第15話 応接間の茶会

 父との息の詰まるような対面を済ませたレオンハルトは、その足でルーチェとミゼラリアが話をしているという応接室へ向かった。主館から客館へ渡り廊下を通って移ると、明るくなった周囲の様子に自然と沈みかけていた心が落ち着くのを感じる。明かり取りの吹き抜けを横目に見ながら応接室へ入ると、ルーチェとミゼラリアの他に給仕役らしい女中とヨシュハルトがいた。

 ルーチェは良く知らない人間の前では人見知りして上手く話せない一面が有るのだが、ヨシュハルトは何度かディルの工房に来たことが有るし、ミゼラリアとはレオンハルトとの縁者というだけではない、シンパシーのような物を感じているのか、会話は弾んでいたようだ。


「待たせたな」

「あ、レオンハルト…さま。お邪魔してます」


 普段の闊達かったつさを隠したような挨拶に微苦笑を浮かべてしまう。その表情に反応してルーチェはいつものようにむっとした顔つきを作ってから慌てて取りつくろう。その様子を見たレオンハルトは今度ははっきりと笑ってしまう。さらにミゼラリアまで口を挟んでルーチェを追い詰める。


「お兄様から普段は対等に会話しているとお聞きしていたのですけれど」

「人前では許している訳ではないぞ。だがミゼラリアやヨシュハルトが気にしないというのであれば、今日はいつもの調子で良いかもしれない」

「じゃ、じゃあ改めてお帰り、レオンハルト。それで早速で悪いんだけど…」

「わかっているよ。鐙のことだろう?実は上手く行かなかったんだ」

「え?そんなはずない!工房で実験したときはちゃんと重みがなくなるのを何度も確認したもん!位置だっておじいちゃんに教えてもらったレオンハルトの背丈に合わせて…」

「落ち着いてくれ、ルーチェ。うん、物としては上手く出来ていたんじゃないかと私も思うけど。拍車を当てると馬が足を止めてしまうんだ。同行した者の意見なんだけど、急に重みが無くなるから馬は驚くんじゃないかって」


 レオンハルトがなだめるように告げると、ルーチェははっとした様子で追及をやめ、今度は小さな声で何事か呟いている。急に声を荒げたルーチェを見やったヨシュハルトは会話の主題をつかみかねて尋ねてくる。

 ヨシュハルトにとってはルーチェはいつもむっつりとしているディルより余程話しかけやすい、少し年上の女性という印象だったろうから、たった今の一瞬の激昂げっこうは驚きの素だった筈だ。しかし今は二人の会話の主題が気になっている様子だ。


「兄上、鐙って何の話ですか?」

「先日ルーチェから預かった新式の鐙のことだ。うまやにおいてあるのを見なかったか?」

「ああ、そういえば兄上のチュルクの馬房に新しく荷物が置いてありました」

「そう、それだ。重力水を使って馬上の重みを消して馬が疲れなくするという触れ込みだったんだが」

「それは凄いですね!でも上手く行かなかったんですか」

「うん、ルーチェにも言ったが馬は重みの変化で驚いてしまうようでな」


 ルーチェが黙考している内に兄弟の会話になっていったが、ここで何かに驚いた様子で再び鍛冶師の少女が口を挟む。


「あれ?ヨシュハルト様も馬に乗るんですか?」

「待ってくれ、ルーチェ。いつも通りで構わないといったのは私だが、ヨシュハルトに対しては丁寧に話せるのか」

「だってレオンハルトはなんだか、様って感じじゃないよ。あちこちゴツゴツしてて平民とあんまり変わらない」

「なんて言い草だ。この筋肉は騎士としての務めを果たすために日夜重ねた鍛錬の賜物なんだぞ」


 ルーチェが茶々を入れると子供っぽい口喧嘩が始まった。見慣れない兄の姿にヨシュハルトはびっくりしている。


「あの、兄上…」


 遠慮がちに声を掛けられてはっとしたレオンハルトは、ばつが悪そうにミゼラリアとヨシュハルトに話題を振る。


「あー、うむ。残念ながら上手く行かなかったようでな」

「変な所に話を戻さないでよ。でもそうか。馬の気持ちまでは考えてなかったなぁ」

「それでは、ルーチェさんの発明品は最初からやり直しなのですか?」

「いいえ、ミゼラリア様。重さを変える効果は有った様ですので、馬でなく使い方のわかる人間用に調整すれば良いんです。例えば手押し車とか。ミゼラリア様も何か重くて困る物が有れば是非仰ってください」

「そもそもミゼラリアに重たい荷物を持たせられるものか」

「僕は早く兄上と同じデュラディウスが欲しいです」


 子供らしいおねだりのチャンスと思ったらしいヨシュハルトの言葉には、レオンハルトがすぐさま待ったをかける。


「ヨシュハルトにはまだ早い。振るだけで使えてしまえるのだから、逆に確実に扱えるようにならなければ危険だ」


 何かを言いかけたルーチェはその言葉を聞いて口をつぐむ。その様子を見てレオンハルトは念の為に釘を刺す。


「ルーチェ、ヨシュハルトが怪我をしては困る。ディルか私が許すまで勝手に渡しては駄目だぞ」

「うぅ、あたしも早くデュラディウスをってみたいんだけどな。ヨシュハルト様、是非その時はあたしに任せてくださいね」


 ヨシュハルトはルーチェの意気込みに目を白黒させつつも嬉しそうにうなずいた後、無垢むくゆえの鋭い疑問を投げかける。


「ルーチェはまだ作ったことがないの?」

「え、それはその…お爺ちゃんにはまだ早いと言われています、でも、ヨシュハルト様が大きくなる頃には」

「え?でも新しい物を作ったんでしょう?もっと難しいことができるようになったって事じゃないの?」

「そうでは無いのです。どう説明したら良いんだろう…お爺ちゃんが見つけたのが読み書きのやり方であたしが見つけたのは計算のやり方、みたいな感じかしら。お爺ちゃんより難しい事ができるんじゃなくて別の事をできるようになったんです。でもお爺ちゃんのやる事は失敗するといろんなものが飛び散って危ないから、まだ鍛冶そのものの腕が未熟なあたしは、失敗すると危険なのでやっちゃいけないんです」

「兄上と一緒だね、修行中」


 嬉しそうに話しかける弟の姿に、自分よりも彼の方がお似合いなのではないかと一瞬考え、あわててそういう問題では無かったと否定する。いくら仲良くなろうが構わないが、ヨシュハルトが平民の娘に恋をしたのではたまらない。家の事を押し付けるのは問題だろうが、カシウス家の悪評が追加されることにもなるだろう。そんな事を内心考えつつも、話題に沿った会話をレオンハルトも繰り出す。


「ヨシュハルト、お前も修行中だぞ」

「ヨシュハルト様はそんなに頑張らなくて大丈夫ですよ。デュラディウスは腕力で振るものじゃありませんから」

「ルーチェ、ヨシュハルトを甘やかさないでくれ。ヨシュハルト、最低限の力は無いと持ち運ぶのも大変になるぞ」

「だから最低限で良いんですよ。ヨシュハルト様のせっかくの綺麗な体に無駄な筋肉が付いたら大変です」


 ルーチェの主張を聞いたミゼラリアが不思議そうに疑問を呈する。


「ルーチェさんは筋肉がお嫌いなんですか?」

「別に嫌いじゃないですけど、やっぱり騎士はすらっとしていた方がかっこいいなって。お爺ちゃんやレオンハルトみたいに見てわかる程ごつごつしてるのはどうかと思います」

「えっ?」


 ルーチェが高貴な人間は力仕事で鍛えた体をしていない、という一般的な意見を伝えるとミゼラリアは思わぬことを聞いたというように目を丸くして、レオンハルトの二の腕のあたりに視線をさまよわせる。


「ミゼラリア様、私変な事言いました?」

「ルーチェは勘違いしている。確かに騎士は日頃は書類と向かい合う事の方が多いが、みな有事の際の為にと毎日鍛えている。それにしてもミゼラリアは本当に様子がおかしいな?」

「あの…ルーチェさんは、お兄様だけでなくご自分のお祖父さまの筋肉の感触もご存じなんですの?」


 絞り出すようなミゼラリアの問いかけにレオンハルトもルーチェも愕然がくぜんとする。ヨシュハルトにはまだ何を言いたいのか判っていないようだ。


「ミ、ミ、ミ、ミゼラリア様!誤解です!」

「ミゼラリア、なんて不道徳なことを!ヨシュハルトの前だぞ!」

「だ、だって筋肉って」

「見た目!見た目の話です!」

「兄上、いったい姉上たちは何の話を」

「ヨシュハルトはまだ気にしなくていいことだ」


 ミゼラリアはとがめられて一旦落ち着いたように見えたが、火のついた好奇心の赴くままにルーチェの男性遍歴へんれきを探ろうとしている。レオンハルトは、実際にはルーチェはほとんど人付き合いを断って鍛冶と研究にのめり込んでいることを知っているが、父があまり社交に積極的でないために屋敷の者と婚約者のデミストリ以外ほとんど知らないミゼラリアには、闊達かったつなルーチェはさぞ交友関係が広そうに見えるのだろう。

 しかし実際のところルーチェはディルやレオンハルト以外の人間とは滅多に触れ合わないし、それも鍛冶師としての会話がほとんどだ。そもそも淑女に相応しい話題とも思えないレオンハルトはルーチェに助け船を出して話の内容を変えることにする。


「そんなことよりミゼラリア、ヨシュハルト、旅の話をしよう。我ながら良い経験ができたと思っている」


 ミゼラリアはまだ未練がありそうだったが、話題に付いていけなかったヨシュハルトと被害者のルーチェは新しい話題を歓迎する。


「まずは何を話すべきか…今回旅を先導してくださったニールフェルト卿にお会いしたことはあるか?父上が晩餐ばんさんにお招きした事はなかったと思うが」

「お兄様からお聞きしたことがあったはずです。確かスメタナス家の御当主ですわね」

「あたしも会ったこと有るわ。感じのいい小父さんだった」

「確かに気さくな方だが、ルーチェはもう少し騎士への敬意というものを考えるように」

「父上と同じ税務局の方なんですか?」

「天文局に所属していらっしゃる。父上と親しくなったのは重力水発見の冒険行の時と伺っている」

「では武勇に優れた方なのですね」

「そうだな。見習いの身で恐れ多い発言だが、騎士団の中でも上位に位置する剣腕とお見受けしている。今回の旅の中で初めて知ったが、たびたび野外での活動もされているそうで、基礎体力ならば私を上回るのではないだろうか」

「天文局ってことはいつも星を眺めているの?」


 ルーチェにちっとも注意したことが身につかない事と、誰でもしそうな思い違いに苦笑すると思い違いを正す。


「天文局と名付けられているが、実際には気象の観察が主な任務なんだそうだ。今回は季節に合わせて咲く花の状態を見ることで、田に稲を植える時期を確かめるのが目的だった」

「兄上、違う種類の草が関係するのですか?」

「直接関係は無いらしい。その花も山より暖かい王都に植えて咲かせると役には立たないそうだ。ただ、アルカナ山地の自然に咲いている場所で、半分が咲く位の日を目安に稲を植えるとよく実るという事らしい。詳しくは尋ねなかったが、開拓時代の様々な調査で分かった事なのだろうな」

「ほら見なさい」


 思わぬ返事が返ってきて目をやると、ルーチェが何やら大きく胸を張っている。


「ルーチェ、やぶから棒に何だ」

「レオンハルトは二言目には秩序秩序安定安定って繰り返すけど、今安定しているように見えるのは開拓時代に皆が一生懸命前に進んできたからだって事よ。今大丈夫だからって進むのをやめたら何か有ったらあっという間に崩れちゃうんだからね」


 旅に出る前のレオンハルトであれば何らかの反対意見を主張したかもしれないが、今回は旅の間にその事について思いを致す所もあり、レオンハルトは黙り込んでしまった。


「あれ、ひょっとして疲れてる?」

「いや、その事については自分自身、確かにどう考えて良いのか悩むところが有ってね。今日は難しい話はやめよう。それよりニールフェルト卿の御助言で花を持ち帰ることができたんだ。荷物に入れたままだからちょっと部屋に戻って取って来よう」


 そう言ってレオンハルトは三人の返事を聞かずに、自室へイチゲの押し花を取りに行った。

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