第4話 カシウス邸
「レオンハルト、只今帰りました」
「お帰りなさいませ、若。今日は普段より早いお戻りですね」
ディルの工房から戻ったレオンハルトが玄関に入ると、すぐさま執事のシモンが出迎えてくれた。祖父の代から務めている古株で、屋敷の実務から新米従者の教育まで一切を取り仕切る有能な男だ。本人はそろそろ後任に後を委ねて引退したいようだが、当主ハインリヒにとってはシモンが居なくなったカシウス家という物が想像しづらいようで、長々と引き留めている。
レオンハルトにとっても家族のようでもあり、同時に使用人という立場だからこその
「ああ、今日はいろいろと用件が重なって午後の鍛錬を休みにしたのでな。すまないがこの鞄を
「これは?」
「ルーチェ特製の鐙だ。中の重力水が暴走しないように、必ず天地をかえさずに運んでくれ」
「ディル殿ではなくルーチェ殿が作ったのですか」
やや意外そうに呟く。シモンも大方の人間と同じくルーチェが女の身で鍛冶仕事を行うことを酔狂と
「まだ私が試しに使ってみるという段階だがな。もし問題が無ければいずれ他の騎士の中にも使ってみたいという方が現れるだろう」
「む…若は練習相手という事になるのですか」
「実験と改善は発明に不可欠、とディルも言っていたよ。そろそろルーチェの事も遊び半分でやっているのではないと認めてやってくれないか」
「完成させたあかつきには一人前と認めましょう。その時には従者同士の
シモンが声をかけると、傍に控えていた若い従者がすぐにレオンハルトから鞄とデュラディウスを収めた袋を受け取る。その動作はきびきびしているが、鞄を受け取るときに少し躊躇したのをレオンハルトは見逃さない。
「大丈夫だアレン。
「あの小娘、いやルーチェ殿に保証されましても…」
「アレン、無駄口を利かないように」
何事か言いかけたアレンをシモンが遮り、役目を果たすよう促す。
「相変わらずアレンはルーチェが嫌いなようだな」
アレンはレオンハルトより二つ年上の青年だ。幼い頃から屋敷に奉公に来ており、レオンハルトの相手を務める事が多かった。触れ合う機会が多い分レオンハルトへの忠誠心も深く、騎士階級に対してぞんざいなディルやルーチェの振る舞いによく
「この件に関してはディル殿やルーチェ殿に責任が有るかと。身分の別は秩序の基本と存じます」
「まあ確かにな。少なくとも他の人の前では礼節を尽くすようにルーチェにはきつく言っておく。それと、屋敷の中の事ではないのだが頼みたい件が一つ有る」
「なんなりと」
「実は神殿騎士の様子が妙でな」
そういうとレオンハルトは城門前の広間でローグライアンと揉めた話をする。
「ふむ、確かに奇妙な話でございますね。神殿へ帰ったということは任務は終わったのでしょうし、従者には詳細が伝わることもございましょう。付き合いのあるお屋敷のいくつかにそれとなく尋ねてみましょう」
「頼む」
レオンハルトが軽く頭を下げるのにシモンが深くお辞儀をして離れていくと、屋敷の奥から軽い足音が二つ並んで聞こえる。
「お兄様」
「今お帰りですか」
そう声をかけてきたのはレオンハルトの弟妹だ。ハインリヒの後妻マリアンナが前の夫との間にもうけた、レオンハルトとは二歳違いの連れ子ミゼラリアと、ハインリヒとマリアンナの間に生まれた十歳のヨシュハルトは血筋の上での父は違うが仲が良い。
ミゼラリアの婚約者デミストリも加わって三人で書庫を漁っている事が多い。ハインリヒとレオンハルトはヨシュハルトが武芸にあまり興味を示さない事をやや
「ただいま。今日はデミストリは来ていないのか」
「ええ、デミストリ様は長子でいらっしゃるのですから、毎日婚約者と遊び
「確かにそうだが、寂しくはないのか」
「ヨシュハルトが居ますもの」
「そうか。ヨシュハルトが剣術の稽古を怠るようでは私としては困るが」
軽口半分、本気半分でレオンハルトが水を向けると、素直な弟は顔を真っ赤にして答える。
「さ、さぼっている訳ではありません、兄上!」
「もちろんです、お兄様。ちゃんと言いつけ通り毎日百回は素振りをしていますよ」
「兄上、僕だって剣を疎かにするつもりは有りません。でもディルがただの棒を振っていろと言ってデュラディウスを渡してくれないから…」
「ヨシュハルト、あれはただの棒という訳ではないぞ。デュラディウスが重力水のおかげで振ると軽く感じるのは知っているだろう。ディルは私のデュラディウスと振った時の感覚が同じになるよう、棒の長さや重さを調えてくれている」
レオンハルトが笑いながら諭すと、ヨシュハルトは思いもよらないことを聞いたという表情を見せる。
「何も説明されなかったのか?」
「はい、ただこれを振っていろと渡されただけで」
「困った方だ。それではただ闇雲に振り回していたのではないか?いざデュラディウスを持った時に正しく振れるように慣らすための棒だったのだが」
「はい。ただ振る力を鍛えれば良いのだとばかり…」
「デュラディウスは力で振るう訳ではないからな。よし、今日からしばらくは私も帰りが早い筈だ。正しい型を身に付けられるように一緒に見てやろう。ミゼラリアには退屈な思いをさせてしまうが」
「お稽古は中庭でなさるのでしょう?それでしたら日光浴にもよい季節になりましたし、お兄様たちの様子を眺めているのも楽しいものですわ。それにしても明日から何か特別なことでも?」
「父上とも親しいニールフェルト卿をご存じだろう?三日後から任務で王都を離れるのだが、見習いとして旅に同行するよう仰せつかった」
何気なくレオンハルトが答えると、ヨシュハルトが興奮した様子で問いかけてくる。
「兄上、旅をなさるのですか?どこへ行かれるのです?」
「アルカナ山地だ。稲を植える時期を教えてくれる花が咲くそうだ」
「花…お兄様、どんな見た目をしているのでしょう?」
「それは聞かなかったな。ミゼラリアもヨシュハルトも剣よりもよほど楽しそうな顔をしている。そんなに花が好きなのか?」
「花は好きですけども、何より王都で暮らしていては見られない物なのでしょう?例えば歴史書を読んでわたくしたちの祖先が住んでいた大陸なる場所に思いを
ミゼラリアがどこかうっとりした様子で説明するが、レオンハルトにはあまりピンとこない。未知であるとは危険であると思ってしまう。
「ルーチェも任務の話をした時に同じような事を言っていた。日々の暮らしが不満だという訳でもなさそうだったが」
「お父様やお兄様がおっしゃる騎士道では日々の暮らし、安定した秩序こそが何よりも重要だと教えますものね。でも見知らぬ何かに憧れるのは日々の暮らしを楽しむ事と同じように、人の自然な気持ちだと思いますわ」
「そんなものかな。ではせっかくだから旅の途中で起こった事をよく覚えておくとしよう。五日から十日程の旅らしいからな。帰ってきたらいろんな話ができるだろう」
「なんだか
「そうだな。山地に分け入るときは天候次第で様子を見るそうだし、花も着いたらその時に咲いているという物でもないからな。さて、部屋に荷物を置いたら早速ヨシュハルトの稽古を見てやろう。中庭で待っていてくれ」
「はい、兄上」
「お待ちしております」
二人の返事を聞いて頷くとレオンハルトは自分の部屋に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます