第24話 危機を突破して

  一度出現したこと自体が呼び水となったのか、その後は百歩と進まないうちに魔物が現れた。デュラディウスで一振りすればたやすく元の重力水に戻るとはいえ、それ自体が神経にさわるような前兆とその危険な作用にあまり心を休めることができない。五回ほどの遭遇そうぐうでレオンハルトは珍しく息が上がるのを感じた。


「若、お疲れさまでした。お怪我はございませんか?」

「大丈夫だ。少しずつ慣れてきた気がする」

「レオンハルト、油断は禁物だよ。鎧は無い方が良いって言ったのはあたしだけど、その状態じゃ手足でね退ける訳にもいかなくなるからね」

「ああ、素手で殴りつけるような訓練をしたことは無いが、気を付けよう」


 二言三言やり取りするだけでも、気心の知れた間柄ならば小なりと戦いで高ぶった心を落ち着ける役に立つ。恐らくアレンがひと騒動あるたびに声をかけるのは、レオンハルトの気分を察しての事だろう。レオンハルトは従者の心遣いに感謝し、また改めて二人を無事に連れ帰ることをひそかに誓う。


「それじゃ先を急ごうか」

「若、無理をなされてはいらっしゃいませんか?」

「そうだよ、まだ息が荒いと思う。急ぐのも大事だけど、安全第一で行こうよ」

「いや、本当に大丈夫だ。この程度なら歩きながらでも息は調う」


 それ以上言わせるまいと強引に足をランタンの頼りない明りの範囲の外へと向ける。実際レオンハルトは怪我をするかもしれないという初めての実戦に緊張してはいたが、体力は十分に残っているという自信があった。騎士団の訓練でもそれほど身の入らない者ですらこの程度はこなせる、まして最も優れていると言われる自分にはまだまだ準備運動程度のものだと思えた。

 ただ本人は常態のつもりでいたが、最初は進む先に杖のようにデュラディウスを伸ばして道を確かめる様にしていたのを忘れているなど、疲労と焦燥感しょうそうかんは確実にレオンハルトをむしばみ始めていた。だがアレンもルーチェも息を切らしているらしいとはわかっても、細かく様子を確認できるほどに余裕が無い。急がなければという思いもあり、レオンハルトを制止する事はできなかった。


 そしてその三人の体力と集中力の低下は結局危険を招き寄せる事となる。それはこれまでも所どころにあった床のひび割れの中の染み出すような液体の形で具現化した。ここでの水たまりが魔物の可能性を持つという事は、普段のルーチェならばすぐに思い至ったろう。だが一行は足を取られないように大きく足を上げる程度でそのまま通り抜けようとした。

 最後のアレンがひびを越えた後、そろそろ慣れ始めた魔物発生時の違和感が三人を襲う。まずは落ち着いて発見すること、と心の中で唱えたレオンハルトはまずは前方の暗闇から魔物が飛び出して来ない事を確認する。

 暗がりからは何も出てこないことを確認したレオンハルトが後方へと向きを変えると、アレンの足元から今回は十体近くが姿を現した。しかもアレン自身はまだ危険に気付いていない。


「アレン、足元だ!すぐに離れろ!」


 レオンハルトが怒鳴るとアレンは足元に現れた魔物に驚き、慌ててその場を離れようとする。ところが世界を揺らすような違和感から抜け切れていなかったのか、ひびに足を取られたのか、飛び退くことはできたもののそこで転倒してしまう。転倒した拍子にランタンがアレンの手を離れ、灯りが地面に落ちるゴトリという音を頭のどこかでとらえながら、レオンハルトは必死にデュラディウスを振るった。

 焦っていたのか最初の一振りは間合いにやや遠く、慌てて手首を返して二撃目、三撃目を放つ。中に仕込まれた重力水の効果で、振るっている間は羽根のように軽いデュラディウスならではの曲芸めいた動きだ。

 今回は幸いなことに転んでしまったアレンに向かって突撃する魔物はおらず、五体目を吹き散らす頃にはレオンハルトはやや冷静さを取り戻し、ルーチェが大胆にも転がったランタンに近付こうとしているのに気づく。明かりで照らして援護しようというのだろうが、今危険なのは自由に動けるレオンハルトやルーチェでなくまだ立ち上がれずにいるアレンだ。


「ルーチェ、大丈夫。全部見えているから無理はするな。それよりアレンを!」


 声を張るとルーチェはうなずき、大立ち回りをしているレオンハルトの居る場所を回りこんで、立ち上がろうとするアレンに手を貸した。どうやら二人は危機を脱したと思ったレオンハルトは残り三体となった魔物に集中する。一体はどうやら明後日の方角へとじりじりと這っていくのでそのままならば誰にも食らいつく事なく消滅するだろう。

 残り二体ならば先ほどまでの要領ですぐ片を付けられると思ったレオンハルトが、右手側の魔物にデュラディウスを振るおうとしたところ、残りの一体が前触れなくスルスルと立ち上がりかけたアレンの方へと寄っていく。虚を突かれたレオンハルトが思わずといった様子で、魔物に空いた左手を伸ばそうとしたのを見たルーチェは悲鳴を上げる。


「駄目よ、レオンハルト!素手では!」


 その叫びに先ほどの忠告を思い出したレオンハルトは慌てて左手を引っ込めるが、魔物は掌をかすめていく。焼けるような激痛に耐えて、なんとか右手に握ったデュラディウスを振るうと魔物は弾け飛ぶ。もう一体の行方を追うとアレンはすぐに立ち上がるのは諦め、背負い袋を咄嗟とっさに下ろして横にごろごろと転がって難を逃れていた。

 魔物がそのままアレンが手放した背負い袋に取りつくとぐしゃりと音を立てて魔物ごと背負い袋の中身が失われた。

 

 兎にも角にも危険を潜り抜けたと知ったレオンハルトがデュラディウスを取り落として大きな溜息ためいきを付くと、その溜息の意味を勘違いしたアレンが今にも自害しかねない表情で謝ってくる。


「申し訳ありません、若。若を危険にさらした挙句、貴重な荷物まで…」

「いや、そういう事じゃない。危険を乗り越えて安心しただけだ。それより間に合ったつもりだがアレンは怪我をしていないか?」

「怪我を心配するならまずあなたでしょレオンハルト!だから素手で触れちゃ駄目って言ったのに!」


 アレンをなだめようとすると、今度はそれに反応してルーチェがいきり立つ。


「すまなかった。咄嗟とっさの事でつい…」

「つい、じゃないわ。それよりまずは手当てしなきゃ」


 そういったルーチェは背負い袋のあった場所に歩み寄っていく。魔物に食われたのにどうするのかと、レオンハルトとアレンが顔を見合わせていると、ルーチェは床から何かを取り上げる。


「有ったわ、ナイフ。重力水の力では金属までは取り込めないから。これで服を少し破って包帯の代わりにしましょ。アレンはランタンの具合を見て」

「一方的に指示しないで貰おう」


 自分が失態を重ねたのと対照的に的確に行動して指示を出すルーチェに、アレンは負け惜しみを言いながら指示された通り取り落としたランタンを拾う。幸いにも火の消えることの無かったランタンに傷がないかを確かめると、アレンはレオンハルトに大きく頷いて見せる。まだ灯りが使えると知ってレオンハルトが頷き返そうとすると、ルーチェがレオンハルトを小突く。何がしたいのか判らずレオンハルトがルーチェを見つめるとルーチェは小さな声で


「だから…服。早く…その…」

「ああ、包帯にするんだったか。今脱ぐから…」

「若、いけません。騎士たるものが人前で!小娘、俺ので構わんだろう」

「どっちでも良いから早くして!」


 その様子で恥ずかしくて言い出しにくかったのだとようやく気付いたレオンハルトは、いつも通りのやり取りをする二人に少し左手の痛みが和らいだ気がした。

 アレンが脱いだ服に、まるで親の仇を見るような目でルーチェがナイフを突き立てて少しずつ裂いていると、レオンハルトはどこかから物音が聞こえた気がした。これはもしや目的の騎士団かと気付いたレオンハルトは二人に注意を促す。三人が息を殺して洞窟の奥を窺っていると、足音が少しずつ大きくなり、それぞれに意匠をらした甲冑を身にまとった男達が現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る