第5話 初めての旅
それから数日、レオンハルトは王城でニールフェルトから旅の心得や必要な荷物などについて教わり、帰宅してからはヨシュハルトと共に稽古をして過ごした。ヨシュハルトはやはり腕力で棒を振り回しており、レオンハルトは手首の返しや足さばき等を丁寧に教えながら、自分の鍛錬にかまけて弟を放り出していた自分を反省した。
ミゼラリアは宣言通り二人の稽古を見守っていたが、一度デミストリが訪ねてきた時は二人でミゼラリアの私室で二人きりで過ごしていた。
レオンハルトが少し気になったのが神殿騎士団の様子で、確かに神殿から数日おきにどこかに派遣されているそうだが、その行方は従者同士でも話題にしないよう指示が出ているという話だった。王家はシリュペズ神殿の聖権を公認しており、島の開拓期にシリュペズ神殿が大陸時代の主要な神殿を差し置いて勢力を伸張した時期に、それを後押しして以来王城と神殿の仲が険悪だった事は無い。わざわざ
そして今日レオンハルトとその従者ケイン、ニールフェルトと従者ラッドの四人は城で落ち合い、互いに旅の装備を入念に確認して二頭の愛馬と共に出立した。
ケインは四十代、カシウス家内部の問題にも他家との渉外にも大きな役割を果たし、シモンの跡を継いで執事となる事を期待されている。一方ラッドはまだ二十代だ。ニールフェルトは体力のある若者を選んできたと言ったが、レオンハルトはニールフェルトが自分に配慮して気兼ねなく話せるような年齢の従者を選んだのではないかと思った。実際ラッドは朗らかな青年で、騎士への礼儀は失わないままにレオンハルトにも頻繁に話しかけてきた。実際五日以上も四人だけで過ごすので、雰囲気を明るくしてくれる存在は重要だと思えた。
レオンハルトは旅の最初のうちは、ルーチェから預かった鐙ではなく通常の物を使うことにした。ルーチェの技術を信用しないではないが、騎士などと名乗ってはいるものの、普段から馬を乗り回している訳ではないので、人馬ともに落ち着いてから試そうと考えたのだ。少し旅とは関係ない事を考えて上の空気味だったのに気付いたのか、ニールフェルトが声をかけてくる。
「レオンハルト、少し気が
「そうですね。初めての事ばかりで焦っていたかもしれません。気を付けます」
「人と馬の歩幅の違いもだが、アイク島は平地が少ない。上り下りを繰り返すと意外なほどに体力を奪われるのだ。覚えておけ」
それはこの三日間のうちに何度か指摘された注意事項だ。その時は確かに理解したつもりの事もこうしてまた注意を受ける。確かにこれを見習いのうちに経験できたのは大きな収穫だ。そう思うと同時に、旅に出る任務など想定していないだろう神殿騎士団の事を思い出す。無礼な対応をされて驚いたが、彼らも未経験の出来事に気が
「話を聞くのと実際に体験するのとでは思った以上に違うものですね」
「そうだな。私も初めてこの任務について先輩の騎士に同行したときは、わかっていたつもりで様々な失敗をして笑われた。他の局に所属する騎士もそれぞれに任務の苦労が有るのだろうな」
「父上にもそんな経験が有るのでしょうか」
レオンハルトにとっては威厳の塊のような父ハインリヒを思い出して呟くと、少しいたずらめいた声色でニールフェルトがケインに水を向ける。
「誰でも経験する事だと思うが…ケインは長くカシウス家に努めているのだからそういった話を聞く事も有るだろう?」
「勿論でございます、若。旦那様も入団した初めての年は、手厳しい指導を先輩の皆様から受けたとよく嘆いていらっしゃいました」
「家での父上の姿からは想像もできないが」
「父親としての威厳というものが有るからな。だが従者には伝わっているものだし、そうした主人の失敗というのを覚えておいて、次代の騎士をさりげなく助けるのも従者の務めという訳だ。ラッドも次の機会のためによく学んでおけ」
「承知しやした、旦那様」
「ケインも頼むぞ。きっとヨシュハルトも私と同じく天文局に配属になるのだろうからな」
「六つ違いの弟か。どうかな、ハインリヒ殿と同じく税務局に配属になるのではないか。普通は父親と同じ部署に配属になるものだ」
レオンハルトがここ数日今までよりも深く関わった弟の話題を出すと、ニールフェルトが疑義を呈する。そういった慣習の存在はレオンハルトも知っていたが、それについてはやや否定的な考えを持っている。
「その慣習も何代も前の人間関係がいつまでも固定される原因になるのではと思っています。確かに弟に馴染みの居ない部署に配置されて苦労して欲しいとは兄として思いませんが」
「難しいものだな。その点では複数の男子に恵まれた親が少し羨ましいな。娘は可愛いが騎士になる事はできぬからなぁ」
「旦那様はまだお若い。これから子宝にも恵まれるでやしょう」
「そろそろ養育費が心配だからな。平民に聞かれたら怒られそうだが、騎士らしく振舞わせる為にはそれなりに金がかかる」
「確かに騎士が生活費の心配など身勝手だ、と言われるでしょうね。あっしの父も母も年貢を納めた後はぴいぴい泣いておりやした」
今度はニールフェルトのスメタナス家に召し抱えられる前は農民だったラッドが口を挟む。
「税は平民の生活を圧迫せぬよう定められる筈だが」
「レオンハルト様なら気を付けてくださるでしょうが、なかなかどうして。少しずつなら貯えもできますが、不作の年や自分達では直せないような物が壊れた時の修繕費であっという間に飛んで行きますわ」
「なるほどな。日々の生活が釣り合うだけではいざという時に困るのか。ラッドには良い話を聞かせてもらった。父上にも話しておこう」
そんな話をしていると、王都のある小高い台地から少しずつ離れてきて道がだんだんと下ってくる。街道に等間隔で植えられた景観を整えるための植木が姿を消し、道端にところどころ雑草の茂みが目立ってくる。
港町に向かう南の街道は頻繁に使われる為に街道全てが石畳を敷き詰めた造りだが、鉱山へ向かう道は一里塚が設置されている以外は、馬車が通れる程の広さに土を踏み固めた簡易の道だ。それでも登山の準備で荷物の多い一行でも、一日あれば十分に目的地まで辿り着ける。
北西に有る重力水が見つかった洞窟も距離において差は無いだろう。このアイク島は本当に小さいのだ、とレオンハルトは改めて感じた。
「どうした、レオンハルト。考え事か?」
「ええ。この島は小さいのだな、と改めて感じておりまして」
「急だな。旅も始まったばかりで…だが確かにこの島は小さい。開拓者たちがこの島の海岸線を隅々まで測量するのに十年とかからなかったと聞いている。小さいだけでなく起伏も多くて耕作に適した土地も少ない。先ほど税の話をしていたが、なかなかこの島が豊かにならぬ理由の一つだ」
レオンハルトの唐突な
「鉄は質の良いものが取れると聞きますが、他と較べて確かめる事もできませんから。戦が無いというのは素晴らしい事だと思っておりますが」
「騎士の存在意義が問われる、な。だが我らの先祖がこの島に渡って来たのは遥か南の大陸で戦に敗れ、逃げるしか無かったからだ。船に逃げ込んだ先祖たちの多くは島に辿り着く事もなく死んでいった。
それを思えば王も騎士も民衆も一つにまとまって生きているこの島は楽園だろう。王と騎士はこの島の平和を守るためによく島の行く末を図り、平民たちが静かに暮らしていけるよう導いていかねばならん」
「その通りです」
だからこそ騎士は秩序の護り手でなくてはならないのだ。レオンハルトは改めて決意した。
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