第59話 闇の先には
32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。
自分が“造られた存在”ではないかとの疑念を深めた櫂。出生の謎を解く鍵を求めて彼(女)とベルタは古都を立つ。
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この地が辺境と呼ばれるのは、帝都イーグレや古都ロンディアスと言った時代を象徴する大都市から遠く離れている——からではない。
大陸西端にぽっこり突き出た半島状の大地。そこは四方を高い山に囲まれた地政学上の僻地であり、その特異な環境下からどの時代においても統治上の要地として見なされなかったと言うのが最大の理由である。
しかし現在、ランスカーク地方は辺境なれど決して軽視されるような僻地ではなくなっていた。
周囲を囲む山からは貴重な鉱物資源が採掘され、一年を通して変動が少ない穏やかな気候から避暑地としての人気も高く、動乱が絶えなかった大陸中央部の政情とは長らく無縁であった事から、神話の時代から古代王権にかけての貴重な遺跡や史料が近年において多数発見された。
そのため辺境にも関わらず、ランスカーク地方には帝国の内外から絶えず人が訪れては、そのまま居付いてしまう事も少なくない。街道は隅々まで整備が行き届き、近年では新たに国立大学を立てる計画も進んでいる。
帝国最高峰の武人として名高い元・
ランスカーク地方と帝国本土を結ぶのは高く険しい山に穿たれた天然自然のトンネルであり、その広さと起伏の少なさからトンネルは「大回廊」と呼ばれていた。
「初めてここを訪れたのはもう半年も前になりますかね。あの時は男爵閣下の馬車に同乗して、帝都へと向かっていたものです」
その「大回廊」を馬車の荷台に乗って移動しながら、櫂はふと半年前の記憶を語り出す。古都を立って二日目のこの日、彼(女)とベルタは遂に旅の目的地へと足を踏み入れたのである。
「そう言えば~櫂殿は以前に男爵閣下のお世話になったと仰ってましたね~。あの御方は~誰に対しても温厚篤実ですので~納得の行く話です~」
「……まぁその男爵閣下のおかげで、私とエルナは帝都から再び逃げ出す羽目になったんですけどね……」
ベルタに聞こえない様に愚痴をこぼしたあと、櫂はふと帝都で別れてしまったエルナの事を想う。
強いだけでなく己の信念に忠実な彼女が自分を追いかけてきてくれる事を櫂は疑っていなかったが、さりとて彼女の前に立ち憚った別の“人狼”の力量を考えれば、最悪の想像を意識から取り除く事はできなかった。
櫂が一人でも帝都を脱出して再び目覚めた地を訪れる事を、エルナもまた望んでくれたのだが、果たして自分達のその選択は正しかったのだろうか――そんな弱気が櫂の中で鎌首をもたげた時であった。
「それにしても~まさか櫂殿がホムンクルスの事までご存知だったとは~」
声だけでなく顔にも抑えきれない喜びを称え、ベルタは何度目かの感慨に耽り始める。櫂がふと口にした「ホムンクルス」という言葉はベルタを大層驚かせ、そしてそれ以上に喜ばせたのである。
「いえ、転生前の世界……ああいや、昔読んでいた本で知っただけですよ」
大したことはないと謙遜する櫂であったが、ベルタは「そんな事ありませぇん!」と珍しく断言した。
「ホムンクルスの名だけでなく~概要までご存知だったからには~きっと名のある錬金術師が記したものを読んでくださったに違いありません~。うう~わたし本当は魔導師じゃなくて錬金術師ですから~余計に嬉しいです~」
ベルタは櫂が自分の本業(?)に関心を抱いてくれたと感激していたが、当の櫂からすれば転生前に読んでいた漫画や遊んでいたゲームから得た知識である為に二重の意味で正直に話すわけにはいかず、何ともバツの悪い顔になってしまう。
尤もベルタが口にする「ホムンクルス」は櫂の
「ホムンクルスとはですね~? 端的に言いますと理論体系なのです~。天然自然に存在しないものを生み出すこと~その知識と技術の集積を錬金術と呼ぶのです~」
「ふむ、物質を金に変える事とは違うのですか? 後はその……賢者の石を生み出すとかでもなく?」
「はわぁ~賢者の石までご存知とは……ああっ語りたいッ! このままここで三日くらい~櫂殿に
オタク特有の葛藤に揺れること数分、ベルタは何とかその誘惑を断ち切ったが、眼の奥で未練の炎が燻ぶっていた事を櫂は見て見ぬふりをした。
「物資を金に変えると言うのは~ぶっちゃけ営業用の口実です~。
あと賢者の石と言うのは~本来の目的の副産物と言いますか~とにかく、錬金術の本質ではないのですね~。
まぁ話をホムンクルスに戻しますが~ホムンクルスとは櫂殿が仰るように~錬金術で生み出した人間を指す名称ではあるのですが~私の知る限り~そんな酔狂な真似をする錬金術師は~存在しませんでしたね~」
「そ、そうなのですか!? 酔狂と言うのはその、ベルタさんたちにとっては錬金術で人間を生み出す事はどうでも良い事なのですか?」
錬金術と言えばその術で生み出した
「えぇ、まぁ~どうでも良いとまでは言いませんが~ぶっちゃけ人間を生み出すのならばその……殿方とですね……いたしますほうが……確実でして~」
色恋沙汰とは無縁のベルタであっても、男女の営みを口にする事に恥じらいを覚える程度には乙女であるらしい。
しかしその実も蓋もない回答に、櫂はがっくりと肩を落とす。
「確かにそうかもしれませんが……と言う事はホムンクルスと言うのは、賢者の石と同じ本来の目的の副産物ということですか?」
「さすが櫂殿は理解が早い~。もっと言えば~副産物ではなく、理論を極めた先にある分かりやすい可能性とでも言いますか~。
ホムンクルスとはつまり~出産を介することなく人間を構成するものを造り出す理論体系なのです~。例えば~天然自然には決して人間には備わらない~魔眼や邪眼の類を生成するとかですね~」
ベルタのその指摘に櫂は思わず生唾を飲み込む。
彼(女)はこの世界に錬金術師がいるならば人造人間としてのホムンクルスも在るのではないかとベルタに問いかけたのだが、その答えは思わぬ形で櫂自身が抱く疑問へと繋がっていく。
ではやはりベルタが目指すご先祖様の工房と、自分の出生の謎は何らかの形で繋がっているのだろうか。
その問いにベルタは遠回しに首肯してくれた。
「実を言いますと~ランスカークにあるご先祖様の工房に~何者かが侵入した形跡があると~知らせが届いたのです~。そこで私が現地を調査して~何事も無ければ~貴重な資料などを帝都で保管しようかと思いまして~」
「なるほど……では最初から私とベルタさんの目的は重なっていたのですね」
こんな偶然もあるのですね~とベルタは笑っていたが、櫂はそれが単なる偶然とは思えなかった。
自分がランスカーク地方で目覚める以前の記憶が欠如している事。
特異な能力を由来も知らずにその身に備えていた事。
『勇者』と呼ばれる救済装置の一端である事。
転生してからずっと自分が自分でないような違和感が付きまとっていた事。
ベルタの先祖である錬金術師の工房に何者かが侵入した形跡が見つかった事。
全て最初から存在していた答えに、今頃になって気付かされた気持ちで櫂はふと窓の外に目を向ける。ガラス越しに映る黄昏の空――その彼方に在る場所に求めていた答えはある筈だと、確証もないままに櫂は確信した。
それから三日後の今、櫂は胸に抱いた確信に突き動かされるように大回廊を抜け、再びランスカーク地方へと降り立とうとしていた。
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時は数日前に
場所は帝都イーグレ。その地下に網の目のように張り巡らされた地下水道。
かつては用水路の一つとして用いられていた地下水道は、数十年前に起きた疫病の発生源となった事を機に使用されなくなり、その逸話故に浮浪者や下層の貧民が住み着く事もなくなっていた。
よって地下水道にわざわざ足を運ぶのは、城門を介さずに帝都の内と外を行き来したい犯罪者だけではない。広大な地下水道の一角は、帝都で捕縛された罪人を収容する地下牢獄としても活用されていたのである。
常に闇の
身柄の確保も法の裁きも必要ないが、陽の下を歩く事はままならないと判断された者のみが収容される地下牢獄。
地上に在る牢獄とは異なり看守がほとんど存在しない地下牢獄は、収容した者の生死など最初から問わない。収監中に死体と化したとしても、四六時中牢獄内を駆け回る鼠たちが処分してくれるだろうと、名ばかりの看守は収監の時以外は全くと言って良いほど獄内に足を踏み入れなかった。
例えつい先日収監されたのが、十代前半の幼い少女だったとしてもだ。
何故なら彼女は――黒い髪の賤民でもあったのだから。
「やあやあ、お勤めご苦労さん」
地下牢獄の唯一の入り口に設けられた詰所。そこを訪れたのは、闇に漬け込んだような藍色のジュストコールをまとい、黒いズボンとブーツを穿いた二十代後半から三十代くらいの青年だった。端正だが誠実さや善良さとは無縁の顔立ちには、軽薄な笑みが貼りついている。
彼の姿を確認した途端、門番をしていた帝都守備隊の兵士二人は慌てて背筋を伸ばして敬礼を行う。
立場上は守備隊の兵士より上位であり、帝都の治安維持に携わるならば否が応でも名前と顔を覚えずにはいられない存在――帝都保安局副局長兼
賄賂と呼ぶには些か物足りないそれは差し入れのようにも見えたが、受け取った兵士の顔に刻まれていたのは苦渋としか呼べないしかめっ面だった。
「これは少しばかりの気持ちだ。皆で飲んでくれたまえ」
「格別のご厚意、感謝申し上げます」
口先だけの誠意を現したあと、酒瓶の入った籠を受け取った兵士は牢獄内へと足を踏み入れるシグトゥスには目もくれず、そのまま詰所へと戻っていく。
もう一人の兵士は許可もなく牢獄に入るシグトゥスにも、それを堂々と見てみぬふりする先輩にもかける言葉が見つからず、シグトゥスの背中が牢獄内の闇に呑まれると慌てて詰所に駆け込んだ。
「ちょ、ちょっと! いくら相手が“人狼”だからって許可証も見せずに中に入れて良いんですか?」
「――ああ、良いんだ。どうせ保安局の人間がここを訪れたと証言する奴は誰もいない。それにお前、あいつが背負っていた袋を見たか?」
自分達も隠蔽に加担する事を隠さない物言いに、まだ若い兵士は愕然とする。
しかしそれ以上は踏み込む事を諦めて、指摘された通りにシグトゥスが背負っていた大きな袋状の荷物を思い出していた。
ペラペラで重さが感じられなかった事から中身は空だと分かるが、それが意味することろを彼はまだ知らずにいられた。
一方で酒瓶の代わりにシグトゥスを見逃した妙齢の兵士には覚えがあった。
それはまだ彼がもう一人の兵士よりも更に若造だった頃、今は亡き一人の“人狼”が大きな麻の袋を背負って地下牢獄を訪れた時、年配の兵士に酒を渡してから牢獄内に消えていくのを見逃してしまった過去が、後に彼に教えたのである。
「――あれはな、人狼が人狼の亡骸を収納する袋だ」
その一言に若い兵士の顔が恐怖と嫌悪で凍り付いた。
何故ならば、つい先日ここに収監されたのは――黒い髪をした少女の“人狼”だと上から聞かされていたのだから。
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