第12話 任務完了と下山

 それから二日、アルカナイチゲの群生地と野営地を往復する日が続いた。群生地の高原や山道では高地に適応した蜻蛉とんぼや美しい羽色の小鳥などが目を慰めたが、手持無沙汰なのはどうしようも無かった。

山の天気の変化を見逃すまいと観察するニールフェルトに従ってはいたが、基本的な注意事項の他は何を見れば良いのか判らず、ラッドの田舎言葉を矯正きょうせいしようとするケインの言語講座に何とはなしに耳を傾けて時間を潰している。野外生活をそのものを楽しめているニールフェルトは二日も好天が続く幸運を喜んでいたが、レオンハルトは一旦山を下りるために悪天候を望む程だった。


 アルカナ山に入って四日目の朝、水を汲みに川へ降りたニールフェルトが呼んだので三人とも川辺に来た。


「わかるか?」

「はあ…そう言われると昨日よりも増水しているような気がいたします」

「そうだ。昨日の記憶と比べるより、向こう岸のあの苔むした岩を見ると良い。あの苔が水面の下に入ったら増水の気配だ。雨は降っていないが山頂付近が思ったより暖かくて雪解けが進んでいるのだろう」

「これからどうするのです?」


 レオンハルトは待ち望んだ下山かと思い、早口で問いかけてしまう。若者のここ数日の無聊ぶりょうに気付いていたニールフェルトは、その言葉にレオンハルトの心情をも察し、含み笑いを漏らしてしまう。


「気が早いな。すぐにテントを引き払わねばならないという程でもないが、注意は必要だ。私とレオンハルトはアルカナイチゲの様子を見に行く。ラッド」

「へい、じゃなかった。はい」

「このまま川の観察を続けてくれ。そうだな、さっき示した岩が完全に水に潜ったら、ケインにそれをに伝えてから私達を呼びに来てくれ。ケインはテントでできるだけ荷物をまとめてくれ。ラッドが連絡したらテントを畳むように」

「かしこまりました」


二人の従者が頷くとニールフェルトはレオンハルトに顔を向ける。


「とりあえず着替えてから高原に降りるぞ」

「わかりました」


 一度テントに戻って手早く着替えを済ませ、この二日で少し見慣れてきた山道を下りる。レオンハルトも山道は降りる方が危険だという事を既に学んでいる。小刻みに足を動かし、滑る事の無いよう気を付ける。


「花の様子はどうでしょうね」

「そうだな。昨日もだいぶつぼみの大きくなっている株が多かったし、雪解け水で増水するほど暖かくなっているのであれば期待しても良さそうだな」

「増水の危険があるのではいつ再び登れるかわかりませんね」

「そうだな。そういった場合はふもとから高原の様子を観察して見当を付けている。少々確実性に欠けるので避けたいところだが、相手が天候では気に病んでも仕方ない」


 これ以上はただの愚痴になると思い、レオンハルトも口をつぐむ。その後は二人とも足場の危険そうな場所を注意し合う他は、口数を控えて歩を進める。二人の吐息が荒くなってきた頃にはここ二日で見慣れた高原への林道が見えてきた。気がはやり足早になりかけるレオンハルトをニールフェルトが注意して、二人は歩調を保った。それでも十分ほどで視界が開け、日光が燦燦さんさんと照らす野原に辿り着く。


「見慣れてきましたが、やはり美しい眺めですね。開花の様子もかんばしい様子です」

「うむ、むしろ咲き過ぎている様だな。やはりここ数日で気温が急に上がったらしい。稲の植え付けを促す使者は急がせなければならないな」

「使者…それは王都から派遣するのですか?」

「ここでの観察の結果を農事局に伝えて、後はそちらから島中の集落に伝えてもらう。集落によっては長老格の農民が判断する所も有るらしいが、多くの村では王都の知らせを受けて植え始めるそうだ。さて、疲れているところすまないが直ちに引き返すぞ」

「いえ、任務の達成は喜ばしい事です。行きましょう」

「全くだ。今年は天候にずいぶん恵まれた。新人の教育には少し間が悪い方がありがたかったのだがな」

「そんな言葉を口にすると不吉な気がします」

「確かに。最後まで気を抜かずに行くとしよう」

 

  昨日まではここで花を観察した後、しばらくは休憩をとってから野営地に戻っていた。しかし今日は開花が予想よりも進んでいること、川が増水してキャンプを引き払う事も考えていた為、多少の無理を押してでもすぐに取って返すこととなった。二人ともやはり疲れを感じているのか言葉が少ない。

 レオンハルトは達成感を感じていたが、同時に島の生命線と言える稲の育成に、気まぐれな天候が自分が漠然ばくぜんと知っていたよりも大きく絡んでいることへの不安も覚えた。だが五百年にわたって大きな破綻がないことや、どこを改善すればよいのかもわからない事が原因で、話題にするのが躊躇ためらわれ、結局先を急ぐニールフェルトに黙々と従った。


 二人がテントまで戻るとケインが待ちかねた様子で出迎えた。荷物を整理した後で一度ラッドの様子を見に行ったそうだが、その時はまだ水位はそこまで高くなっていなかった。改めて観察任務の完了を伝え、ニールフェルトが川辺へとラッドを迎えに行く間に、カシウス家の主従はテントをたたむ作業に入った。ケインはこれまでテントの設営をほとんど見てこなかったが片付けは滞りなく終わり、四人の負担がなるべく均等になるようにと荷物も整理された。


「若、初めて王都を出て過ごされた感想はいかがでしたか?」

「ああ、やはり書物や自分の想像だけでは知れなかった事を学べたように思う。しかしケインとて王都を出た事がそれほど多いとは思えないが?」

「そんなことはありません。シモン殿には屋敷での役目がございましたから、旦那様が任務の為に村々を巡回なさる時にご同行した事は何度もございますよ」

「言われてみれば確かにその通りだ。私にとっては父上は屋敷の書斎にいつもいらっしゃったように思えてしまうが、若いうちは精力的に島の各地を回っていらっしゃったのだな」

「大旦那様がお早くに身罷みまかられてからは、旦那様は名実ともにカシウス家の大黒柱として滅多なことでは外へいらっしゃる事はありませんでしたから。多くの御家では当主の座につかれても家の差配さはいについては健在の先代が実務を行い、当主は普段は騎士団の一員として振舞って最終的な決裁のみのことが多い、と伺っております」


 話題に出た祖父は早くに亡くなったとのケインの言葉通り、レオンハルトは直接知らない。幼い時ハインリヒにディルとルーチェの関係を羨んでどんな人物かを尋ねた時、父が憮然ぶぜんとした表情で少し話してくれた事くらいがレオンハルトにとっての祖父像だ。


「お祖父様か…父上の話しぶりではかなり茶目っ気の強い方だったそうだが、ケインから見てどんな方だった?」

「従者には真剣な態度で接するお方でしたよ。旦那様をからかうのは敢えてお気持ちをほぐそうと努力しているように見受けられました」

「そうなのか。父上も私とヨシュハルトでは接し方を変えたりされているのだろうか」

「お傍でお仕えしていても態度を変えているご様子はございませんよ。大旦那様と旦那様は一対一の親子でしたから、お屋敷の中の雰囲気作りで大旦那様も苦慮なさっていたのではないかと。当時はわたくしめも若造でしたので、お二人の胸の内までは読み取れませんでした」


 レオンハルトとケインが荷造りをしながら昔話に花を咲かせていると、ラッドを伴ったニールフェルトが戻ってくる。すぐに下山するかとレオンハルトは思っていたが、ここまで歩き詰めだったニールフェルトはかなり疲労しており一旦腰を落ち着ける。


「すまないな。川も氾濫はんらんする気配はないから息を整えさせてくれ。二人は話が弾んでいた様子だったがどんな話をしていたのだ?」

「お祖父様がどんな方だったのかとケインに尋ねていました」

「サーキュロント卿か。私もディル殿の冒険行に際してハインリヒ卿と連絡を取り合っていた時期にカシウス家の屋敷でお会いする程度だったな。今思えばハインリヒ卿は疎んじる様子でもないがカシウス家に騎士が集まった際もサーキュロント卿が会話に交わるのを避けていたような気がする。ケインは二人の実際の仲などどう思っていたのだ?」

「失礼な申しようですが、大旦那様は旦那様との距離感を掴みかねていたように今では感じます。時折わざとお道化ていらっしゃったような記憶がございます。」

「なるほど、ありそうな話だ。ハインリヒ卿は筋金入りの堅物だったから、屋敷の中だけでも気を緩めさせたかったのかもしれんな」


 ニールフェルトの言葉に今度は父の若い頃に興味を刺激される。レオンハルトは父を尊敬しているが、その気持ちが逆に父に失望されるのではという恐れを呼ぶ事がある。対等な関係から見たハインリヒの姿を知りたかった。


「では父上は友人との会話でもあのようなご様子だったのですか?」

「私とハインリヒ卿は友というよりは同じ危険に挑む戦友だったから、真に親しい仲の間柄でどうだったのかは判らない。しかし冒険行についての相談をするときは冗談の一つも口にしない男だったぞ。それでいて非人間的な印象など無かったし、冒険が成功裏に終わったのは彼が常に皆の様子に気を払って些細な事にも気遣いをしてくれていたからだ」

「父上を知る方はみな賛美の言葉を下さいます」


 その事に誇らしさと同時に寂しさも感じているレオンハルトの声は複雑で、ニールフェルトにもそれは感じ取れたようだ。


「不満なのか?」

「とんでもありません。ただ、父上が息子と誇れるような騎士となれるかと時折不安になります」

「仮にそうなれたとして、その力を発揮できるような動乱など起こらねば良いと思うがな。力の証明を敢えて求める気持ちが有るのか?」


 否定することを予期しているかのような口調で問われたが、その事について何度か考えた事の有るレオンハルトの答えは肯定だった。


「いずれ重力水はより多くの者が求めるようになると思っています。その時、父上が為した時以上に多くの成果を上げたいと…」


 間髪を入れずに返ってきた、思ったより真剣な答えに鼻白んだニールフェルトは不器用に話題をそらす。


「島を豊かにする目標が有るのは良い事だな。さて、疲労も回復してきたのでそろそろ出発するとしよう」

「それじゃ旦那様、号令をお願いしやす」

「せっかくケインに言葉遣いを教わったというのに、まだまだだなラッド。ともあれ、これより帰還だ!」


 少し深刻になりかけた雰囲気を変えようとスメタナス家の主従が明るい声を出し、レオンハルトとケインもそれに続いた。

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