第6話 発明品の評価

 日が中天に差し掛かる少し前に街道の脇が開けた場所に出ると、一行はニールフェルトの指示で昼の休憩をとった。従者が主人の愛馬たちに飼葉を与えている間に、レオンハルトとニールフェルトが乾いた枝を焚き付け、煮炊きを行う。

 レオンハルトには料理の経験などなかったが、この任務を何度も経験しているニールフェルトが要領よく干し肉と野菜を煮込んだ簡易のスープを作ると、四人は予め調理してあった握り飯と一緒に飲み下した。レオンハルトは作法を無視した食事など初めての経験だったが、正式に入団すれば天文局以外でも騎士が野外で食事を摂る事は有り得るらしい。


「騎士でなければ機会がない、とも申せましょう」


 ケインが言い添える。平民にはそもそも日々の労働や生活から離れる余裕など無い。


「その為の税からの騎士への俸給だ。我々天文局だけでなく、税務局にしろ鉱山局にしろ広く島全体の様子を理解していなければ務まらない役割だからな。巡察に入ることで集落に異常がないかを確かめる事もできる」

「あっしが子供の時分にも、村に騎士様がいらっしゃればその夜はお祭り騒ぎでごぜえましたよ」

「そうだな。レオンハルトはとかく日常である事を重視するが、同じ毎日が淡々と過ぎていくばかりが平和ではない。鍛えた体と技を持つとかえって実感がないかもしれんが、人は思ったよりも強いぞ。水面に波紋が立ってもいつかは落ち着くようなものだ」


 スメタナス家の主従が交互に話しかけてくる。


「そうなのでしょうか」

「そうだ。例えば開拓期の人々は苦難の連続であったが、皆が不幸を嘆いてばかりだとは思わんだろう。少しずつ変わっていくことで見えてくる喜びだって有る…それ、そのデュラディウスだってほんの数年前まではなかった物だろう」

「ああ、確かに。そうだ、実は旅の間に余裕が有ればやりたい事が有りまして。ケイン、荷物から鐙を出してくれ」

「かしこまりました」


 そう言ってケインが取り出した鐙を見てニールフェルトは怪訝けげんな顔をする。


「どうした、予備の鐙か?傷んだ鐙で旅に出ようとした訳ではあるまいな」

「いえ、先日話したルーチェの発明品です。この鐙を使うと馬が鞍上の重みを感じなくなるという話でした」

「ルーチェ…誰だったか」

「ディルの孫娘です。城まで私を訪ねて来たあの少女ですよ」

「ああ、そういえばそんな話をしたな。重さを感じなくするとは凄いな。それも重力水の力なのか?」

「はい。まだ試作品なので使ってみて使用感を教えて欲しいと頼まれていまして」


 ニールフェルトに説明しながら手早く鐙を換えたレオンハルトは颯爽さっそうと愛馬にまたがる。


「拍車を当てる動きで力を発揮するそうなので、少し街道を行き来してみます。しばらくお待ちください」


 そう言って軽く馬の腹を蹴り、まずは歩かせる。少し進むとやや長い直線に差し掛かったので早速駆け足に移行する。レオンハルトの意に応えて走り始めた馬は、しかしすぐに走るのをやめて後ろの様子を気にしだす。

 レオンハルトが馬術を始めてから数年、もう基本動作でつまずくことは無いと思っていたので騎士見習いはやや驚く。しかし愛馬チュルクも王都から離れた見慣れぬ道に気が立っているのかと思い、首筋を軽く叩いてなだめる。しばらく声をかけていると落ち着いた様子なのでまた走らせるが、何度試しても走り始めてすぐに後ろを気にして止まってしまう。

 何がおかしいのか見当も付かなかったが、これ以上続けると悪い事が起こりそうな気がして、一旦馬から降りると手綱を引いてニールフェルト達の元まで戻る。


「どうした、調子が悪そうだったが」


 離れた場所からでも様子は見えていたようで、ニールフェルトが声をかけてくる。しかし尋ねられてもレオンハルトにも原因が判らない。チュルクは気性の穏やかな馬で、ここ一年程は鞍上の指示に背いた記憶が無いのだ。


「わかりません。走る気が無い時とも違う様子で、こんな事は初めてです」

「蹄に傷ができているのではないか?走り始めた後で様子が変わって見えたが」

「それもどうでしょう。それなら一度拒否してからも乗せるのを嫌がらないのは不自然です。ケイン、厩番うまやばんから何か聞いていないか?」

「いいえ、今回の旅の事がございますから、ここ数日は特に丁寧に世話をしたそうです」

「思ったんですが、馬に乗ったときは普通に重いんですかい?」


 話し合っているとラッドが何か思い付いたように口を挟む。


「ルーチェの話によれば、重さが消えるのは拍車を当てた時らしいからそうだろうな」

「それじゃあ、走りだそうとした時に重さが消えて馬の方はびっくりしちまうんじゃありませんか?」

「む…確かに鐙の理屈が馬には判らないからな。そうかもしれない」

「では、その為に走るのをやめてしまう、という事でございましょう」

「そうか。面白い道具だと思ったが、思わぬ所に落とし穴が有るものだな」


 ラッドの指摘が正しいようだと思われ、レオンハルトは残念ながらルーチェの新型鐙は使えないと判断せざるを得なかった。


「馬の気持ちまで操る訳にもいかんからな。娘には残念な事だろうが、これは改良したところで何とかなる問題でもなさそうだ」


 ニールフェルトが結論付けた通り、鐙のお披露目は失敗に終わったと考えるべきだ。レオンハルトは自分の事のように無念に思ったが、ルーチェはこの程度で立ち止まる娘ではない事も良く知っている。


「レオンハルト、馬が疲れていないようならこのまま出発したいがどうか?」

「結局駆けさせてはいませんから大丈夫だと思います。鐙を換えるのでしばらくお待ちください」


 そういうとレオンハルトはケインとともに手早く鐙を取り換える。


「進みましょう、お手間を取らせました」

「失敗は残念だったが試み自体は楽しませてもらった。ルーチェといったか、あまり気を落とさないよう伝えてくれ」

「大丈夫です。一度や二度の事でへこたれる娘ではありません。お気遣いありがとうございます」

「そうか。では行こう。ここからなら日が落ちる前に十分間に合う」

「ルーチェ殿には申し訳ないことですが、ヨシュハルト様たちに土産話ができましたな、若」


 口々に気分を変えるように促す言葉をかけられ、レオンハルトは自分で思っているよりも落胆を顔に出した事に気付き、本来の旅路へと意識を向ける。


「人の失敗を喜ぶような子たちではないが、そうだな。屋敷では知れない話となれば楽しいかもしれないな。さて、私も気を引き締めるとしよう。兄としては失敗談だけで楽しませる訳にもいかない」

「兄の矜持きょうじか?安心しろ。初めての経験なのだから聞かせる話題などすぐに山ほどできる」

「はい、よろしくお願いします」


 レオンハルトはひとまず発明の事は忘れ、本来の任務に注力することにして、しばらく続く林道の先を見通すように馬上で背筋を伸ばし、まっすぐ前を向いた。

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