第13話 王都への帰還

 下山した一同は来た道を逆さに辿るようにして鉱山街へ戻り、鍛冶屋で登山用具を返却した後に鉱山局の詰め所へ入った。鉱山局では再びリップタイトを含む騎士たちの歓待を受け、誘いを受けてリップタイトが王都に構えている本邸とは別に街に用意した別宅で、一晩を過ごして旅の疲れを癒した。長く鉱山街を取りまとめているリップタイトは街の住民にも慕われているようで、客を迎えていると聞きつけた平民たちが酒やら肉やらを手土産に訪れ、その夜は遅くまで宴の様相を呈した。

 翌日予定通りに出立した一行は往路でも使った野営地で再び昼食を摂った。ルーチェに何かしらヒントを持って帰りたいと思ったレオンハルトは、もう一度荷物から重力水式鐙を引っ張り出して試してみたが、やはり走り出そうとした馬が後ろを気にして止まってしまうという結果に変化はない。何とか使いこなしたいと思ったが、あまり試して馬に変な癖を付けるのは良くないとニールフェルトに諭されては諦めるしか無かった。

 

 食休みを少し取った四人は林をう様に作られた道を抜け、やがて王都のある丘陵地に出る。アルカナ山域から流れ出るこの島では一つしかない大河は、低地を這うようにして幾つも開拓期に人工的に作られた支流に分かれ、それを風車で汲み上げた用水路が勾配を削って作られた棚田を潤す。

 今はまるで子供が無目的に作った池の集合体のようだが、まもなく今回の旅の報告を受けてこの田畑に苗が植えられ、やがて豊かな稲穂を垂らすだろう。そんな風に誇らしげに思いながらレオンハルトが牧歌的な眺めを見回しているとニールフェルトと目が合う。


「今までに何度もこのような風景をご覧になってこられたのですか?」


 なんとなく照れ臭い思いをしながら問いかけると、ニールフェルトも同じような事を考えていたのか、苦笑が返ってくる。


「何度もというほど頻繁ひんぱんではないな。必ず私が任務に当たっていたわけではない」

「そうですね。失礼しました」

「いや、この役目にやりがいを感じてくれたようで何よりだ。これからも何かにつけて誘うかもしれないが構わないか?」

「はい、私も書物などで予習しておきます」


 軽い気持ちで返事をするとニールフェルトは驚いたように問いかけてくる。


「カシウス家の書庫はそんなに充実しているのか?」

「すみません、深く考えず答えました。確かに我が家から天文局の騎士が出たという話は聞いた事が有りません」


 生産力に乏しいこの島では実学でない学問を学ぶ者は稀だ。自然、書物と言っても当主が任務に携わった時の記録や日記がほとんどとなる。税務局に所属する事の多かったカシウス家の書庫に残されているのは、天候の詳細な記録よりも、大まかな天候と出来高の傾向にまつわる物が多いだろう。


「私が助けてやれるのなら早いのだがな。私自身正式に着任してから任務を通して学んだ事の方が多い。天候について経験則でなく具体的な根拠をもって数字を語ろうと思えば、膨大な資料を網羅もうらしなくてはならんだろうし、そもそもそのまとめるための資料そのものがまだ無いのだからな。先は長い…などと言ってはいつまでも始められんな」

「正式に入団するまでは時間も取れますし、私が毎日記録を取ってみましょうか?」

「そうだな、また今度どのような事について記録してほしいか話すとしよう」


 二人が話しながらまた一つ丘を越えると、道の先にこの島で最も大きな建造物、すなわち王城の屋根が見えてくる。この島の開拓期には王家と言えども最も高い丘に割り当てられたやや大きい程度の屋敷の一つに住んでいたそうだ。島を混乱に陥れかけた宗教論争に断固たる意志をもって介入し、早期に決着を付けて以降、その権威は神の宮である神殿を超える物として当時の生産力からすれば自殺行為に近い大動員を行って王城は建築された。それが島民にも受け入れられたのは安定期に入っていた島の中枢部としての王都そのものの整備や、騎士団をその身に収める行政の庁としての役割も有ったからだ。

 それ以降の王家は統治そのものには深くは関わらず、もっぱら島の安寧あんねいを象徴する存在としてただそこに居るように見える。一方で島の行く末を常に案じて、騎士や神官たちが権力を求めてはかりごとをめぐらすことの無いよう、密かに監視しているとも言われている。

 どちらにしてもレオンハルトにとっては疑いようもない尊崇の対象であり、他の事であれば嫌悪するはずの民への仕打ち、王城建設のために払われた犠牲さえもその偉大さを補強する材料であった。


「それにしても自分で言い出したことながら書きものですか…」


 人にはなかなか言い辛い悩みから思わずこぼす。


「む?天文局にとっても重要な記録だ。紙やインクならば手配してもいいぞ?」

「いえ、金の心配ではなく、何と言いますか、私の手跡しゅせきはいささか拙いものでして…」

「なるほど、武芸達者になるために犠牲にしてきたもの、というわけか。だがそうやって苦手意識で遠ざけていては上達せんぞ。良い機会だから手習いのつもりで毎日書いてみるがいい」

「わかっています。いつまでも避けていられる事でないことも承知しています。ただ誰にどこで教わればよいものかと。父上はお忙しい身の上ですし、かと言って他家の方に教師を頼むというのも家の恥となるようなことですから」

「そんなに酷いのか。ならば猶のこと正式に入団するまでに練習すべきだぞ」


 信頼する先輩に重ねて勉強を勧められて、レオンハルトは少し追い詰められたような気持ちになってだくの応えを返す。自分でも言った通り、苦手意識を理由にいつまでも避けていて良い事でもないのだ。あと半年、騎士団員としての事務仕事に差し障りの出ないレベルまでは上達しておく必要が有る。


「心得ました。ケイン、誰か教師はいないか?」

「ミゼラリア様ならば何の問題もないかと存じますが」

「そうだな、それが良いんだろうな。判ってはいたんだが」

躊躇ためらう理由がございましたか?」

「ミゼラリアに頼むとなるとヨシュハルトにも知られてしまうからな」

「なるほど、それは考えが及びませんでした」


 ケインが考え深げに頷くのが、かえってレオンハルトには恥ずかしい。


「ものは考えようだ。弟も手習いの仲間が増えれば楽しいだろう」

「そんなものでしょうか」

「そんなものだ。切磋琢磨するのだな」


 ケインに話を振ったことからラッドも会話に加わり、四人で談笑しながらそれからも丘を幾つも通り過ぎてやがて王都へと辿り着いた。門の手前では下馬し、完全装備で門を警備している騎士に名と身分を伝えて都に入る許可を取る。本人たちもその意義を疑っているだろうに仰々しく門を開ける門番にやや呆れながら、表面上は謹直な顔つきでレオンハルトは答礼して門をくぐる。

 一区画ほど進み、こちらは本当に緊張していたらしいケインに笑いかけると、レオンハルトはニールフェルトに今後の予定を尋ねる。


「私は任務の報告が有るから王城へ行くが、レオンハルトも来るか?見習いの身ゆえ、帰参をわざわざ告げずともよいと思うが」

「いいえ、さしたる理由もなく登城するのははばかりがあります。私用もありますから一足先に帰宅させていただこうと思います」

「そうか。楽しい旅だったぞ。今後についてなどまた城で会ったら相談しよう」


 そういったニールフェルトは愛馬にまたがり去っていく。一週間前に比べて親しみを感じるその背に礼を送ると、レオンハルトも馬に乗りケインにハミを取らせて屋敷への帰路に就いた。

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