第5話



 

「嘘か誠かはさておいて、厄災というのが、厄介な事象であることは事実での」


 豆を挽く器具から抽出された液体が、透明なポットの中に落ちていく。

 トミーはエルシィに新しい珈琲を淹れ直し、自身も少しずつ口内を湿らせながら、白い顎髭を数回撫でた。


「厄災は決まって、大規模な争いを引き起こすのじゃが、最後には必ずハッピーエンドで終わるのじゃて」

「……?」

「世界が平和にならされると、世の歴史書には書かれておる」


 妙な言い回しに怪訝な顔をすれば、隣に座っているセオドアが、テーブルの上に置いてある丸缶から、クッキーを一枚手に取り頬張った。


「なぜその表現なのかは、俺たちも分からない。世界大戦があり和平が結ばれたという記述も、統一国家が出来たという記述も、歴史書には載っていないからな」


 彼はトミーの言葉を引き継いで、しかしどこか釈然としない様子で、思案げに口を閉ざす。

 真剣な表情で目蓋を伏せる様だけ見れば、やはりとんでもない美形であった。是非、このまま黙っていてほしいものである。

 エルシィは珈琲を頂きつつ、所在なく視線を右往左往させた。


「じゃからの、お嬢さん。聖女ルヴィナに同行するのは構わんから、セオドアを連れて行きなさい」

「え? いやです」

「容赦ねぇな、嫌いじゃない……!」

「わたしは嫌いです」


 頬を赤く染めて興奮しないでほしい。

 エルシィが心底軽蔑した瞳で睨め付けると、テーブルを挟んで向こう側にいるトミーが、片手を上げ割って入った。


「お嬢さん。気持ちは察するが、これでもセオドアはこと魔術に置いて、天才的に変態じゃ」

「変態じゃないですか!」

「そうさの。こやつは魔術に関して筋金入りの変態じゃ。全身魔術式人間でもある。じゃが、こやつが変態的に魔術を極めているおかげで、ワシは呪文を口にせずとも魔法が使え、強固な結界も築く事ができているのじゃ」


 魔法使いが、魔法陣を用いて力を使うのと違い、魔術師は、術式を用いて魔術を行使する。

 その術式がより複雑であるほど、その術式に使用する文字の大きさが、極小であるほど、魔術師として大成したと言われているのだ。

 セオドアが使用する術式は、人体に直接書いても影響がないほど繊細で、かつ目で見えないほど微細なのだという。先ほどエルシィの暴走を止められたのも、に術式を書き込んでいるからなのだそうだ。


 百聞は一見にしかず。

 彼は部屋の隅に置かれた旅行鞄から、愛用だという羽ペンと魔術インクを取り出した。

 エルシィの片手を拝借し、指先に細やかな式を書き込んでいく。

 ペン先の動作は緩慢だ。微かに光を帯びているが、本当に文字が目で見えない。

 何が書かれているか分からないまま、術式を書き終えたセオドアは、珈琲の入った自身のマグカップを差し出した。


 言われるままカップを持つと、中身が一気に蒸発したのである。

 エルシィは短い悲鳴をあげて、思わずカップを取りおとした。


「な、何!? わたしの指に何を書いたの!?」

「水分が蒸発する魔術式だ。指先に直接書き込むことで、魔法や魔術が使えない人間でも、なんちゃって魔術が使えるようになる。どうだお嬢さん。楽しいだろう?」

「怖いんですが!?」

「無限に水が湧き出る式を書けば、桶を掴むだけで水道代の節約だ」

「どうぞ両手に書いてください」


 エルシィは現金であった。


 セオドアの魔術は超がつくほど優秀であるが、魔術インクの特性上、水分に弱いのだという。

 なので書き直さないまま、手を洗ったり風呂に入ったり、歯を磨いたりすれば、自然と効果は薄まっていくのだそうだ。

 残念な美形の変態加減はさておいて、トミーが推薦する実力はあるのだろう。


 エルシィは手に魔術式を書き込んでもらいながら、セオドアを見つめる。


「そんな変態天才魔術師のあなたが、どうしてここに? 金の無心がどうとか、聞こえたのですが……」

「いやなに、旅費が足りなくなってしまってな。爺さんに借りにきた」

「ほ、本当に金の無心だ……」

「こやつめ、ますますクソジジィに似おってからに……こうやって時々やってくるのじゃ。まぁ、今回は不幸中の幸いであったがの」


 セオドアがいなければ、エルシィはあのまま昇天していた。恐らくそれは間違いない。

 母体樹とはそれだけ強い力を持ち、同時に危うい存在なのだ。

 エルシィの両手に術式を書き終えた彼は、仕上げだと言わんばかりに彼女を抱きしめる。


「そういうわけだ、お嬢さん。優良物件だぞ? 結婚しよ」

「抱き付かないで、変態! やだ! しないってば!」

「…………いや、お嬢さん。セオドアは不良債権じゃが腕は確かじゃ。この際、縁者になっておった方が良いかもしれん」

「へ?」


 トミーは席を立ち、エルシィがやってきた方角を眺めた。樹海で覆われた道は、日差しを遮り薄暗いのに、どこか白っぽい空気を纏っている。

 老紳士曰く、聖女がエルシィへ目をつけた事は、大々的に諸外国も知ることとなるだろう。

 エルシィが発動する立体魔法陣は、発動条件があるという。そして発動すれば、セオドアのような高位術者、魔法使いでなければ、止めに入れない。利用され方次第で彼女の意思とは関係なく、善にも悪にもなり得る代物なのだ。


 エルシィはゾッとして、思わず両手で自身を抱きしめる。

 死に向かう感覚は、未だ脳内にこびり付いていた。あんな感覚、そう何度も経験したいものではない。平々凡々と暮らしていたいのに、なぜこうも自分は巻き込まれ体質なのだろう。 

 青ざめて俯くエルシィに、セオドアは優しくオリーブ色の髪をすくい、毛先に術式を書き込んでいった。


「そういうことだ、お嬢さん。安心しろ、俺が君の人間らしい生活を保障しよう」


 セオドアは大司教トミーの縁者。そしてハープシコード姓は、特殊な家柄の血筋なのだという。

 彼と婚姻すれば、おいそれと他国はエルシィに近づけない。またエルシィの立体魔法陣が発動したとしても、的確に止める事が出来る。

 性格にも行動にも難ありの不良債権だが、立場はこれ以上ないほど優良物件なのだそうだ。


 エルシィのオッドアイを見つめて、朗らかに笑う彼の顔。

 先ほどまであった軽薄さが消えるだけで、見違えるほどの美形に戻るのだから、困惑だった。

 

 

 


 

 

 

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