第7話
第二王女ルヴィナの侍女、シテラ。
茶色を帯びたくすんだ金髪に、眼光鋭い橙色の瞳が印象的な、二十代前半の女である。
彼女は片手の指先で己の口を隠し、失礼、と咳払いした。
「僭越ながら申し上げますが、母体樹さま。あの男は不良債権。とてもでありませんが、神聖な貴女さまには釣り合いません」
「彼が不良債権である認識も万国共通なんですか……!?」
これは流石に予想外であった。
大司教トミーには恩義もあり、人としても好ましく思っている。だがここまでくると、面倒な貧乏くじを引かされただけではないだろうか。
困惑するエルシィに、ルヴィナも侍女の言葉に頷いた。
「お母さまは平民ですので、詳細を知らないのも無理ありません。あの男は現王族にとって、罪人なのです」
「は、犯罪者なんですか!?」
「あの男は、旧王国時代の直系。歴史書の始まりにして唯一、世界を破滅に導いたと記述がある、この世界の汚点なのです」
旧王国時代という単語は、数年ほど滞在した王城で聞いたことがある。
神が生まれる前に存在した、混沌なる時代。
三人の険悪な統治者によって地上は戦火に見舞われ、絶えず血が流れては大地を汚し、空は煙で覆われていた。
動植物は役目を果たす前に死に絶え、人間は魂の
そんな中、雲の真綿に包まれた男神と女神が生まれたのだ。
男神と女神は強力な力、──後に魔法と魔術と呼ばれる力を行使し、世界を混沌と破滅に導く邪悪な統治者を、徹底的に懲らしめる。
統治者はそれぞれ鬼籍となり、直径の子孫らは姓を捨て、世を捨て、密やかに暮らすことを条件に、生きる事を許された。
そして、三人の統治者に虐げられていた分家筋たちは、男神と女神に協力した事で恩恵を授かり、新たな王国時代を築いていくことになる。
その邪悪な統治者の一つこそ、ハープシコード。
歴史書で唯一記される、世界最大の汚点なのだと。
「だ、大司教の
話がとんでもない方向へ壮大になった為、エルシィが慌てて疑問を口にすると、シテラは左右に首を振った。
「いいえ。司教、神官といった聖職者は、世を憚り神の
「……うん、と……つまり、彼も姓を捨てたら、罪人ではなくなるということ、ですか?」
「ええ、そうですね。ただ、あの男が姓を捨てるとは思えませんが……」
苦虫を百匹ほど噛み潰した顔で、シテラは窓の外を睨む。ルヴィナも頷いて、細い両腕を胸の前で組んだ。
「シテラの言う通りです。お母さま、あの男は害でしかありません。やはり、ここで捨てて行きましょう」
「…………」
エルシィは返答に窮し、視線を斜めに持ち上げる。
確かに王城生活で、そういった勉強を詰め込まれた記憶はあった。だが、祖国の王族はそこまで過敏ではなく、歴史の一部として淡々と説明していたに過ぎない。おそらく国によって捉え方も違うのだろう。
エルシィから見たセオドアは、確かに変態変質者で嫌い寄りの嫌いだが、罪人と言われると困惑しかなかった。
と言うより隣国の主張が全てなら、セオドアはただ普通に自らの姓を名乗り、自由な生活をしているだけで、悪人だと言うことになる。
それはあまりに暴力的な、危険な思考だとエルシィは悩むのだ。
エルシィが頭を抱えていると、馬車が緩やかに停止する。
なにやら城下街に入る為の検問に引っかかったらしい。
シテラが窓を開けると、検問官らしき男とセオドアの声が車内に入り込んできた。
「馬車は通せるが、貴様をここから先に通すわけにはいかん」
「あ゛ぁ? 本気で言ってんのか? 俺と喧嘩するのが得策だと?」
「貴様と喧嘩など人生で一番不毛な時間だ、セオドア・ハープシコード。日陰者は日陰者らしく、さっさと肥溜めに帰るんだな」
流石の物言いに、エルシィは眉を顰めて窓から顔を出した。
検問官だと思っていた男は、どうやら高位貴族らしい。
視線の先にいたのは、豪華絢爛なマントを羽織り、複数の屈強な騎士を従え、目が覚めるような金髪の男であった。
その表情はルヴィナに酷似していて、思わず振り返ると、彼女は笑みを深めて頷く。
「お兄さまです。丁度良い所に来てくださいました、このままあの男を追い出してしまいましょう」
「お、追い出すって、……?」
不穏な空気を感じ取り、再び外に視線を向けた矢先、ルヴィナの兄だという男と目があった。
彼は惚けた顔で硬直した後、みるみる頬を赤く染めて、一直線にエルシィへ向かってくる。
「なんと美しい人なんだ……! そうか、家紋が下がる馬車だと思っていたが、そう言うことか! 貴女がルヴィナが直々に出向いて迎えた、母体j」
この世界の男どもは、最後まで台詞を言い切る前に吹き飛ぶらしい。
御者席から立ち上がったセオドアが、王族相手に華麗な上段回し蹴りを決め、ルヴィナ兄は綺麗な弧を描き飛んで行った。
「ジルヴェ殿下──っ!?」
騎士が素っ頓狂な声で叫ぶ様子に、エルシィは唖然と口を半開きにする。
地面に降り立ったセオドアは、苛立たしげに双眸を細めて吐き捨てた。
「俺の奥さまに色目を使うな、ぶっ飛ばすぞ」
「ぶっ飛ばす前に言ええええ!!」
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