第2話
ピアノン家といえば、世界を統べる五代王家の一つ。
いつも植物や切り花を売りに行っている隣国の、王族である。
エルシィは文字通り粗茶しかない茶筒を片手に、半ば呆然としながら、大急ぎで王女を家に招き入れた。
綺麗さだけは世界一と胸を張れる家屋は、ただ単に物が少ない。それでも一番日当たりの良い席と、美味しい紅茶と、村名物の穀物クッキーを用意して、平伏同然に献上した。
父も母を手伝い、隣国で行商の真っ最中なのが幸いだった。でなければ卒倒していただろう。
ルヴィナは礼を述べて木椅子に座り、傍らに立つ侍女が毒味をしてから、マグカップに口をつける。
家の出入り口を塞ぐ騎士たちの沈黙も、素知らぬ顔の侍女も、エルシィからすれば何もかもが不安でしかなかった。
小さな王女はマグカップを置いて、立ったままであったエルシィを、キョトンとした顔で見上げる。
「お母さま、どうぞ座ってくださいまし。娘に遠慮など無用です」
「おか、……むす、……え、えっと。ルヴィナ、第二王女さま? 一体、なんのお話で……」
乏しい知識から引っ張り出し、相手の立場を明確にする。
そうだ、この麗しい容姿。王城で一度見たことがある。どの時に第二王女と言われていたはずだ。
エルシィが首を傾げれば、彼女は眉を寄せて、可愛らしく頬を膨らませる。
「ルヴィナ、でいいのです、お母さま。どうぞ呼び捨ててください」
「そ、そそそ、そんな恐れ多いこと、できません……!」
「あなたは今から、わたくしのお母さまです。遠慮も敬語もいりません」
「ひえ……」
何がどうしてこうなったのか、皆目見当もつかない。
エルシィの動揺と混乱と半泣きが伝わったようで、ルヴィナは再度席を勧めてから、どこか神妙な顔で口を開いた。
「お母さま。わたくしは、あなたに協力をお願いしにきたのです」
「協力、ですか?」
「そうです。お母さまが聖女ではないとする報道は、わたくしの耳にも入りました」
エルシィは確かに聖女ではなかった。それは大司教トミーが大々的に訂正している。
そもそも聖女というのは一人ではなく、いつの時代も複数人存在するのだという。そして聖痕と言われる痣は、必ず十字の形をしているのだそうだ。
ルヴィナが首の後ろにある聖痕を見せてくれたが、エルシィの胸にあるただの痣より、肉が盛り上がっていて酷く生々しい。
まるで傷跡のようだ。十歳ほどの少女の柔肌に、あって良い痕ではないだろう。
思わず指先でさすると、彼女は目を瞬かせて振り返った。
「い、痛くないんですか?」
エルシィが心配げに顔を覗き込めば、彼女は呆けた様子で目を見開いた後、口角を緩ませ落ち着きなく体を揺らす。
「……ううん、ママ。痛くないの」
子供のように表情を和らげたルヴィナは、しかし侍女が咳払いをしたことで、ハッと我に返ったようだった。
彼女は赤らんだ頬を片手で撫で、話の続きだと口を開く。
「聖女は大きな力を持っていますが、その力を使い続ける為には、力の源である菩提樹が必要なのです」
「ボダイジュ?」
「はい。魔力や魔術の源である、幻想生物の根幹。生きる
「……えっと……?」
話が大きくなりすぎて、エルシィの脳は著しく処理機能が低下していた。
難しい事は分からないが要約すると、『聖女』の力の源がエルシィである、ということである。
要約してもやはり意味が分からなかった。
そもそも原木とは。エルシィは正真正銘、人間である。確かに髪はオリーブ色だが、少なくとも光合成に必要なミトコンドリアは含まれていなかった。
エルシィの混乱をよそに、ルヴィナは話を進めていく。
「わたくしのように聖女が現れたということは、つまり、世界に厄災が近づいている、という事です」
「は、はぁ」
「わたくしには五代王家の一員として、厄災に対抗する責務があるのです」
「それは、ええ」
「そこでお母さまには、わたくしに同行頂き、世界にいる他の聖女のママとして、お役目を果たして頂きたいのです」
「他の聖女のママ」
逐一ルヴィナの口から飛び出る単語が強力すぎて、鼓膜に殴りかかってくる。
彼女は一応、エルシィを
エルシィは口を半開きにして、なんと答えていいか思考を回らせる。
間違い聖女騒動が終着したかと思えば、やはり自分は聖女騒動に巻き込まれるらしい。
四歳から十二歳まで、多感な年頃の時期を棒に振った彼女だ。ようやく生家に戻り、父母と楽しく暮らしていたところに、聖女のママになってくれである。どう考えても人生
エルシィは不敬を承知で長い溜め息をつく。
そして片手を掲げ、髪留めを外し、頭上でまとめていた長髪を解いた。頭を締め付けていると、余計に良い考えが浮かばないものだ。
はらりと耳を隠すオリーブの髪に、細められたオッドアイが神秘さを増す。美貌の女神を前に、侍女と騎士たちは思わずといった様子で、ほう……と息を吐き出した。
しかしエルシィが気がつく前に、ルヴィナが鬼の形相で睨み上げた為、全員が姿勢を正して顎を上げる。
「……その、事情は分かりませんが、分かりました。ひとまず……、わたしは一応、トミー大司教さまの預かりになっております。大司教さまにご相談してもいいでしょうか」
エルシィの安全を考慮してくれるのは、いつも好々爺然としたトミーだ。
口の悪い老紳士に説明せぬまま、頷くことはできない。
そう説明すれば、ルヴィナは快く同意して、華やぐ笑顔のまま両手を胸の前で合わせた。
「お母さまのお爺さまにお会いできるなんて、嬉しいです!」
「語弊しかない言い方であるますですよ!?」
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