第19話 怠惰の貴族
翌日は村の外に飛び東を目指し夕刻には自宅に戻る。それを繰り返した3日後、草原の先に大きな城壁都市が見えてきた。平坦な草原の先にある城壁。グレースランド王国唯一の港を抱えているラグーンだ。別名港湾都市とも呼ばれている。
城壁に向かわず、城壁を右手に見ながらそこから離れて北に歩いていくブライアン。
『街の中には入らないのね』
「王都の外で動いていることをあまり大っぴらにはしたくないんだよ」
王都では肩に妖精を乗せたブライアンは有名になりつつあるが、王都以外ではまだまだだ。それに自分が出歩いていることはあまり知られない方が良いだろうと当人が思っている。
「昨日の村の様に貴族がいない、村人だけってところは仮に間諜がこの国にいたとしても無視する様な村だ。一方で街と呼ばれるところにはいろんな人がいる。今回の目的は転移の魔法の場所を覚えるのと国境線を歩いて実際のこの国の国境を見て回ることだよ。街に顔を出すことじゃない」
『なるほどね。えっとなんだっけ?切り札だから?』
「そうそう。国の切り札らしいからね。基本街は避けて動くよ」
ラグーンの街には入らなくとも城壁が目に入った時点であの近くまでは転移することが出来る。フィルもそれを知っているので時々ペリカの実を食べながら肩に乗って足をブラブラさせていた。
城壁が視界から完全に消えたところでブライアンは足を東に向けた。暫くするとブライアンと妖精の前に崖の端とその先に広がっている大海原が見えてきた。断崖絶壁の高さは200メートル近くある。
『あれが海?すっごく広い』
ずっと森の中で暮らしていた妖精にとっては初めての海だ。姿を隠していた他の妖精達も姿を現すと一斉に羽ばたいて高い場所から海を見ている。
休憩しようと空間収納から皿に盛ったペリカの実を草原の上に置くとすぐにそれに集まってくる妖精達。その先頭にいるのはフィルだ。
ブライアンは妖精達がペリカを食べているのを見ると立ち上がって草原の端、崖の上に近づいて言った。そこから下を見ると断崖絶壁が南北にずっと続いていた。砂浜と呼べるものはなく断崖の下はごつごつとした岩場と海だ。これでは海から近づいてきてもこの断崖絶壁を登ることは不可能だろう。兵隊なら尚更だ。重い鎧を来て武器を持ってのぼる事はできない。
「兵士の見張り場がないのも頷ける。とりあえずは海岸線からは侵攻してこられないだろう」
『海って広いんだね』
口の周りを真っ赤にしたフィルが海を見ているブライアンの肩に乗って言った。
「だろう?でも魔力が無いから妖精は生活できないんじゃないか?」
『うん。海も広くて気持ちいいけど森の方がいいかな。実はあるし魔力もたくさんあるし』
その日は夕刻まで絶壁の近くを歩いたブライアン。
翌日また王都から飛ぶと断崖の上を北に向かって進んでいく。海沿いにある街は港があるラグーンくらいで他の街はもっと大陸の内部に集まっている。
海岸線は高い木々もなく草原が広がっている中ブライアンは短い転移を繰り返しながら北に向かっていた。港町を横目に見て北上していった10日後、相変わらず海岸線、断崖の上を歩いているブライアンと肩にのっているフィルの前に万年雪をかぶっている連峰が見えてきた。
『あの向こうに見えている山の上にある白いの何?』
小さな腕を前に伸ばしてフィルが聞いてくる
「雪だ。寒いところだと空から降ってくる雨が途中で冷やされてああいう風に雪になるんだよ」
『雪。触ってみたい』
「もう少し近づいてからあそこ迄転移しよう。ただ雪がある場所ってすごく寒いんだよ」
『少しだけ触るだけだからいいでしょ?』
妖精の女王様のお願いを断ることもできず、ブライアンは短い転移を繰り返して山に近づいていった。
「ここからあの山に転移するぞ」
地面をトンと叩くとブライアンの姿は万年雪の山の1つの頂上付近に飛ぶ。妖精は暑さや寒さに強いというか感じないらしく他の妖精達と一緒に積もっている雪を手で掴んでは喜んでいる。
寒さを我慢して背後を見るとはるか遠くに自分達のグレースランドの平原が見えている。ただ山は険しく降りていく道も無い。視線を北に向けると同じ様な山々が連なっているのが見える。
「あの山々の先がサナンダジュか。一度見ておこうかな」
フィルを肩に乗せるとそこから見える北の山に転移する。2度程転移すると山の北側の山裾から北に広がっているサナンダジュの草原が見えてきた。
『あっちが戦争をやろうとしている人間が住んでいる土地?』
「そうだけど戦争をやろうとしているのはあっちに住んでる人の中のほんの一部の人だけだぞ。ほとんどの人はそう思っていないはずだ」
サナンダジュ側もグレースランドと同じでこの山を越えて攻め入ってくることは不可能だとわかっている様で山の上から見る限り人が住んでいる村は見えない。
ブライアンは連峰の中を何度か転移して山の向こうの様子をしっかりと見てから王都に戻ってきた。
「なるほど。北の国境の向こう側には要塞も砦もなかったということだな」
ワッツの言葉にそうなんだよとブライアン。
「それにしても分かってはおったがブライアンの魔力は相当だな。普通の魔法使いじゃ山の裾から頂上へ転移することなんてできないからの」
ここはブライアンの家の居間だ。北から帰ってきた翌日に腕輪に魔力を通して王城に転移したブライアンは途中経過を報告すると出迎えたワッツに言った。彼は報告するのなら魔法師団も同席した方が一度で済むだろうと日を変えて魔法師団からはマシューとマーサ。騎士団からはワッツの3人がブライアンの自宅にやってきた。
リリィさんが淹れてくれた紅茶を飲みながらの報告会だ。
「魔力の事はまぁフィルのサポートを貰っている訳ですべて自分の魔力じゃないんですけどね。それよりも港から北にかけての海岸線を見てそのまま北部の国境になっている連峰を見てきた感じだとこの2か所から侵攻されることはまずないでしょう」
「となるとやはり西のキリヤートとの国境線しかないわね」
マーサの言葉にそうなるなと3人。
「西側のキリヤートとの国境には検問所は何か所あるんだい?」
「2か所だな。その2か所には検問所に併設して王国軍の要塞がある。騎士団と魔法師団の連中が常時詰めている」
なるほど。ワッツによれば西側の絶壁は高いところはキリヤートの地上から200メートルの高さになるが低いところは50メートル程度しかない場所もある。その低い場所に緩やかなスロープを作りそれを物資や人の通り道としてスロープの上、崖の上に国境検問所を作っているらしい。
「それとは別に西の国境沿いに数か所、王国軍の要塞を構えている。特に北側に多い」
それが何を意味するか知らない者はここにはいない。
「やっぱりサナンダジュなんだよな」
「ああ」
ワッツが短く答える。つい最近まで南の辺境領の中のさらに田舎町であるジャスパーに住んでいたブライアンは王都に出てくるまで戦争やら国境線の緊張やらを感じたことがなかった。
もちろん知識としては知っていたがそれはどこか遠い国の事と言った感覚だった。ただこうやって王都に来て実際に見たり聞いたりすると間違いなく自分達の領土を狙っている敵国が存在しているのだと分かる。
「国内の他の街には顔を出しているの?」
マーサの問には首を左右に振る。その理由を話すると納得する3人。
「その方がよいだろう。転移の魔法自体はその存在を知っておる者は多いが実際に使える者はほとんどいない。記録によると過去転移の魔法が使えた者でもその移動距離はせいぜい数十メートル程度だと言われておる。まさかブライアンが東や北の国境に出向いているとは思うまい」
「確かにな。王都でも我々とのコンタクトは最低限だ。もちろん城にも顔を出していない。本人を前にして言いにくいが仮に間諜がいたとしても王都に住んで妖精を連れて遊んでいる貴族の魔法使いという認識で軍と結びつけられる可能性は低いだろう」
要は金持ち貴族が妖精を連れて王都に住んでブラブラしているという事だ。
「切り札だから普段はそういうイメージで見られている方がいいわね」
ワッツに続いてマーサも言う。
「じゃあ地方の国境を回るのは3日に1度にしようか。そうするとずっと王都にいる様に見えるだろうし」
そうしてくれと3人が言った。
「今は大陸は平穏だが各国とも戦争の準備を始めておる。もちろん我が国もしかりだ。どういう形で戦争が始まるのかはまだ分からぬが準備だけは怠りなくと国王陛下よりも言われておる」
「わかりました。怠情の貴族の息子と言われる様に頑張りますよ」
「すまんの」「すまんな」「すみません」
3人が頭を下げた。
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