第57話 古都の影




 内匠櫂。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 帝国西部ランスカーク地方へと向かう櫂はその道中で、錬金術師を自称する魔導師ベルタⅦ世と再会する。


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 古都ことロンディアス。

 三方を山に囲まれた帝国中西部の大都市であり、その名の通り帝都イーグレにて始祖ディアルス・フォン・ハイデルン帝が戴冠するまでは大陸西部の最大の都市であり、統一王朝の王都でもあった。

 その為ロンディアスの住民の中には銀鷲帝国皇帝を「銀鷲ぎんしゅうみかど」と呼ぶ者もいる。わざわざ国名を付け足すのは「本来の統治者である統一王朝の血筋から外れた、地方出身いなかものの皇帝である」という侮蔑的な意味合いを含んでおり、それもあってロンディアスの住民は帝国東部の臣民とはそれとなく仲が悪い。

 とは言え、それも百年以上前の話。古めかしい権威を笠に優越感を競い合う老人達が表舞台から退場すると、代わって台頭したのは周辺地域からロンディアスへと移住してきた者達であった。彼らは老人達が崇めていた古都の権威を商品として売り出し、ロンディアスは観光産業を主とする都市へと生まれ変わったのである。


「なるほど、そんな歴史があったのですね」


 帝都に比べて低い建物が多く古都の街並みを眺めながら、櫂は手にした陶器のグラスを傾ける。

 花のように淡く色づいた唇から取り込んだ果実水を、こくりと喉を鳴らして嚥下えんげする様をベルタは陶然と眺めていた。


「はぁ~~~~~櫂殿は何をしても絵になりますねぇ~」 


「? 良くわかりませんが褒められるのは嬉しいですよ。それよりベルタさん、もっとこの都について教えてください。以前にその……エルナから聞きました。何でもこの街には『始源しげんの樹』なる大樹があるそうですね」


「は、はい~それは喜んで~。あ、すいませ~ん、お茶のおかわりください~」


 ベルタが手を挙げて店員を呼ぶと赤毛の青年が櫂たちの座るテーブルに近付き、飲み干したグラスと新しい注文を受け取った。こんがり焼けた肌と首輪を連想させる入れ墨は大国南西部の出身である事を如実に物語っている。

 今、櫂とベルタが座っているのは古都ロンディアスの西側、西ウィンザー街道と繋がる大通りの一角に建つ飲食店である。酒とお茶と軽食を主体に提供するこの店は、櫂の体感で言えば喫茶店やカフェーに近い雰囲気を有していた。


「それでえっと……『始源の樹』についてですね~? こればっかりは実際に見て頂くのが良いかと~」


 そう言うとベルタは通りに面した大きな窓の外、平屋建ての街並みの彼方に浮かぶ台形の影を指し示す。


「あれが『始源の樹』です~。まぁもう枯れていて~根元くらいしか残っていないんですけど~」


「え? ?」


 ベルタの説明に櫂は立ち上がると、窓越しに映る古都の街並みに目を凝らす。

 するとベルタが指し示した影が山や丘ではなく途方もなく巨大な樹木——その根幹部である事が分かった。


「いやいや驚きました。連合の『神樹しんじゅ』は葉を茂らせて——ああいえ葉っぱそれ自体は確認できませんでしたけど、少なくともまだ生きている樹木でしたね

。しかしこれは——」


 櫂の目には朧げにしか映らなかったが、樹皮は色褪せ根元からへし折れた様子は正に枯れ木、偉大なる存在の骸のようでもあった。


「オウキの『神樹』ですね~。私も実際に拝見しましたが~あれはもう~存在自体が神秘の極みですし~。古都のこれは大きいだけの残骸に過ぎません。

 実際の話、建国前は普通に木材として切り出されていたそうですよ~。質はあまり良くなかったそうですが~」


「ふむふむ……ちょっと待ってください。と言う事は、『始源の樹』は数百年前にはということですか?」


 諸国連合の宗主国である都市国家『オウキ』では、『神樹』は文字通り都市の中核であり、表面をくり抜かれたりはしていたが、その存在は崇拝の対象であった。

 対して帝国の『始源の樹』は崇拝の対象として見なされていないようだ。それどころかベルタの話を聞く限りでは敬意を払われている印象も薄い。

 その違いを考えた時、帝国のそれは最初から枯れていたと考えると納得がいく。


「はい、帝国史に依れば~建国前の統一王朝時には既に~現在の状態であったとされていますね~。王朝時代の文献を読んでも~始源の樹は『神と人を結ぶ縁であった』と書かれていますから~まぁその時にはもう枯れていたとみるのが妥当ですね~」


「そうなのですか。だとすると余計に『神樹』との違いが気になりますね。何が悪かったのでしょうか、土の違い?」


「いや~そればかりは私にはなんとも~錬金術師なのに申し訳ない限りです~」


 ベルタは謝罪するが櫂にしても本気で理由を知りたいわけではなかった。むしろ「分からない」で済ませるほど、帝国の人間にとってこの巨大な樹木は特別視されていない事が判明して櫂は満足していた。


「ねぇねぇ、そんなにあれが気になるなら、僕らが案内してあげよっか」


 そんな時であった。向かい合って座る櫂とベルタのテーブルを数人の若者が囲み、その内の一人が馴れ馴れしく声をかけてきた。ベルタは驚き「はわわ」と狼狽の声を漏らすが、櫂はきょとんとした顔でニヤつく若者を眺めている。

 それをどのように解釈したのかは不明だが、若者たちは更に距離を詰め、二人の少女の逃げ道を塞いでしまう。彼らの意図が何処にあるのかは疑うまでもない。


「ねぇ君、どこかの家のお嬢様? こんなところに女の子だけで来るなんて不用心だなぁ」


 若者はそう言ってベルタに一瞬だけ目を向けたが、しかしすぐに櫂に視線を戻す。その眼は櫂の愛らしい美貌もさることながら、陽光を反射して輝く髪の色に向けられていた。


「……ふむ、これは俗に言うナンパというやつですか?」


 一方で櫂は自分達が性的な意味で狙われている事態がいまいち呑み込めていない様子で、狼狽するベルタに呑気に問いかける。


「なん、ぱ? 言葉の意味はよく分かりませんが~ふ、不埒ふらちなお誘いをかけられている事は確かかと~」


「不埒ぃ? そんな風に言われると傷つくんだけどなぁ」


 若者はあからさまに声色を変えてベルタを脅す。ベルタは「はひぃ!」と悲鳴の様な声を挙げたが、自身の発言に対して撤回も謝罪もしなかった。

 それが気に入らなかったのか若者は舌打ちをこぼすと、今度は猫撫で声で櫂に話しかける。


 「いやいや、僕らそんな悪い奴じゃないからさ。君達の事が心配なだけだし、家まで送り届けるだけだよ?」


 その言葉を額面通り受け取るような人間はここには誰もいなかったが、櫂だけはずっと危機感の欠片もない顔で、自分を取り囲む若者達の顔付きを眺めていた。


「――なるほど、つまりこれが逆ナン! いえ相手が最初からノーセンキューと言う意味では普通のナンパですね! なるほど確かにこれはウザい!」


 それどころか得心がいったと弾んだ声を上げるものだから。ベルタはおろか彼(女)に強引に迫った若者たちも怪訝な顔付きになってしまう。

 尤もそんな奇行だけでは相手が引き下がらないところに、櫂の美貌の希少性があったとも言えるが。


「えっと……それはつまり俺達はお呼びでないって事?」


 言葉の端に苛立ちと実力行使の可能性を滲ませながらも、声色だけは穏やかなまま若者は櫂に問いかけた。言葉の意味は良く分からないが歓迎されていない事は分かる。だがそれで引き下がる事はないと態度で示した若者に櫂は——


「いいえ、折角声をかけてくれた事ですし、ご厚意に甘えさせてもらいましょう。

 では宿。期待していますよ?」


 ナンパを断るどころか、敢えてその甘言に乗ると言い出したのである。

 尤もその時点で既に彼(女)の琥珀色の瞳は、若者達全てに伸びる金色の螺旋をしかと捉えていた。

 契約神能けいやくしんのう——幻惑の瞳によって惑わされた若者たちは、まさかの事態に驚いた後、しかし上手くいったとほくそ笑む。彼らが櫂やベルタに向ける視線は網にかかった魚に向けるそれと大差ない。


「か、櫂殿!? ほ、本気ですか~!?」


「ええ本気です。ちょうど今夜の宿も探さなければいけませんし、ここは古都に詳しい彼らに頼るとしましょう」


「は、はぁ……」


 愕然としたのはベルタだけではない。

 黙って成り行きを見守っていた他の客や店員も、ガールハントをしかけてきた性質の悪い若者を引き連れて店を出て行く美少女を、信じられないとばかりに目で追い始める。そして櫂たちが出ていった後に「あの子は何だ、ここがイカれてるのか?」と自分の頭を指さしたり、衛兵に連絡しなくて良いのかと騒ぎ始めた。


 そんな中――騒然となる店の奥で音もなく立ち上がった影は、誰に気付かれる事もなく店の入り口に向かい、櫂たちの後を追うように店を後にする。その風貌は頭と顔をすっぽりと覆うフードで隠されていたが、ドアに手をかけた瞬間、細いが節くれ立った腕に巻きつく金属製の蛇を覗かせていた。

 だが誰もその怪しげな人物の挙動を気に留めなかった。

 風に舞う葉の一枚一枚を、地面に落ちてぱしゃんと弾ける雨粒のひとつひとつを、ざわめく酒場で交わされる言葉の一言一句を気にする者が誰もいないように、その人物は無数の視界の中に身を置いても、その意識の隅を突いてするすると移動する。

 まるで——本物のであるかのように。



「いやぁこれは良い宿ですねぇ。ありがとう、助かりました」


「へへっ、だから言ったろ。


 ちなみに結論から言えば、櫂とベルタは何事もなく地元でも評判の良い宿に案内され、無事に今夜の宿を取る事ができた。

 如何にも素行が悪そうな若者たちは櫂とベルタを宿に案内すると、照れ臭そうに鼻を掻きながらその場を去っていた。後に残されたのはニコニコとご満悦な櫂と、何が起きたのか分からなくて呆然となるベルタだけであった。


「……あの~もしかしてこれも~櫂殿の目のおかげだったりします?」


「もちろんです。どう考えても彼らは良からぬ目的で近付いてきましたしね。穏便に済ませただけでも感謝してほしいものです」


 まさか自分達に言い寄ってきた若者たちが、本心から良い宿を紹介して見返りも求めずに去って行く筈もない。彼らは櫂によってガールハントを失敗させられただけでなく、櫂にとって都合の良い行動を行ってしまったのである。

 櫂の答えにベルタは納得したが、満足そうに去って行った若者たちの姿を思い出し、改めて櫂が行使する契約神能の恐ろしさを噛みしめた。

 彼らは恐らく自分が幻惑されて認知を操作されたという自覚も実感も持たないに違いない。と言う事は仮に櫂が誰かを騙していたとしても、騙された本人はそれを自分自身の意思だと疑わない、と言う事になる。


「……あの~櫂殿? 一つ宜しいですか~?」


「はい、何ですかベルタさん」


 ベルタに向けてにこやかに微笑む櫂。その愛くるしい仕草と見思わず見惚れてしまう美貌を前にすれば、人は彼女を疑ったり悪意の有無を探る事それ自体にやましさを覚えてしまう。

 彼(女)が他人を惑わすのは何も魔法じみた瞳の力だけではない。その全てが他者の認知を操作するように造られている——と考えてしまうのは、果たして単なる僻みで済む話なのだろうか。もしかしたら自分のこの疑念は、無意識が鳴らす警戒のサインではないだろうか?


「実はその~もしかして櫂殿であれば知っているかと思いまして~」


 口に出してから改めて冗長な前置きだなとベルタは思う。

 しかし賽は投げられてしまった。彼(女)を信じたい気持ち、恐れてしまう気持ち、何よりも頭の中に浮かんだ仮説を検証したいと言う気持ちは、自分ですら止められなかった。


「“人繰形ひとくりがた“を~ご存知ですか~?」

 



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