遇するかを相談すべくルーチェとアレンを呼んだ。

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