第3話 オーベルジュ

 そこは食堂だった。

 白いクロスが掛かったテーブルが四つ。天井は高く、窓も大きい。開放的で雰囲気が良く、内装もシンプルで落ち着いていた。

「ここは、お店なんですか?」

「元々、オーベルジュだった」

「オーベルジュって?」

「平たく言えば、泊まれるレストランだ。前の持ち主がやっていたことで、私はさして興味が無かったのだが」

 時雨は、単調な物言いで続ける。

「料理人として雇われていた人狼の婆やに、これが生きがいだからと店の継続を懇願されてな。ゲストは一度に一組のみ、料理から客の世話まで全て引き受けるという条件で、館が私の手に渡った後も、彼女は一人で営業を続けていた。その婆やが、高齢の為つい先日引退した。婆やが去り、そのまま店も畳もうとしたのだが、ある問題が発覚した」

「問題?」

「婆やが、うっかりしていたようでな。予約票に一件、名前が残ったままだった。私も、つい先程気が付いたのだが。その予約日が、今日だ」

 眉間に皺を寄せ、時雨は小さく息を吐く。

「婆やは遠方に越してしまったし、妖界に料理人の知人はいない。仕方なく、人間界から料理人をさら――連れて来ようと思っていたところ、偶然お前を見つけたという訳だ」

 言い直したが、人攫いを働くつもりだったらしい。結果的に、幸助がその被害者となってしまったのだが。

「あのぉ、さっきから気になってたんですけど」

 遠慮がちに、幸助は口を挟む。

「なんだか、焦げ臭いような」

「それは、だな」

 時雨が、なぜか決まり悪げに口ごもる。そしてテーブルの間を抜け、奥の厨房へ向かう。幸助も、その後に続いた。


 厨房を見て、幸助は感動した。

 大きな調理台。鍋やフライパン等、種々様々な調理器具。食器類も豊富に揃っている。シンクもピカピカに磨き上げられており、大切に使われていたことがわかる。

 そして、コンロの上に放置されたフライパンが一つ。その中に、黒コゲになった何かがあった。

「これは何ですか?」

「目玉焼きだ。自分でどうにかできないかと、作ってみたのだが」

 ふいと目をそらし、時雨は頬を掻く。どうしたら、目玉焼きが炭と化すのか。幸助は言葉を失った。

「頼みというのは、他でもない。これから訪れる客の為に、料理を作って欲しい」

「え、僕が!? そんな、無理ですよ!」

 幸助は、ブンブンと首を横に振る。

「僕は、料理人でも何でもないですし。それに、もし料理が気に入らなかったら、最悪殺されちゃったり――」

 ここは妖界。有り得なくはないことだ。自分で言って、幸助はゾッとした。

「その点は、心配無用だ。今夜の客は私の知人。そのような下品な行いをする者ではない。万一、料理が口に合わず、怒らせるようなことになったとしても、それは全て私の責任。お前に何らかの被害が及ぶようなことは、一切無いと誓おう」

「でも、僕なんかが、力になれるんですか?」

「無論だ。先程のマフィンは、本当に美味かった。味だけでなく、丁寧な包み方や装飾に、食べる者への真心を感じた。お前の料理なら、客も喜ぶ」

 躊躇う幸助に、時雨は真顔で言い切った。

「幸助、お前の力が必要だ」

「僕が――」

 必要とされている。その事実に、幸助は心が熱くなるのを感じた。それは、これまで劣等感の中にいた彼が感じたことのない、初めての感覚だった。

 不安だし、妖云々は、正直まだ怖い。だけど――。

「やってみます。お客さんを満足させられるかは、わかりませんけど」

「そうか、助かる。よろしく頼む」

 時雨の無愛想な顔が、ふっと和らいだ気がした。

「ちなみに、僕はちゃんと人間界に帰れるんですよね?」

「あぁ。客の食事が済み次第、直ちに送り届ける」

 それを聞いて、とりあえず一安心、とすることにした。

「言い忘れていたが、あまり時間が無い。客は十八時に到着予定だ」

「えぇっ!?」

 壁の時計を見やる。あと一時間しかなかった。

「それと、客からのリクエストがある」

 時雨は黒パンツのポケットから、二つ折りされたメモ用紙を取り出して広げた。

「客は大人一名。仕事上、体型維持をしなければならないので、ヘルシーかつ食べ応えのあるものを。それと、せっかくなので食事はみんなで、とのことだ」

 ボクサーか何かだろうか。そもそも、客が「何者」なのかも、幸助には見当がつかない。とりあえず冷蔵庫を開け、幸助は食材を確認する。

「冷蔵庫?」

 ふと、疑問を覚えた。

「ここって、電気通ってるんですね。コンロがあるということは、ガスも使えるのか。でも、どうやって?」

「人間界で、ライフライン関連の会社に勤めている妖がいるので、上手くやってもらっている。もちろん、電気代もガス代も、きちんと支払っている」

 そういえば、炊飯器や電子レンジ、オーブンまで、ごく自然に置いてある。妖界は、案外便利なんだな。なんて、感心している場合ではない。時間が迫っている。

 野菜、卵、基本的な調味料。つい先日まで婆やが料理していたとあって、色々揃っていた。食材を前に、幸助は頭の中で献立を組み立てていく。

「足りないものがあれば、至急用意するが」

「とりあえず、あるもので何とかしてみます」

「承知した。何か手伝うことはあるか?」

「だ、大丈夫です。火加減とか、何となく見ててもらえれば」

 傷付けないよう、やんわりと戦力外通告を下す。無惨な目玉焼きを手早く片付け、幸助はさっそく調理に取り掛かった。

 まずは米を洗って炊飯器にセットし、スイッチオン。そして小鍋を火にかけ、湯を沸かす。その間に、レタスとミニトマトを洗ってザルに上げ、続いて玉ねぎをみじん切りに。その後も、野菜類をどんどんカットしていく。湯が沸いたら、筋を除いた鶏ささみを入れて茹で、それから――。

「た、楽しい」

 思わず声が出た。その後も手際良く調理を進め、幸助は作業に没頭していった。


「そろそろ時間だ」

 言われたとおり、黙ってコンロの火を見ていた時雨が呟いた。

 その声に、幸助はハッと我に帰る。すっかり夢中になっていたようだ。顔を上げると、楓が冷蔵庫にシールを貼って遊んでいた。

 時刻は十八時少し前。間もなく到着する客を出迎えに、三人は厨房を後にした。


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