第22話 魔物について

 魔物についての講義となって、レオンハルトは初歩から確認していく事にした。認識の誤りが怪我、ともすれば命に関わるかもしれないからだ。


「そもそも魔物は倒しても倒してもまた現れるものなのかい?」

「ちょっと違うかな。魔物は生き物ではなくて重力水が変化した特殊な状態だってのは知ってるよね?魔物として活性化する前の重力水は本当に小さな水滴だから、二十年前の採集の時に調べた箇所でも見落とした物も多いの。さっきも言った通り洞窟の中は明かりなんて無いしね。だから取り損ねた重力水が今でも洞窟に残って、時々魔物に変化するってわけ」

「うん…」


 今でも洞窟に重力水が残っているという理由は分かった。しかしレオンハルトには更に気になる事があり、生返事を返してしまう。


「なあに?納得がいかない事が有ったら今のうちにどんどん聞いて。洞窟で魔物と向き合ってる時に聞かれても困るよ」

「重力水が変化するのは決められた軌道に沿って動いた時の筈だったね?洞窟で放置されているのに動き出すことが有るというのが理解できないんだが」

「ああ、それ…あたしもお祖父ちゃんに聞いてみたことがあるんだけど、お祖父ちゃんも当時は重力水の効果も知らなかったし、何が原因だったのかは判らないって」

「何でも聞いてと言っておいてその答えはないだろう、ルーチェ殿」


 アレンが呆れたように口を挟むが、ルーチェもさすがにばつが悪いようで困ったような表情を作るだけで、いつものように噛みつかない。正解を口にしている自信がない様子で恐る恐ると推測を語る。


「洞窟に吹き込む風とか、何か偶然動いた時に床の裂け目とかでそうなっちゃうんじゃないかな」


 曖昧あいまいな答えだが、レオンハルトは魔物が今も現れるということが解っただけで満足する事にして次の話題に移る。


「あのディルでさえ判らなかったと言うのであればしょうがないな。それで魔物が生き物でないというのは何度も聞いたが、そうすると魔物に食べられるというのはどういう事だろう?」

「うん、それなら答えられる。魔物になっている時の重力水はただ大きくなっているんじゃなくて、周りの物を自分の中心に引っ張る力を発しているの。重力水って名前もその引っ張る力が大地の重力と同じだとお祖父ちゃんが思ったからなんだよ。

 ただ重力よりはよっぽど強い力だから人間の体くらいの柔らかい物なら引きちぎられてしまうの。金属なら大丈夫みたい。魔物を退治したって記録はお爺ちゃんたちの冒険より前にも残されているけど、要するに引きちぎられない程の硬さの物で弾き飛ばした時に、衝撃しょうげきで元の重力水に戻ったって事みたいだよ」

「ではデュラディウスでも大丈夫なのかい?魔物の力でデュラディウスの中の重力水が反応するとか、そういう危険はないだろうか」

「それも大丈夫。そもそもデュラディウスやハイ・メイスは振った力を増幅しているんじゃなくて、物を押し退ける力、前に話した斥力を発しているんだもの。何かを弾き飛ばすならむしろうってつけの武器よ」

「なるほど。では安心して使えるな」

「しかし若、正確に叩きつぶさなくては危険ですね。もちろん若の腕前を信じてはおりますが、不意を打たれてすぐ近くに魔物が現れたら…」


 確かに暗い洞窟の中で重力水がいつの間にか魔物に変化したとき、冷静に対処できないかもしれないとレオンハルトも思って、ルーチェに対策はないかと視線を向ける。するとルーチェは心得た様子ですぐに返事を寄越す。


「重力水が魔物に変化する時って凄くはっきり判るよ。どう伝えたらいいか判らないんだけど、世界が一瞬ぶれるような感じがするの。大体うちの工房の天井まで位の広さなら絶対気付くよ。それと意思があって襲ってくる訳じゃないから動きは常に一直線」

「そうか、それなら安心しておこう。他に探索する上で気を付ける事は何か有るだろうか…」


 魔物、そして重力水がどのようなものか、今までルーチェが研究の中で発見する度に嬉しそうに話してくれた事なども思い返して、今何に注意するべきかとレオンハルトが悩んでいるとルーチェは思わぬ方面からの注意事項を告げてくる。


「そう言えばレオンハルトはデュラディウスを狭いところで使った事有る?」

「え?いや、騎士団の訓練は常に王城の中庭で行っていたし、屋敷でも周りに被害の無いよう気を付けていたよ」

「それが大きな問題よね。洞窟の広さの事考えて振ってね」

「そうか。確かに狭い場所での鍛錬の経験は無い。魔物の出現に兆候が有るというなら、慌てて壁に引っ掛けない様にしなくてはいけないな」

「魔物は別に驚くほど動きが素早いという訳でもないから、レオンハルトなら大丈夫だと思う。ちゃんと守ってね」


 少し楽しそうに話すルーチェに困った表情で応えたレオンハルトだが、心中ではルーチェとアレンの命をも預かることになると気付いてやや怖気おじけづく。レオンハルトは今の今まで戦うのは自分一人で危険を背負うのも自分だけなのだと勘違いしていたが、二人も共に洞窟に入るのなら魔物に襲われるのが必ずレオンハルトだとは限らない。そこまで考えて無理に二人を伴わなくても、神殿騎士団と対峙するのは自分一人で良いのではないかと考えて、二人に入り口で待つことを提案する。


「ルーチェ、アレン、戦う術を持つのは私一人なのだから、二人には洞窟の入り口で待っていてもらうというのはどうかな?」

「若おひとりに危険な事をさせる訳には参りません。俺は当然お供します」

「アレンのはなんだか自分に酔っちゃってるだけみたいに思えるけど。それは駄目よ、レオンハルト。本気で自分は一騎当千の腕前で、神殿騎士が束になってかかってきても切り抜けられるなんて考えているの?神殿の人たちの真意を知るために一度は正面から話し合う必要が有るけど、何かあるならその後は一人でも王都に逃げて騎士を集めなきゃいけないんだから」

「逃げるだって?」


 レオンハルトは今まで考えもしなかったルーチェの言葉に虚を突かれて、オウム返しに問い返すとルーチェは呆れた様子で繰り返す。


「まさか本当に全員に立ち向かうつもりだったの?何人居るのよ」

「神殿騎士団は五十人が定員の筈だが」


 アレンが思わずといった口調で答えると、ルーチェはますます呆れたという表情を深める。


「いや、忘れてくれルーチェ殿。言いたい事は判るとも」

「だが騎士として逃げるというのは抵抗がある」

「馬鹿々々しいことを言わないで。まあ敵対すると決まったわけじゃないし、大事なのはもし何かが起こってるなら王都に知らせる事なんだからね」

「ルーチェが正しいのは判っているよ。冷静に対応する、何か有ったら素直に退却する、それで良いね?」

「うん。あとは言いくるめられないようにあたしも口を挟むからね」

「信用が無いな」


 レオンハルトが情けなさそうに肩をすくめると、ルーチェは当然だと言わんばかりに胸を張る。


「さっきレオンハルトは中立の立場でいるように勧めたからね。あたしは疑う立場で行くわ」

「いやルーチェ殿、平民が割って入ると話がこじれるような気がする。なるべく若を介して問いかけるようにした方が良い」


 今度はアレンが主張する。これももっともな話なので、ルーチェも逆らわず受け入れる。大体方針がまとまったと思ったレオンハルトは、休憩を終えて移動を再開することにする。アレンの息も整っているし、ルーチェも話し始めた時は頻繫ひんぱんに腰をさすっていたが今は気にする様子がない。


「よし、それじゃ二人ともそろそろ行こうか。もうすぐ例の洞窟も見えてくるだろう」

「わかりました、若」

「それじゃ、冷静に行きましょう」


 二人も勢い込んで返事をして立ち上がる。ルーチェを馬の背に押し上げたアレンが手綱を預かり、一人と一頭が歩を進めた。


 ひと通り洞窟や魔物についてルーチェから聞いた事を思い出したレオンハルトは、未知への恐怖を振り払う為にと二度三度と深呼吸を繰り返した。後に控える二人も気持ちは同じなのかレオンハルトを急かそうとはしないが、いつまでも此処で立ち尽くしている訳にはいかない。既に灯したランタンの油も気付かない程の量とはいえ減っていくのだ。


「じゃあ二人とも、入るよ。付いてきてくれ」


 そう声をかけるとレオンハルトは最初の一歩を力強く踏み込んだ。

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