第6話




 体力が回復しきらず、泣く泣くセオドアに抱えられて樹海を戻ると、疲労を滲ませたルヴィナが、侍女に扇子で扇がれながら待ち構えていた。


「お母さま……! お帰りな、さ、う゛ッ!?」


 淑女にあるまじき濁点を上げたルヴィナ。表情が強張り、華のかんばせが見る影もなく嫌悪感を露わにする。

 視線の先にいるセオドアが、人の良い笑顔で首を傾けた。


「やぁやぁ、可憐な姫君。その顔は俺を知っている顔だな?」

「…………が、どうしてお母さまを抱きかかえているのですか……!? っ返しなさい、わたくしのお母さまです!!」


 相当の立腹らしく、ルヴィナの足元へ再び魔法陣が輝き出す。風が巻き上がって月光色の髪を揺らし、少女は片手を前に突き出すと魔法を構築し始める。


「“在りし日の刃、追憶の奏” “我が愛の鳥籠に、錠を掛けろ”!」


 周囲には光のが現れ、セオドアの腕や胴体を貫き、エルシィだけを取り囲もうと蠢いた。

 刺し貫かれた痛みがある様子ではないものの、鋭利な切先が男の首から背後に向かっていったのが見え、エルシィは驚愕に悲鳴を上げる。

 セオドアは鬱陶しげに眉を寄せ、次いで肩をすくめつつ女神の額に頬擦りした。


「……先制攻撃は素晴らしい、が……やはり聖女としては未熟なんだろうな」


 一瞬の間のあと。

 ルヴィナが操る城壁に似た光の柱は、西の空へ消える月のように、空気へ溶けていく。

 唖然としたルヴィナを含め、臨戦態勢に入ろうとしていた隣国の騎士までもが、いっそ美しい光景に口を半開きにした。

 エルシィも同様に目を瞬かせ、しかし何故か髪の毛が引っ張られるような、頭皮が突っ張るような違和感を覚える。


「い、いたっ、なに? 髪が」

「ああ! すごい効き目だろ? 実はさっき、君の髪に防御の術式を書き込んだんだ」

「は?」

「俺が顔を見せれば、絶対になにかしら攻撃されるだろうと予測してな。いやぁ、備えあれば憂いなしと言うやつだぜ。わっはっはっh」


 セオドアが陽気に最後まで言い切る前に、エルシィは片手の手根部を男の顎に直撃させた。

 空気を裂く勢いで繰り出された見事な掌底。セオドアのつま先が浮く勢いであった。

 そのまま後ろにひっくり返った男の腕から、エルシィは華麗な着地を決めると、何事もなかったようにルヴィナに近寄る。


「遅くなって申し訳ありません」

「……まぁ……お母さま、お強いのですね……」

「これでも棟梁の一人娘ですので」


 真面目な顔のまま、ひ弱な腕で力こぶを作って見せれば、ルヴィナは目を丸くしたまま何度か頷いた。



 ◆ ◆ ◆



 父母に状況の説明と、多少遠出する旨の置き手紙をし、エルシィは軽装のまま隣国へ向かうことになった。

 関所街で多目的用の通行権を発行してもらい、ルヴィナの侍女が手配した馬車に乗って、隣国の王都に向かう。


 エルシィの気分を表すような空模様は、まるで雨が降り出しそうに薄暗い。

 この数時間で一生分の驚愕があり、彼女はほとほと疲れてしまっていた。これから更に疲労困憊が待ち受けるのかと思えば、気が滅入って溜め息を吐き出す。

 膝を突き合わせ向かい側に座るルヴィナが、眉尻を下げてエルシィのワンピースに触れた。


「お母さま、ご安心ください。わたくしたち隣国の王族は、お母さまを苦しめようと、お呼びたてするわけではないのです」

「……そう、なんでしょう、かね……」


 ルヴィナに連れられて向かう先は、隣国の王城である。てっきりルヴィナに協力し、他の聖女を探すのかと思ったのだが、前段階があるらしい。

 なんと国王が直々に、エルシィへ事と次第を話したい意向なのだと、小さな聖女は口にしたのだ。

 

 率直に言ってしまえば、嫌な予感しかしない。

 聖女が出力全開で魔法を行使する為に必要な根源を、エルシィの祖国が囲い込む前に手に入れたい。そんな隣国の下心が透けて見えるようである。

 そう思ってしまうほど、ルヴィナの言動は姑息であった。

 もしかしたら大司教トミーは、こうなる事を予想して、セオドアを連れて行けと進言したのだろうか。

 当のセオドアは御者役として、鼻歌交じりに馬を操っている。彼はトミーと同じく世界中を旅しているそうで、馬の扱いも心得があるのだと胸を張っていた。


「……あの、お母さま? あの男を本当にこのまま、連れていくのですか?」


 呑気に民謡まで歌い始めたセオドアに、ルヴィナが苛立たしげに小声で訴える。

 調子良く歌う声は快活明朗で、拍手しても良いほど上手かった。


「え? ええ、不本意ですが……。大司教が同行させよと、申されましたので……」

「あの男は筋金入りの変態魔術師ですよ? お母さまの従者としても不適合かと」


 セオドアの変態具合は万国共通らしい。

 エルシィは乾いた笑みを浮かべつつ、いっそ従者であってくれたらと、再三の短息を空気に溶かした。


「いえ……、ええと、婚姻の運びとなりそうでして……」

「──は?」


 半ば呆然と目を見開いたルヴィナより先に、エルシィの耳には、地面を這う声が飛び込んでくる。

 その発生源はルヴィナの隣に座り、品性方向な淑女然としていた侍女の方だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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