第3話 ルーチェの発明
見習いの詰め所に戻ったレオンハルトはすぐに荷物をまとめて城門を出る。荷物といっても従者を伴う事を許されない見習いのそれは大した量ではない。鍛錬で汗だくになった肌着の替えや書類仕事に使う羽ペンなどが中心になる。武具の類は王城に置く事を許されているので盗賊など出る筈も無い城の詰め所に置きっぱなしという者がほとんど。レオンハルトは同輩の中では珍しい部類で、デュラディウスを破損を防ぐ専用の袋に収めて常に持ち歩いている。取り回しが容易でないからこそ、普段から身に着けて慣れておくべきだと考えているのだ。
今日の門番を務める騎士に挨拶をして、ディルの工房に向かうべく城門前の広場から城の建つ丘を下っていく。
まだこの島に人が移り住んで間もない頃、開拓者達は先住民の存在を危惧して防衛に適した小高い丘がいくつも存在する地域に拠点を構えた。結果として他者の襲撃は全くの杞憂だったが王都はその名残でそれぞれの地区の特色の有る丘と、それを繋ぐ低地を舗装した大通りで構成されている。ディルの工房の有る北東地区は鍛冶師が何人も店を構えているが、日常的に客が訪れるという業種でもないからか人通りは少ない。もっとも鍛冶仕事には大きな音がつきもので、閑静とはとても言えない。
丘を下ったレオンハルトが北東地区に繋がるやや細い通りへと足を向けようとすると、特徴的な大盾を揃って構えた騎士たちがシリュペズ神殿のある丘に向かって馬を歩かせている。盾には家紋を彫り込むのが普通の騎士の中で、揃いの大盾を使うのは騎士団からシリュペズ神殿に派遣された神殿騎士だから方角におかしな所は無い。
が、総勢五十人の神殿騎士のうち十人が神殿からまとめて離れていて、その事が城の騎士団本部には音沙汰も無かったというのが気にかかったレオンハルトは彼らに近付く。すると中には怪我をしている者も見て取れてますます不審だ。先頭を行くのはマルコフ=イベリム家のローグライアン。そろそろ家督を継ぐだろうといわれている青年騎士だ。
「ローグライアン卿。神殿騎士団に何か任務でもございましたか?」
レオンハルトが声をかけると皆厄介事を見たと言わんばかりの顔をしている。
「カシウス家のせがれか。貴様には関係のないことだ」
ローグライアンはそう言い捨ててそのまま馬を進めてしまう。他の騎士たちもどうしたものかと顔を見合わせるがそのまま付いて行ってしまう。これは異常なことだ。神殿騎士に派遣されるのは多くは開拓期に有力貴族の次男三男が叙勲されたいわゆる分家筋だ。もちろん安定期に入った今、分家筋の家柄だからと言って他の騎士より格が劣るということはないが、カシウス家が疎まれるといってもここまであからさまに礼を失した振る舞いをされるなど滅多な事ではない。
「何か変事でも有ったのだろうか…」
つぶやくが、結局はレオンハルトもこの太平の時代に慣れている。屋敷に戻ってから従者を通じて話を聞けば済むだろうと捨て置くことにした。
ディルの工房は北東地区の中でもやや入り組んだ場所にあるが、ハイ・メイスに代わる新たな騎士の主力装備として開発されたデュラディウスの試用を託されて以来、体の成長に合わせて何度も調整に通ったレオンハルトにはもはや路地の空き箱すら見慣れたものだ。
道で時たま擦れ違う他の鍛冶師の家族とも顔なじみで、いかにも騎士階級らしい身なりのレオンハルトの姿にも奇異の視線は感じられない。甲高い槌音を響かせる工房の扉を叩くと、返事を待たずに中に入る。最初の頃は礼式に則って内から開かれるのを待っていたが、ディルもルーチェも研究と仕事に熱中して来客に気付かない事など日常茶飯事なのだ。
「ごめん、カシウス家のレオンハルトだ。ルーチェ嬢に招かれて参上した」
扉を開けるとどうやらレオンハルトの来報を待っていたらしいルーチェが椅子からぴょこんと立ち上がる。槌音を響かせるディルは来客に顔を出す事すらしない。若い従者を伴った時などは、ディルの態度に憤激した従者が怒り出すのが恒例になっている。
そんな接客態度でも常に一定の客層を保っているのはひとえにディルの的確な鍛冶師としての腕と、重力水に限らず様々な今までは発想すら無かった便利な道具の発明によるものだ。そしてルーチェはそのディルの才能と業前を確かに受け継いでいる、とレオンハルトは思っている。彼女の初めての発明を目の当たりにするのを本当に楽しみにしていた。
「レオンハルト、いらっしゃい。じゃ、こっち来て」
そういうとルーチェは工房の奥にしつらえた扉の向こう、ディルが何度目かの工房の改修の際にルーチェに用意した専用の研究室にレオンハルトを招く。この工房の中ではレオンハルトもルーチェの言葉遣いなど気にせずに応じる。
果たして研究室の中央の机に鎮座していたのは
「これは
「うん、これがお爺ちゃんの手を借りずにあたしが作った最初の作品…ええっと、名前は重力水式鐙ってことで」
「まあ、斬新な名前を付けなければいけないって事は無いけど。しかし鐙といっても…強く馬に拍車を当てればその分速く走るという訳ではないよ?」
「怖い事言わないでよ。お爺ちゃんの発明品でそんな事したらお馬さんのお腹が弾け飛んじゃうわよ」
「なるほど。それじゃこれは今までの鐙と何が違うんだ?」
レオンハルトが尋ねると待っていましたとばかりにルーチェは小さな体をグンと伸ばして胸を張る。
「なんと!この鐙で馬を駈けさせると馬には鞍の上の重さが伝わらないの。これで馬は人の重さに困らされずに、今までよりも速く長く走り続けられるのよ!」
「重さを感じさせないだけ?」
「うん。そもそも重力水がどんな物かは判ってる?」
重力水。それはディルが二十年ほど昔にほぼ偶然発見し、研究を重ねた結果アイク島にもたらされたそれまでの常識からは全く考えられない技術だ。それまでも新たな合金の配合や使う人物に合わせた道具の微調整など、伝統的な鍛冶の技術に独自の改善を重ねてディルは異端の天才との名声を上げつつあったが、今までの技術の改善だけではディルの研究欲は満足しなかった。
危険を承知で、アイク島北西部にある不思議な洞窟に現れる魔物と呼ばれる正体不明の粘体を細かく観察したディルは、その挙動から魔物の持つ周りを害する攻撃的な動きが捕食行動でないどころか、その実体が生物ですらない事を確信した。
そして鍛冶師の仕事で縁のあったカシウス家、特にディルの才能を信頼していたレオンハルトの父ハインリヒをはじめとする騎士に協力を要請、魔物を討伐してその現象を引き起こしていた水のように見えるが遥かに重いねっとりした液体を入手。さまざまな計測や実験を行いその液体が一定の軌道を描かせることで周りの物体に及ぼす重力を変化させることを突き止めた。
そうレオンハルトが自分の重力水に関する認識を確認するとルーチェは頷く。
「そうね。重力水の歴史ということならその答えで満点だと思う。でもなんでそんな事ができるのかについては全く分かっていないの。あたしも、お爺ちゃんでさえも、ただ何度も何度も重力水の実験を重ねてこう使えばこんな事ができるという事が判ってきただけ…
そうじゃなくて、言いたかったのはお爺ちゃんが発見した使い方が重力水の基本動作ではなかったと言う事。ハイ・メイスもデュラディウスも振る動作の遠心力で中に仕込まれた重力水を動かして、重さを感じなくさせると同時に鎚頭や刃の周りに周りの物を押し退ける力を発生させる。
つまり二つの事を
「では成功した、というわけだな」
「ううん、実はまだよ。あたしのやり方だと押し退ける力…お爺ちゃんは斥力、と名付けたんだけどそれは出ない。その代わりに重力水を仕込んだ物そのものじゃなくてちょっと離れた場所に効果が出るようになっちゃったの。基本的な動作一つ一つを別々にさせる為には、多分今の人間の技術ではできないほど細かい動きをさせなきゃいけないんだと思う」
「今の人間にはできない?」
「これはお爺ちゃんとも話した事が有るんだけど、重力水は人間がその存在を忘れてしまうほど昔に人の手で作られたものだと思うの。自然にできた物と考えるには重力を操る力なんて規格外すぎるし、魔物だって島の中でもあの変な洞窟にしか出てこない。なぜこんなすごい技術が失われたのかまでは判らないけど…」
ルーチェにとっては至極重要な事だろうが、レオンハルトとしては重力水そのものについてはさして興味は湧かない。気になるのは重力水によって作られた発明品だ。思索を切り上げて説明を続けるようルーチェに促す。
「その辺りはディルと存分に話し合ってくれ。それよりこの鐙について教えてほしい」
「もう!大事なことなのに」
するとルーチェは頬を膨らます。研究について語っていた時と打って変わっての年相応の仕草に、思わずレオンハルトは笑ってしまう。
「何が面白いのよ!」
「ごめん、急に子供っぽくなったから思わず。気にせず続けてくれ」
「誤魔化されないわよ。後でちゃんと謝ってね…鐙のことね。効果が予想外の形になっちゃったけど、研究を続けて何とか重力水を埋め込んだ物そのものじゃないけど、狙った場所には効果を持ってこれるようになったの。重さを感じさせなくするんだから、何かを運ぶものに組み合わせるのが一番だと思って。いろいろと考えてみたけどレオンハルトが使う物と言ったら馬具かなって」
「ん?これは私が貰って良いのか?」
「まさかただ見せびらかすために呼んだとでも思ってるの?ただあげる訳じゃないわ。実際に使った感想とかを聞きたいの」
「実験ということか。ちょうど任務でしばらく旅に出る。その時に使ってみよう」
「すぐ帰れない場所に行くなら、普通の鐙も持って行ってね。もし上手くいかなかったら大変だもの。それと重力水が暴走した、とかならしょうがないけどできるだけ壊さないでね」
「気を付けよう。二週間ほどしたらまた来るよ」
「そういえばどこに行くの?」
「アルカナ山に登る。そこにしか咲かない花の観察が任務だ」
「鉱山じゃなくて?そういうのなんだか羨ましいな」
「鍛冶仕事で使う金属でなくて、花にも興味が有るのか?」
「花がどうってことじゃなくて、普通に暮らしてたら何の関わりもない所に行くのが良いなって思うの」
「よく判らないな。普通に暮らして、それで満たされるのならばそれが一番じゃないかな?」
レオンハルトがそう返答すると、ルーチェは少し苦しそうな表情を見せたが何も言わなかった。それから少し鐙の扱いについて注意を受けた後、レオンハルトは工房を後にした。
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