第7話 鉱山街への途上

 鐙をめぐってのひと騒動の後は順調に旅は進んだ。途中ウサギらしい小さな影を見ることは有ったが、人間を警戒しているのかすぐに気配を隠してしまった。


「何度もこの道を行き来したが、人ほどの大きさの獣というのは見かけんな」


 ニールフェルトがぼそりと呟いたのをレオンハルトは聞き咎める。


「豚や馬より大きな獣の話など聞いた事がありませんが?」

「われらの故郷の大陸やこの島でも開拓時代は居たらしいぞ。残念ながらこの島の大きな獣は開拓期にあらかた狩り尽くしてしまったそうだ。一頭仕留めれば家族が数日肉を食べられたり、逆に人に襲い掛かるほど恐ろしい獣というのが居たらしい」

「人を襲う…そんな獣が居ないのは幸いですね。とびほどの鳥ですら子供には危険だと教わりました」

「全くだな。そんな獣が居たら騎士はさぞかし鍛錬に集中するだろうな」


 レオンハルトもニールフェルトも得体のしれない魔物のような影と戦う自分を想像して少しぞっとした。騎士は毎日鍛錬を課されるが、実戦の機会を想定した物とはとても言えない。そもそもアイク島五百年の歴史の中で騎士が戦う事になったのは二回きり。異常気象で不作だった年に食い詰めた農民、それもほんの少数が他の集落を襲う盗賊と化したのを討伐した時だ。

 同じ事がいつか起こるかもしれないからと、騎士階級の若者を戦士として鍛える風習を無意味だと言って、騎士団の制度そのものを廃止しようという声は何度も上がっていた。一方で無駄になるかもしれないが常に有事に備えるべきだという声も同じだけ上がっていた。

 だからディルが魔物と戦う騎士を求めた時、レオンハルトの父ハインリヒやニールフェルトのように勇んで応える少数の騎士が居たし、それを気でも狂ったかと陰で嘲笑あざわらう騎士が大勢居た。結果として無謀ともいえる冒険行が重力水という形で実を結んだにも拘わらず、自分たちの嘲笑ちょうしょうを過ちと認めたくない騎士は有用だと知りつつもハイ・メイスを手にしない。それをいさめる者が現れない事も含めて、アイク島が平和な証といえた。


「それはともかく、そろそろ鉱山街だな。どうやら日没前にその先の野営所まで足を延ばす事ができそうだ」


 ニールフェルトが少し安心した様子で話すのを聞いて、気を楽にしたらしいラッドが問いかける。


「歩いてみた感じでは急がなくても良さそうに思えやしたがね」

「そうだな。ただ、この季節は天気が変わりやすい。油断は禁物だぞ」

「いっそちゃんとした屋根の有る休憩所を建ててはどうなんで?」

「休憩できる場所を建てるという案は何度か提出されたことが有るらしい。その度にこの道自体の利用が少ない事を理由に退けられている」


 ニールフェルトの説明にラッドは納得がいっていないようだが、これ以上は無礼と判断したらしく黙っている。それを見かねたレオンハルトが言葉を継ぐ。


「しかし数少ない街同士を繋ぐ街道なのです。利用が少ないと言っても定期的で、しかも運ぶのは鉱石などかなり負担のかかる物なのですから、荷車を通しやすく整備した方が良いのでは?」


 レオンハルトの疑問にニールフェルトは少し表情を硬くしたが、思う所が有るようでかぶりを振ると答えを返す。


「結局のところそれが反対意見が大勢を占める理由だ。騎士の名誉でなく平民の利便のために税をつぎ込むことに、拒否反応を示す者たちを説得できずに来たのだ。港のように明らかに生活を向上させる施設であれば説得もできようが、今さほど問題が起こっていないとなるとな」


 ニールフェルトの口調で、最初に伝聞のように語ったのは一種の韜晦とうかい、自身何度も改善を試みて失敗してきたのだろうとレオンハルトは察する。


「鉱山で事故など有った際は急を知らせる必要も有りそうですが」

「確かに、過去何度かそういう事も有った。だが馬術に長けた騎士が危急時の早馬を飛ばす任務に就く局もあってな。この島にある街同士はそれで一日とかからず連絡が付く。だからそれで十分だと考えられている」

「今までそれで良かった、ですか」

「そうだ。こうすれば便利になると言うのは簡単かもしれんが、税の使い方を今までと変えれば今までは気づかなかった不足にぶつかる事も有るやもしれん。余裕が有ると言っても王族と騎士は平民に、そしてお互いに権威を見せる事も秩序を守るためには必要だ。思い付きだけではなかなか動けん」

「ですが変えてみたい、とは思っていらっしゃるのでしょう?でなければディルの誘いに乗る事もなかった筈」


 レオンハルトが過去の行動を指摘すると、ニールフェルトはやや表情を緩める。


「まあそうだな。だが税の使い方を主に決める政務局の連中には煙たがられているからな。提案してもまともに取り上げてはくれんのだ」

「煙たがられるのはしつこく提案してきたからなんでしょう?」

「そうなのだが…」

「失礼します、ニールフェルト卿、若」


 突然ケインが割って入ってきて二人とも驚く。確かにどちらかといえば気安い仲ではあるが、騎士同士の会話に割り込むのはかなりの不作法だ。


「そろそろ街が見えてきます。人も見えて来るやもしれません」

「む、すまない。確かに不注意だったな。レオンハルト、お前も何かを変えたいと思うかもしれないから言っておく。何を変えるかよりもまず変えるための力を付ける事を考えろ。人脈作りも含めてな」

「ご忠告感謝します。しかし私はニールフェルト卿もご存知の通り、まずは秩序を守る事を考えたいと思っております」


 自分の苦い経験からのニールフェエルトの真摯しんしな忠告にはそう答えた。しかし、ここ数日の経験から今まで当たり前のように思ってきた、秩序の維持と平民の生活の向上という騎士道精神の指し示す責務は矛盾する事も有るのだという事に初めて思い至り、レオンハルトは当惑していた。

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