第63話 半端者




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 剣聖の弟子たちに稽古をつける事になったエルナ。その剣技を披露した後、名乗りを上げたのはまだ十代の少女だった。


 ・

 ・

 ・


 カルララリア・ディ・フェルディアスは今年で15歳になる。

 帝国騎士の家に生まれた彼女は家の存続の為に婿むこを取る――事を良しとせずに自分が騎士になるのだとして、ここ正統アルマリカ流の道場に通っている。

 複雑に波打つ金色の髪は良く言えば夏の空に浮かぶ雲のようで、悪く言えば鳥の巣のように癖が強く収まりが悪い。その髪を二つの装身具で強引にまとめ上げたカルラは、エルナに稽古をつけてほしいと名乗り出た。

 すると周囲から「やめておけ」とか「落ち着け」などと制止する声が上がる。

 その声には「女子おなごの出る幕ではない」という意識が当然のように透けて見えたので、カルラは一顧だにしなかった。

 性別と年齢を理由とするならば、道場主であるアークルとジャスワンが連れて来たエルナのほうがよほど子供ではないかと、心の中で毒づきながら。


「――エルナ殿、如何いかがいたす?」


「別に、いいよ」


 念の為にと確認するとエルナは二つ返事で応じたためアークルは渋々、カルラの申し出を受け入れる事にした。

 カルラは道場の一角、整備された地面を四角く囲った場所に立つと、鍛錬で用いる木剣を中段で構える。一方のエルナは先程と同じく両腕を下げたまま、剣を構えようともしない。

 しかしそれをカルラに対する侮辱ないし挑発と見る者は、この場には誰もいなかった。何故なら先立つ一戦で、誰もがその状態から繰り出される雷光のような剣閃を目撃していたからだ。そしてそれはカルラとて例外ではない。


「覇ァーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」


 カルラは模擬試合の開始とともに声を張り上げる。

 その声量および気迫は、遊びで剣を振るう様な未熟者が出せるものではない。鍛錬に鍛錬を重ね、己が肉体を造りあげた者だけに許される戦叫ウォークライであった。

 叫ぶと共に全身に意識を巡らせ、体と精神をその支配下においたカルラは、この場に集った門下生の中では剣の腕前は上位に位置している。

 そんな彼女が、


「え」


 と歩み寄ったエルナに、ただの一撃で木剣を叩き落とされた。

 一瞬の出来事に呆然となるカルラ。対するエルナは木剣をカルラの首筋に当て、それで勝敗は決した。その様子を傍から見ていたアークルは額に手を当てて大きく――そして深く嘆息する。

 カルラの敗因はひどく単純だ。彼女は無防備に歩み寄ってきたエルナに虚を突かれ、戦意が一瞬だけ解かれた隙に放った剣をマトモに受けてしまったのである。

 しかもそれはエルナが奇策を用いてカルラを惑わしたと言うよりは、エルナが正攻法で挑んで来た事に驚いて、カルラが隙を突かれてしまったと表現した方が実情により近い。

 絵に描いた様な惨敗。

 その一部始終を目撃した他の門下生たちは「言わんこっちゃない」と嘆息し、ようやく事態を把握したカルラの顔は羞恥で真っ赤に染まった。


「も、もう一度! もう一度です!」


 慌てて剣を拾い、醜態を隠すかのように声を張り上げるカルラ。

 すると他の門下生がエルナに対する礼を欠いていると彼女を叱責した。

 これは単なる試合ではなく修練の一環であり、稽古をつけてくれたエルナに先ずは一礼するのが作法だと。

 しかしカルラはその指摘を無視した。その門下生が自分を嘲笑い、恥をかかせようという魂胆があるに違いないと踏んだからだ。


「――うん」


 対するエルナは試合後の作法などまるで気にもしなかったので、カルラの望み通り二人はもう一度手合わせする事になる。

 カルラは構えを中段から上段に切り替え、右足を引いて木剣の切っ先をエルナに向ける。これは相手の攻撃を受け、突きあるいは上段からの振り下ろしで反撃を行う為の構えである。

 低い位置からの急接近、或いは意表を突いて正面から迫るエルナを警戒しての戦術ではあったが、対するエルナは何も変わらない。

 剣をぶら下げた右手で握ったまま――遠間からいきなり斬り上げた。

 間合いを一瞬にして詰めたのはエルナが大きく一歩を踏み出したためであるが、その挙動があまりに急激なため多くの門下生たちやカルラにはまたしてもエルナが一瞬にして間合いを詰めてきたようにしか見えない。

 脱力した体勢から放たれる急激な挙動——武の頂きに足を踏み入れたものならば自然と辿り着く体術の極みであり、この場ではアークルとジャスワンだけがエルナが放った一撃を予測していた。

 エルナの剣を受けて、カルラは守りの構えごと打ち崩された。

 木剣は再びその手から弾かれ、構えを解かれた無防備な少女の胸にエルナはそっと掌を置く。


「――――ッは!?」


 次の瞬間、カルラは弾かれたように背後に吹き飛ばされ、背中から地面に打ち据えられた。瞬時に受け身を取っていたものの、肺を強打された為に大きく息を吸う事ができずに立ち上がれなくなってしまう。


「――そ、そこまで!」


 審判役の高弟は試合を終わらせると、慌てて苦痛に身を捩るカルラに駆け寄った。

 正統アルマリカ流のみならず銀鷲ぎんしゅう帝国における剣術とは単に剣を振るうだけでなく、剣を用いる事を前提にした対人戦闘の武術を指す。

 エルナが放ったのは密着した状態から放つ掌打であり、これは殺傷ではなく相手を突き放して距離を取る事を目的として用いられる技であった。

 それがここまでのは、単にカルラがあまりにも無防備だったからに他ならない。


「まだやる?」


 エルナとしては単なる確認でしかなかったが、二度も惨敗したカルラとその一部始終を目撃した門下生からすれば、その一言は「相手にならない」と投げつけられた残酷な通達にしか聞こえない。

 カルラはやっとの思いで立ち上がると、


「――っ!」


 声にならない屈辱に唇を噛みしめたまま、その場から走り去ってしまう。

 未熟と言えば未熟。だがそれ以上に無様としか言えない遁走とんそうであった。アークルとジャスワンもこれには頭を抱え、エルナに非礼を詫びる。

 尤もエルナとしては何も感じてはいなかったので、良く分からないまま二人の謝罪を受け入れたのであったが。


 「すまぬエルナ殿、あれはその……気ばかりが大きい半端者でしてな。熱意と才覚はあれど芯がもろい」


 ジャスワンがそう評したように、カルラは鍛錬は誰よりも真面目にこなし、技の習熟に関しては覚えも早い――だが決して剣士として秀でているわけではない。

 事実、模擬試合に参加すれば技量で劣る他の門下生に敗れるのが常であり、彼女がエルナに稽古をつけてほしいと名乗り出た時、他の門下生が制止したのはあざけりなどではなく。彼女が恥をかかない様にとの(余計な)気遣いでしなかったのである。

 その証拠に彼らはただの一度も、カルラが晒した無様を嘲笑ったりしなかった。


「……そう」


 エルナはジャスワンの評価を肯定も否定もしなかった。

 熱意や才覚とやらは推し量ることができなかったが、芯が脆いと言うのは充分に理解できる。剣を叩き落とした瞬間に彼女が抵抗を諦めてしまった事からも、その評価は妥当であると言えよう。

 その弱さを他の門下生たちは嘆き恥じてもいたが、エルナからすれば「強い」も「弱い」も単なる尺度に過ぎない。

 だからこそ彼女は道場の門下生たちのように――半端者カルラに対する手心も共感も最初から持ち合わせていなかったのである。


 ・

 ・

 ・


 その後、エルナは二人の門下生と手合わせを行い、浴場で汗を流した後は貸し与えられた部屋で何をするでもなく寝転んでいた。

 櫂の護衛を任せられていた時は気を抜く暇はなく、常に周囲に気を張り巡らせていたが、今の彼女には護るべき対象も努めるべき任務も存在しない。ただ櫂と再会したいという想いだけが体を動かしていた。だからこそ無為の時間を持て余してしまう。

 エルナが貸し与えられた部屋には何冊かの本も置かれていたが、長い文章が読めないエルナにとっては無用の長物でしかない。しかたなく天井を眺めていると、それだけで余計な事が頭をよぎる。


 櫂は今、何処にいるのだろう。また余計なトラブルに首を突っ込んではいないだろうか。

 櫂と同行している女の子がいるらしいが、自分の知っている人物だろうか。

 もしかしたら東の諸国連合の代行者エージェントなのかもしれないが、しかしそれは考えにくい。彼女と次に会うとしたら戦場か、或いはそれに準ずる状況である筈だ。

 もしその時が来たら自分は——迷うことなく櫂を守れるのだろうか。

 ああ、そう言えばあの時三人で飲んだ甘酸っぱい牛乳は美味しかった――などと思考は取り留めもなく溢れ出しては、泡のように弾けて消えてしまう。

 エルナにとって目的の無い思考や回想に耽る事は稀であり、不慣れなだけにどうにも落ち着かない。


 気付けば陽は落ち、空は星と闇に呑まれつつあった。

 このまま眠ってしまおうかと考えていたその時、エルナの耳は気になる音を捕らえていた。

 硬い何かを何度も叩くような乾いた音。

 それが窓の外から聞こえてくる。

 気になって窓から身を乗り出すとその音はどうやら昼間に訪れた道場の方から鳴り響いている事が分かった。

 護衛を勤めていた時であれば単なる好奇心は任務の前に押し殺されるのが常であったが、今のエルナは自分のこと以外にあれこれ気を揉む必要がない。

 やがてエルナは窓から外に出ると、乾いた音が断続的に鳴り響く場所へと歩を進める。するとそこには、木の枝からぶら下げた無数の木片を一心不乱に打ち払う一人の少女の姿があった。

 エルナは彼女の名前をすっかり忘れていたが、その収まりの悪い金髪だけは妙に記憶に残っていた。


 かくてエルナは再び、カルララリア・ディ・フェルディアスと対峙する。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る