第14話 父との会見
愛馬をケインにゆだねて屋敷に入ると真っ先に出迎えたのはアレンだった。どうやら執事のシモンはハインリヒの執務に付き添っているようだ。久しぶりに顔を合わせる従者は何やら言いたげな顔をしている。微妙な変化だが、アレンとは生まれた時からの付き合いなので、あまり察しが良いとは言えないレオンハルトにもアレンの表情ならある程度読むことができる。
「若、お帰り早々で申し訳ありませんが、お客様がお見えになっています」
「私に客?珍しい事も有るものだな」
思わずという風に
「ルーチェ殿です。昨日いらっしゃったときは若の不在を知るとそのままお帰りになりましたが、今日はお嬢様がお相手をなさると仰って」
「それでそんな顔をしているのか。せっかちなルーチェにも困ったものだが、ミゼラリアは一体全体何を考えているのやら」
騎士階級の令嬢が平民を歓待するなどしきたり破りもいいところだ。さすがのルーチェも困惑していることだろう。
「父上はご存じなのか?」
「お嬢様にお任せするように、と」
ハインリヒもどうすればよいのかわからず放り出したのではないかと邪推したレオンハルトだが、幾ら相手が平民だといっても、旅装のまま客に会う訳にもいかない。
「ルーチェには申し訳ないが、
「かしこまりました。お客様にはそのようにお伝えします」
どうやら、困惑しているルーチェを内心良い気味だと思っているようなアレンを咎めるかどうか迷った末に、今回は見逃すことにして浴場へ向かった。
温水浴で疲れた体をほぐしたいところだが、人を待たせているので冷水で体を拭くだけにとどめる。浴室前室で汚れた衣類を脱ごうとして、着替えを用意していないことに気付いた。誰かに改めて替えの衣類を出してもらおうと従者の待機部屋へ行こうとすると、女中頭でもあるシモンの妻が今まさに欲していた物を持って入ってきた。
「坊ちゃま、お着替えを用意しましたよ」
「ありがとう、用意がいいな。しかし坊ちゃまはやめてくれ。次の誕生日を迎えれば私も成人なのだぞ」
「そういう事は立派な婚約者を迎えてから仰ってくださいな。坊ちゃまの御子息を抱き上げる日を、パリヤはいつも楽しみにしておりますよ」
幼少期から孫同然に育ててくれたパリヤの子ども扱いに抗議するが、軽くかわされてしまう。これ以上話を続ければ、今度は夜泣きやおねしょの思い出話までされかねないと思い、とにかく体を洗ってしまうことにする。パリヤに対して裸を見せることに遠慮などは無い。
「お背中をお流しいたしましょうか?」
「だから子ども扱いはやめてくれ…私に客が来ているのは知っているか?」
「ええ、存じ上げております。お嬢様のご指示で女衆総出で歓迎いたしましたもの」
「そう、それだ。ミゼラリアはいったいどういうつもりなんだ」
「どう、とは?」
「騎士の娘が平民を歓待することについて、だ。ミゼラリアの心づもりも気になるが、お前はなぜ反対しなかった?」
しばらく会わなかった分の話のタネのつもりだったが、話題に熱が入ってきてついなじるような口調になってしまう。
「若は生真面目でございますわね。何故と言うならばルーチェ殿は特別だから、とお答えいたします」
「ディルの孫娘だからか?」
「それも勿論でございます。ディル殿は単なる平民として扱うにはあまりにも偉大な賢者でございます。でも申し上げたでしょう、坊ちゃまの御子息を楽しみにしております、と」
思わぬ答えが返ってきて、浴室前室で控えているパリヤをまじまじと見てしまう。どうやら本気であると理解して大きな
「皆して勘違いしているのか。私とルーチェは断じて恋仲ではないぞ」
「それは残念。お似合いだと存じますのに」
「似合う似合わないの問題ではない。わかって言っているだろう」
「禁じられている訳ではございませんでしょう?身分違いだからこそ燃え上がる炎もあるというものです」
「確かに法で定められてはいないけど、明文化されなくても守るべき規律というものは有る」
「坊ちゃま、議論は殿方でなさってくださいな。それより早くなさいませ、淑女を待たせては騎士失格ですよ」
論点を有耶無耶にされていると思ったがこれ以上は体が冷えてしまう。それに何を言ってもパリヤには通じないだろう。そう思ったレオンハルトは手拭いを絞って汚れ物を入れる
「先に父上にご挨拶をする。それと坊ちゃまはやめてくれ」
もうしばらく時間がかかるという伝言を暗に込めてパリヤに投げかけ、レオンハルトは当主の書斎へと向かった。
カシウス邸は応接室と明かり取りのための吹き抜けの中庭、それらを取り囲み客の目を楽しませる回廊で構成された客館と、屋敷の主とその家族が住まう主館、従者たちに与えられた傍館の三棟に分かれている。騎士階級の屋敷はどこも似たような構造だが、このカシウス邸は他の多くの屋敷と比べると、屋敷の中心と言える主館が昼でも薄暗がりの中にある所が大きく異なっている。
吹き抜けで明かりを取る客館に比べて主館が暗いのはどこも同じだが、多くの主人は館が暗いのを嫌って
親しく話しかけてくれる数人の騎士によると、王城でも謁見の間は別格で、均質で大きなガラスを特別にあつらえて窓にはめ込むことで、十分な採光と風雨を遮る役目を両立しているらしい。レオンハルトは自宅の暗さを不便に思う時、同時にその話を思い返して早く正式に入団して謁見の間を見てみたいと思う。あと半年ほどで訪れるだろう栄誉を頭の隅に追いやり、父が執務を執っている
「父上、レオンハルトです。只今帰りました」
「入れ」
すぐに静かだが良く通る声で答えが返ってくる。扉を開けようとすると勝手に開き、その奥でシモンが深くお辞儀をするのが見える。ゆっくりと顔を上げたシモンに視線で感謝を伝え、ハインリヒが腰を落ち着ける
いつからだろうか、幼い頃は憧憬と愛情だけを抱いて見上げるだけだった男の顔に、レオンハルトは委縮するようになっていた。今も決して疎んじている訳ではない。家族の食卓で、日々の挨拶で、笑顔を交わす事もできる。だがいざ何かを伝えようとすると、何か失態を犯して失望されるのではないかと気後れしてしまう。
「ニールフェルト卿に同行したそうだな」
出立前に仔細を伝えていた旅について改めて話そうと言葉を選んでいると、ハインリヒから声をかけてくる。
「はい。ニールフェルト卿は私が正式に騎士団に入団した際、天文局への配属を求めるおつもりで、見習いの内に任務に関わらせたいとの事でした」
「お前はわしの後継ぎとして税務局に所属するつもりだと思っていたのだがな」
「も、申し訳ありません。父上がお望みとあらば改めてニールフェルト卿に陳謝して…」
「良い、ヨシュハルトもいる。民の
「はい、それでは失礼します」
突き放すような口調に一礼して応え、再びシモンが開けてくれた扉をくぐる。扉が閉まる直前、溜息が聞こえたような気がした。
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