第16話 ルーチェの依頼

 レオンハルトが持ってきた押し花を見て、女性二人は興味津々きょうみしんしんでのぞき込んできたが、ヨシュハルトはちょっと当てが外れた様子だ。


「兄上、あんまりパッとしない花ですね」

「うん、そうだな。美しく咲くように掛け合わされている訳ではないし、一輪だけではそうかもしれない。だが山道を自分で登った先でこの花が一面に咲いている姿は見事だったぞ。そこまでの道のりは、少し背の低い木が道の両側を視界を遮るようにずっと生えて進むべき道だけが開けていたのだけど。突然平地に出ると空がぱっと広がって、そこに緑の絨毯じゅうたんのように草が茂り、そのあちこちにこの白い花が咲いていた」

「お兄様ったらまるで詩人のよう。でも本当に感動されたのですね」

「そうだな。自分の足で山を登るというのも、馬の遠乗りとはまた違った感慨かんがいが有ったぞ」

「ねえ。レオンハルトは山を登る時の道具でもっとこうだったら便利なのに、とかそういう話はないの?」

「道具の改良の話か?いや、今回は旅の要領を掴むので精一杯でそういう話はあまり無いな。それにこの旅は年に一度の物だ。多少便利にしたところで、それほど多くの者が恩恵を受ける訳ではない」

「甘い!逆よ。旅を便利にすることで、多くの人が気軽に島のあちこちを行き交うようにできればと考えるべきなのよ」


 レオンハルトが他の分野に目を向けたらどうかと勧めると、勢い良く返事が返ってくる。


「もちろんこの島で頻繁ひんぱんに街道を行き来する鉄鉱石の運搬うんぱん人足や魚売りなんかにも話は聞いているんだけど、やっぱり小娘扱いで舐められちゃうからね、ぜひレオンハルトの意見を知りたかったんだけど」

「そこはすまない。あまり役に立てそうにないな」

「ルーチェはその人達の為になる事をしようとしているのに、相手にしてもらえないの?」


 ルーチェの苦労話に、不思議そうにヨシュハルトが尋ねる。レオンハルトが折に触れて称賛していたせいか、ヨシュハルトは素直にルーチェの生き方を正しいと思っているようだ。だからルーチェがその業を他人のために使おうとして果たせない、という事実がよく呑み込めないのだろう。


「ヨシュハルト様。あたしは自分ではいっぱしの鍛冶師のつもりですけど、やっぱり女は結婚して家の事をすべきだって皆思ってるんです。真剣に話をしているつもりでも、女子供の遊びってどうしても思われてしまって」

「ではルーチェさんにとってはお兄様の助言が命綱、ということになるのでしょうか?」

「そんな事もないです。何度も一生懸命話を聞きに行けば、汲み取ってくれる人も居ますし。でもせっかくだから今度の調査ではレオンハルトに手伝ってほしいかな」

「私が?どういうことだ?」

「明日お爺ちゃんのお使いで船大工さんの所にお使いに行くんだけど、その時についでに船大工さんだけでなく漁師さんにも話を聞いてみたいんだ。騎士のレオンハルトがいたら冷たくあしらわれたりしないんじゃないかな、と思って」

「船大工はわかるが漁師に?何を聞くんだ?」

「えへへ、それはまだ内緒。でも単なる好奇心じゃなくてこの先の研究で必要な事だよ」

「ふむ、目的がはっきりしているのならば協力したいところだけど…明日出発か。往復も考えると午前中に出発するのだろう?」

「そのつもりだけど、予定合わない?」

「さすがに明日は騎士団の訓練に出席せねばならないし、しばらくは欠席する事もできないだろう」


 どうやらルーチェは頼めば引き受けてくれるものだと思っていたのだろう。当てが外れてどうしたらよいのかと悩んでいる。唸っているルーチェにミゼラリアが助け船を出す。


「ルーチェさん、その調査はどうしても明日行わなければいけないものですか?」

「あ、そんな事は無いです。悔しいけどまだ鍛冶師として認められている訳でもないから、日取りはまたいつでも取れます」

「ではお兄様がまた時間を取れるときに行けばよろしいのでは?」

「む、まぁ確かに見習いだから厳しく拘束されることはないだろうが、直ぐに休ませていただけるとも限らないぞ」

「明日行けないのなら無理に急ぐ話じゃないよ。実のところ何年もかける計画だから」

「そういう事ならまた工房を訪ねる。それよりそろそろ夕方になるぞ。送って行こうか?」

「いいよいいよ。レオンハルトは旅から帰ってきたばかりなんでしょ。あ、そういえば鐙持って帰るけど、どこに置いてあるかな?」

うまやだ。鐙を持っていくならやはり従者に荷物を持たせよう。アレンを呼んでくれ」


 応接間の隅に控えていた女中に、アレンを呼ぶように頼むとルーチェは渋い顔をする。


「アレンに頼むくらいなら自分で持っていく!」

「ルーチェ、あまりアレンを邪険にするなよ。きつい言い方をしているが、アレンはあれでルーチェの言動が問題にならないように心配しているんだよ」

「嘘!絶対にあいつはあたしが嫌いなのよ!」


 即座に言い返すルーチェにさすがにおためごかしが過ぎたかとレオンハルトは適当になだめようとしたことを反省する。しかし二人の関係の原因がルーチェの態度に問題があり、反省を促すべきだという気持ちは変わらない。


「だとしてもそれはルーチェの言葉遣いが問題だと思うぞ。私が気にしないからと言って他の騎士もそうだとは限らない。鍛冶師となれば他家の騎士ともお付き合いをせねばならないのだからな。ディルがぶっきらぼうな口調でも許されているのは確固たる実績があるからだ」

「それくらい知ってるよ。レオンハルトが相手だとどうしても気を抜いちゃうけど、ちゃんとした言葉遣いだってできるんだから」

「それが心配なんだが」


 レオンハルトがそう言うと弟妹が安心させるように口を挟む。


「大丈夫、お兄様がいらっしゃるまでは礼儀をわきまえた口調でいらっしゃいました」

「僕も知っています。工房に父上に連れられてお邪魔した時、ディルは怖かったけどルーチェは優しかったですよ」

「ふむ。二人が言うのなら信じておこう。だがどちらにしても夕食時だし他の従者は動かせない。付き添うのはアレンで決まりだぞ。いい機会だからよく話し合って仲を深めてくれ」


 レオンハルトの采配さいはいに納得はしているのだろうが、やはり気に入らないらしくルーチェは唇をとんがらせている。その子供っぽい仕草を見るとやはりルーチェが時と場合に応じて振る舞いを変えられるという言葉が信じられなくなるが、自分から帰る事を勧めておいて話を継ごうとするのも気が引けたレオンハルトは苦言を呈するのは控える。


「それじゃ、今日はお邪魔しました。ミゼラリア様、ヨシュハルト様、ありがとうございました。レオンハルトはまた今度ね!」


 ぴょこんと飛び跳ねるようにお辞儀をしたルーチェは部屋を出ていく。ルーチェを案内する女中に改めてアレンへの伝言を伝え、カシウス家の兄弟はルーチェを見送った。


「ミゼラリア、あまりこういう事があっては困る。親しい仲だからこそ、けじめというものを考えてほしい」

「そんな事を言って、お兄様だって楽しまれていたでしょう。何から何まで規則規則では息が詰まってしまいますわ」


 それを言われるとレオンハルトは弱い。カシウス家の立場上、ミゼラリアになかなか外の人間と触れ合う機会を用意できないでいるのは、レオンハルトにとっての引け目だ。自分は騎士団という社交の場があり、なんだかんだでルーチェとも親しくしている分、申し訳なく感じている。鼻白んだ義理の兄の表情で何を考えたのか義妹は悟ったらしい。花がほころぶような笑顔を見せる。


「お兄様が何を考えているのかわかるつもりですが、それは無用の気遣いというものですわ。殿方には殿方同士の世界というものがあるように、女には女の付き合い方があります。少なくともわたくしは他家のお嬢様がたから故意に避けられているのではなく、この屋敷の中でのんびり過ごすのが好きなのですわ」


 かえって気遣わせたかと、どんな顔をすれば良いかわからずにいると、ミゼラリアは更に言い募る。


「お兄様に嘘はつきません。何だったらパリヤあたりにお尋ねくださいませ。男の従者からは聞けない当家の評判を知ることができます」


 真偽のほどがわからず、何とはなしに話題に入れずにこちらを見ていたヨシュハルトと視線を合わせる。やがては自分と同じ悩みを抱えるだろう腹違いの弟は、兄がどんな言葉を求めているか判らずに、それでも幼いなりの励ましの言葉を紡ぐ。


「兄上、僕が騎士団に入団する時にルーチェがデュラディウスを作ってくれたら、皆に自慢します」


 レオンハルトはそれでは逆に孤立する事になると思ったが、まだ弟に我が家の微妙な立場を理解させるのは憚られて、優しさだけを受け取っておく。


「そうだな。その時までに腕を磨いておくのだぞ。明日からまた稽古を付けてやるからな」


 そう言って自分とよく似た赤毛をかき回す。くすぐったそうに目を細めるヨシュハルトには自分にとってのアレンのように年の近い従者がいないことに気付き、節をげてルーチェに時々話し相手を務めてもらうのも良いかもしれないとふと思った。

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