第23話 遭遇と撃退
人工物だというディルの主張を裏付けるような、暗闇を綺麗な長方形に切り取る入口に一歩踏み込んだレオンハルトは、足元の感触に驚いて決意もむなしく後ずさってしまう。
「レオンハルト、何か有ったの?」
「いや、すまない。不思議な感触の床だったので驚いてしまって」
「へえ。ちょっと触ってみて良い?」
「ああ、別に危険は無さそうだ。たださっきまで迷っていて言うのもなんだが、手早く頼む」
「わかってるよ」
そう言ったルーチェはレオンハルトと立ち位置を交換するように前に出ると、しゃがみこんでレオンハルトを驚かせた床に手を這わせる。
「本当だ。柔らかいけどふわふわしてなくて、足があんまり疲れずに歩きやすそう。昔お祖父ちゃんが教えてくれたゴムって奴かな?」
「ゴム?ディルが話してくれたという事は作る事ができるのか?」
「この島には材料が無いから無理だって。何でも大陸時代、特殊な樹液を固めて作ったそうだけど…今はこれ以上判らないな。入り口の辺りは砂が入り込んでるからざらついてるけど、中の方はつるつるしてくると思う。滑るほどじゃないと思うけど、前言った通り場所によっては
「わかった。休憩の時に聞いた話では左右の分かれ道は無視しても大丈夫だったね?」
「だと思う。この一年、神殿の人たちはこっそり調査してたんだよね。それがいきなり全力でっていうのは何か大きな貯蔵庫みたいなものを見つけたって事だと思うから、多分分かれ道の先には用は無いと思うな」
「よし、こちらも最初は話し合いから始めるつもりなんだ。変にこそこそせずに進んでいこう」
軽くルーチェと意見を交わして方針を再確認したレオンハルトは改めて洞窟への一歩を踏み出した。
不思議な感触の床は音も吸収するようだが、それでも三人の足音は静かな洞窟の壁に響いて乱反射を繰り返し、十人近くの集団の足音のようにも聞こえた。恐らく先に入っている神殿騎士団が音に気付けば、追跡者の存在に泡を食って動き出すことだろう。
堂々と進むと決めた三人は、デュラディウスの剣身を杖代わりに足元を確かめるレオンハルトを先頭に、ランタンを利き手とは逆の手でかざすアレンがその左後方に、その隣にルーチェが並んで進んだ。
先だってのルーチェの説明では足元は時折の
「う~ん。此処はあんまり重要な区画ではないって事なのかな?」
何度か天井の様子を見たルーチェが誰とはなしに呟く。この洞窟に入り込んでからルーチェは独り言が多い。本来なら同行者と意見交換をしたいのだろうが、彼女の思考にレオンハルトとアレンは追随する事ができず、結果としてルーチェの思い付きはそのまま垂れ流されるばかりだ。
「重要ではない?重力水のような危険な物が有るのにかい?」
レオンハルトが振り返って確認すると、ルーチェは思い付きを整理するように考えながら答える。どの天井裏も管が巡らされている様子は有るが、何か特別な物が設置されている気配が無い。そして等間隔に整備された分岐とその先の同一規格らしい部屋。総合して考えると此処は特殊な役割を与えられていないが多くの空間を必要とする場所、この巨大な建造物にとって住居区画のようなものではないだろうか。
「重力水が危険だって言うのも、建物が壊れて放り出されたからかもしれないよ。ちゃんと制御されていれば安全な道具だったのかも」
最後に推論を述べて結論付けるルーチェにアレンが
「制御できない状況が生まれるのであれば安全とはとても言えないぞ」
アレンの言葉に痛い所を突かれたという様子で髪をいじりながらルーチェが答える。
「そうなんだけどね。これくらい凄い物を作る力が有るならそんな事は起こらないって思ってたのかなって」
「ルーチェ、気にしすぎじゃないかな。確かにこの洞窟が人工物なら王宮以上の力が込められていたかもしれない。でもこの洞窟はもう死んでいる、そして私達は確かに生きている」
ルーチェの言い様が現実と遊離した危険なものを感じてレオンハルトは諭そうとする。ディルやルーチェは自分たちの発明が浸透した後の世界をその手に掴んでいるかのように話すことがたびたび有るが、今回は自分の物ではない架空の技術だ。それは目指すべき目標とも違い、思い描くことがルーチェ自身のためにならないと思った。
ルーチェもレオンハルトの指摘で自分の気持ちがふわふわとしたどこか遠い世界に囚われているのに気付いたらしい。しばらく金髪をかきむしるように弄り回しながら唸っていたが、とにかく今は当面の目標に集中すべきだと切り替えたようだ。話題を意識して切り替えてくる。
「そういえば今のところ魔物は出て来ないね?」
「そうだね。でも別に魔物と戦う為にこの洞窟に来たわけじゃないし、危険が無いならその方が良い」
「そうだけど、お祖父ちゃんから譲られた重力水だけじゃ足りないんだもの」
そういって肩をすくめるルーチェにアレンが不思議そうに声をかける。口調からするとどうやらいつもの
「別に魔物にならなくても重力水は重力水なのではないのか?」
その質問にルーチェは悔しそうに顔を歪めて答える。質問に悪意がない分、かえって技術者としての誇りを傷付けたらしい。
「そうなんだけど…この洞窟の床を濡らしている全部が重力水じゃないの。ただの水かどうかをいちいち探っていく訳にもいかないし」
「一目で見分ける方法は無いのか」
「有るというか、重力水なら見た目は水みたいだけど、触ってみると重くてねっとりしているから手に取ってみれば確かめられるよ。でもそんなことを全部確かめるよりは、一回魔物として活性化したのを抑えた方が早かったってお祖父ちゃんも言っていたよ」
「なるほど」
二人が後ろで話しているのを聞きながら、レオンハルトは道の凹凸を確かめつつ先を歩く。ルーチェはすぐ判ると言っていたが、もしもの時の為に警戒も怠ってはいない。だが二人の話している内容で、重力水を大量に確保する事の重要性には思い至り、ルーチェに確かめる。
「じゃあルーチェ、今回の神殿騎士団の一斉の行動には、やはり大量の重力水の存在が有ると考えても良いのか」
「こら」
尋ねて振り返ったレオンハルトの額をルーチェが突いて見せる。何気ない仕草のようにルーチェは振舞ったが、二人の身長差ではかなりの難事だったのだろう。隣でその様子を見ていたアレンが苦笑とも言い切れない表情を見せている。
「急に何だい、ルーチェ」
「先入観は持たないように気を付ける、という話だったでしょ」
「そうは言っても、他に何か思い付くのかい?」
「そう言われると困るけどね。でも洞窟の向こうに広くて良い農地になりそうな土地とか、新しい鉱脈が見つかったということもあるかも。アイク島の測量からもこの洞窟の周辺だけは危険だから外れているんだし」
ルーチェの主張は言われて無理やりに思いついただけのような気がしてレオンハルトはじっと見つめる。視線の意味が判っただろうルーチェはやはり決まり悪げにまた髪をいじって目を逸らす。
「大事なのは先入観を持たないことよ。わかったらちゃんと前を向いて歩いて」
しばらく見つめ合ったが、ルーチェは謝らずに強弁することに決めたようだ。気を抜いてはいけないという所は同意してレオンハルトも前を向く。アレンがいつものようにルーチェの非礼を
アイク島では滅多に起こらない地震かと思ったレオンハルトが腰をかがめてバランスを取ろうとしたその刹那、ランタンに照らされた狭い視界の隅から何かがするすると近づいてきたのが見えた。大人が一抱えするほどの大きさの、明かりを反射して鈍く光るその物体に本能的な嫌悪感を感じたレオンハルトがデュラディウスを一閃して払いのけると、わずかな抵抗とともに物体は弾け飛んで姿を消した。
おぼろげに危機を脱したことを察したレオンハルトが、それなりの質量があったはずの物体がどこへ消えたのかと
「若!」
「レオンハルト、大丈夫?」
「あ、ああ。何ともない。しかし一体何が起こったんだ…」
「レオンハルト、今のが魔物よ。直前に景色が揺れたような気がしたでしょう?」
「今のがそうなのか。何が起こったのか全く分からなかった」
「それでもちゃんとやっつけたんだから流石よ。ほんとに怪我とかしてない?」
「うん、それは大丈夫。ではさっきのは地震ではなかったんだね」
「俺も地震かと思いましたが、では先ほどの揺れが教わった前兆ですか。確かに気付かないというのは有り得ませんね」
また襲われる危険が頭の隅に有ったが、慣れ親しんだ顔を見ずにはいられずレオンハルトが後ろを振り向く。やはり二人も有り得ないと言いつつ不安なのだろう、辺りを何度も確認している。二人もレオンハルトの視線に気づいて顔を見合わせ、しばらくお互いを
「う~ん、実験で予測しながらとは全然違うねぇ。まだちょっと怖いよ」
怖いと言いつつもやはり慣れがあるのだろう、最初にルーチェが口を開く。
「そうか、ルーチェは魔物自体は見た事が有るんだったっけ」
「うん。それでももう二、三年はそんな失敗も無かったし。レオンハルトは凄いね」
「いや、何もわからないままとりあえず振り払おうとしただけだったよ。デュラディウスが空振ったらとんでもない事になっていた」
「
「それにしても魔物は死体も残さないんだね、まるで悪夢を見た気分だ」
「うん、しばらくまっすぐ動くか、何か固いものにぶつかるかすると元の重力水に戻るんだよ。その辺り、地面が濡れてない?」
「確かに。ではこの液体が重力水なのか。ルーチェはさっき欲しがっていたけど持っていくかい?」
「欲しいのはやまやまだけど、よく考えたら容器が無いよ。ああ、失敗した」
緊迫した状況を和らげるように大げさにため息をつくルーチェの言葉にレオンハルトもアレンも笑い、強張った心身がほぐれた三人は再び洞窟の奥を目指して歩き始めた。
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