第56話 旅の途中




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 エルナの献身により帝都を脱出した櫂は彼女との再会を信じながら、自らのルーツを探る為に西へと旅立つ――


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 銀鷲ぎんしゅう帝国には十を超える大街道と、そこから派生する無数の小街道が血管のように広い国土に張り巡らされている。

 その内の一つ、帝都イーグレと帝国中西部の古都ロンディアスを繋ぐ大街道は西ウィンザー街道と呼ばれていた。起伏の少ない草原を超え、幾つもの河川に沿って平地を進みながら、やがて三方を山に囲まれた古都へと至るその道を今、一台の馬車がゆっくりと進んでいる。

 それは駅馬車と呼ばれる大型の馬車であり、四頭の馬に引かれながら天井と後部には細々とした貨物を乗せ、屋根付きの車体には五人の乗客を乗せていた。


 その中に一人、黒い上着と同じ色のスカートをまとい、対照的に真っ白なシャツに赤いネクタイを結んだ少女の姿があった。輝く琥珀色の瞳、小さな桜色の唇、薔薇の蕾を思わせる瑞々しい頬――誰もが目を奪われる美貌に加え、何よりも人目を惹くのは長く伸ばしたすみれ色の髪である。

 銀鷲帝国において髪の色はその者の「血筋」を表す、極めて社会的なステータスのひとつだ。貴族や古くからの名家では鮮やかな金髪をした者が多く、帝室の血が混じるほどに髪は輝くような紅玉に近付いていく。

 また魔法や魔術の使い手、御柱みはしらの主の加護など神秘の力を行使する者達には生まれつき銀髪である者が少なくない。更にその銀髪が深い蒼玉に近付くほどその血筋は神秘を色濃く残すものとして尊ばれた。

 つまり櫂のような菫色の髪は帝国の権威と神秘、その両面において極めて格の高い血筋を宿す証と見なされる。

 向かいに座った高齢の老夫婦が櫂を見た瞬間に拝むように両手を合わせたのは、決して耄碌もうろくした所為せいではなかった。


(……それにしても、長閑のどかですねぇ)


 そんな周囲の視線など気にも留めず、櫂はゆっくりと流れ去っていく風景を車窓越しに眺めていた。

 思えばこんな風にのんびりとした移動に身を任せ、何に追われる事なく景色を楽しむ事ができたのは何時ぶりだろう。もしかしたら学生の時に卒業旅行に出かけて以来のご無沙汰かもしれない。

 そう考えると草原を駆ける風に舞う草花や、通り過ぎる馬車や徒歩の旅人たちの姿ですら、櫂には興味深いものに思えてしまう。

 しかし今の櫂は帝国への叛意を疑われて、帝都の守備隊に追われる身である。

 それがこうして天下の公道を堂々と、それも素顔を晒して移動しているのにはもちろん理由が存在する。

 駅馬車が三つめの宿場町に到着した際、町の入り口に立っていた二人の兵士が馬車の車内を改め始めた。彼らはつい先日、帝都から逃げ出した菫色の髪をしたについても聞き及んでおり、その眼はすぐに同じ色の髪を慣れない手つきで編み込んでいる櫂に注がれる。


「おい、まさか――」


 動揺する二人の兵士。しかしその時には既に櫂の契約神能けいやくしんのう『幻惑の瞳』は、彼ら二人から伸びる金色の螺旋をしかと捉えていた。


「――ああ、事だ」


 二人の兵士は顔を見合わせると互いに頷き合い、櫂が乗った駅馬車を「問題なし」として通行の許可を出す。

 櫂はそんな二人の兵士に向けて小さく手を振り、感謝と敬意を表した。

 二人の兵士は締まりのない顔で駅馬車を見送り、櫂はそうして無事に通過したのであった。


「……はてさて、今度は誰と誤認したのでしょうかね?」


 櫂はそう呟きながら、再び車窓の外へと視線を飛ばす。

 自分の琥珀色の瞳が強力な魅了の力を有している事は承知しているが、どうやらその力は対象の理性や思考を麻痺させて言いなりにしてしまう――と言った先入観イメージとは異なるものだと櫂は気付き始めていた。

 最初の検問では帝都守備隊の兵士が櫂を「背恰好が似ているだけの貴族のご令嬢」と見なし、取り調べを行うふりをして裏口から櫂を逃がしてくれた。彼はまだ若い二十代ほどの青年であった。

 二つ目の検問では如何にもベテランと言った風情の兵士が、鋭い目つきで櫂の容貌を一瞥した後、「そんな少女はここを通らなかった」とわざとらしく独り言を聞かせた後、通行証を確認する事もなく櫂を通過させた。

 彼は櫂の背中越しに「母さんを頼んだぞ」と声をかると、何事もなかったかのようにその場を後にする。

 これらの経験から櫂は、自身の『幻惑の瞳』について一つの仮説を立てていた。


(これまでの経験から察するに――私の眼は対象の自由意思を奪って隷属させるのではなく、もの――と考えた方が良いのかもしれませんね。

 最初の兵士は恐らく私が誰かを知っていましたが、それをとしたら? 「貴族の令嬢」と言うのは後付けの理屈であって、その前に私を「捕縛してはいけないもの」と認知してしまったのではないでしょうか?

 逆にあの年配の兵士は、明らかに私を「娘」だとしていました。

 その違いを考慮すると、対象の認知をどのように操作するのかを決めるのは私ではなく、『見られた』対象自身が都合の良い後付けを施すのでしょう。

 ――なるほど『幻惑』とはよく言ったものです)


 つい先ほど自分を見逃した二人の兵士がどのような幻に惑わされたのかを知る由はないが、去り際の鼻の下を伸ばした表情から何となく推察できた。

 何はともあれ、追われる身でありながら顔を隠す必要もなく堂々と旅を続けていられるのはひとえに、自分に授けられた『幻惑の瞳』のおかげであろう。

 何者かは知らないが自分にこの力を授けてくれた存在に感謝しつつ、櫂は再び馬車の揺れに身を任せながら異世界の風景を車窓越しに眺めていた。

 するとその宿場町を出る直前、駅と呼ばれる中継点で櫂を除いた乗客は全て降車してしまい、代わりに一人の若い女性が馬車に乗り込んで来た。


(…………あれ? どこかでお会いしませんでしたか?)


 背丈は自分と大差ないように見える事から、女性と言うより少女と称したほうがしっくり来るかもしれない。

 体のラインが出ない貫頭衣をまとい、猫背気味の体を座席に下ろしたその少女は、この世界では珍しい大きな眼鏡をかけていた。髪は明るいだいだい色で肩のあたりから左右それぞれ三つ編みにして垂らしている。その姿に櫂は見覚えがあった。

 すると相手も眼鏡ごしに櫂の顔をじっと見つめて――


 「「あーーーーーーっ!」」


 と二人同時に驚きの声を発した。


「か、カイ様! いやカイ殿ですか~~~~~~?」


「はい、内匠櫂です。そういう貴女は確か腐女……いやベルタさんでしたね!」


 櫂が名前よりも先に趣味嗜好を思い出したのは、帝国魔導院の魔導師ベルタⅦ世である。数ヶ月前に赤狼せきろう公国の公都にて出会った彼女もまた、櫂の事を覚えてくれていたようだ。


「まさかまさか~ですよ~。こんなところでカイ殿と出会うとは~予想外すぎて逆に落ち着いてきました~」


 間延びした独特な口調と低めの声色に、櫂の記憶はベルタ本人に間違いないと太鼓判を押す。


「それは私も同じです。ベルタさんは確か……魔導院とやらの仕事ですか?」


「はい、そうです~……と言っても出張ではなくて、私用も兼ねた里帰りとでも言いますか~何しろ私、錬金術師なので」


 ベルタはそう説明すると口元に締まりのない笑みを浮かべる。

 愛敬はあっても櫂のような華を欠いているのは、目の下にできた隈や化粧っ気のない荒れた肌と無関係ではないだろう。

 しかし櫂にとってベルタのそんなだらしなさは、逆に好感を覚えるものであった。


「それよりもカイ殿、見たところあの護衛の子もいませんし、ま、まさかお一人でいらっしゃるのですか~?」


 その見た目と交友関係から、ベルタは櫂を風変りだがやんごとなき身分の人間だと考えており、その言葉には何も含むところはない。

 しかしエルナを半ば見捨てる形で逐電ちくでんした櫂にとって、ベルタの一言は一瞬だけ言葉を詰まらせるほどには耳に痛い指摘であった。


「……ええ、まぁ見ての通りです。どうして知りたいのであればお話ししますが?」


「はっ⁉ いえいえ結構です~こ、こうしてまたお会いできて何よりですから~」


 ベルタは櫂の口調から自分の失言に気付き、慌ててその場を取り繕う。決して上手くはなかったが、その不器用な気配りに櫂は安堵を覚えた。


「ありがとうございますベルタさん。ですが聞いてください。私とエルナは――」


 ベルタの人となりを知った事で櫂は彼女を信頼し、今までの経緯を包み隠さず打ち明けた。

 帝都での穏やかな暮らし、思わぬ知人との再会、屋敷に押しかけて来た帝都守備隊の兵士たち、そしてエルナが対峙した別の“人狼”についても。


「そんな事があったのですか……帝国魔導院は国政とは距離を置いていますし、カイ殿が何故連行されそうになったのかは皆目見当がつきません~。

 ううっ、同志のお役に立てず申し訳ないです~」


「いえ、こうして話を聞いてくださるだけで助かりますよ。

 私も理由は分かりませんが、帝国が同盟や北方と事を構えようとしている状況ですから、ミカゲさんと行動を共にしていた私に何かしらの嫌疑がかけられても不思議ではありません。或いは――」


 櫂はベルタから目を逸らし、一瞬だけ見えてしまった金色の螺旋の事を頭から振り払う。


「『第七の勇者』であるらしい私の力を利用しようと考えた者がいるのかもしれません。どちらにしろ御免被りたいですが」


「……なるほど~確かにカイ殿の“超能スキル”やその眼は、魔法に匹敵する奇跡とも言えます~。ただ、それなら魔導院にも何かしらの働きかけがある筈です~。我々もそう言う協定を結んでいますし~」


 ベルタは櫂の憶測に頷きながらも、超常の力が目当てではないかと言う疑念には異を唱えた。

 彼女が言うには戦争を見越して超常の力を欲するならば、得体の知れない『勇者』よりも魔導院が保管する様々な神秘の力や遺物、或いは魔術のエキスパートである魔導師達の協力を仰ぐのが先だろうと。

 しかしベルタはそんな要請や働きかけは届いていないと首を横に振る。魔導院を設立した家の現当主であり、(こう見えて)帝国でも五本の指に入る魔導師であるベルタの言葉には確かな説得力を有していた。


「では、やはり間諜とでも疑われたのでしょうか?」


「そうですね~消去法だとそうなりますが、でも同盟の人達と付き合いがある臣民なんて、帝都より東にはごまんと居ます。

 それを理由にしょっぴこうとしたと考えるには、少し不自然ですね~?」


「なるほど……いや、私があれこれ考えたところでらちがあきませんね。とりあえずは目の前の目標に集中するとしますか」


 ベルタに相談に乗ってもらった事で少しだけ肩の荷が下りたのか、櫂は気持ちを切り替えてこれからの事を考えることにした。


「ベルタさん、私はこれから帝国の西部、ランスカーク領を目指します。

 ここで再会したのも何かの縁ですし、一緒にいる間はベルタさんの知恵を拝借できませんか?」


 そう頼み込むと、ベルタは「え」と驚きの声を上げた。


「き、です~! 実は私も~ランスカークに向かうところなんです~。

だから私のほうこそ、カイ殿とご一緒できたらと言うか……」


「ええ、大歓迎です!」


 感激のあまり櫂は声をあげてベルタの手を取る。その可憐な貌に喜びの華を咲かせると、ベルタの顔にも朱が刺し込まれる。


「きょ、恐縮です~~~~! 私も道中一人は寂しいですし、カイ殿がご一緒ならば心強い限りです~」


「それは私も同じですよ。ただ……折角なのでお聞きしても良いですか? ベルタさんは何故ランスカーク領に用事があるのですか?」


 思わぬ同行者ができた事に安心したのか、櫂の旺盛な好奇心が鎌首をもたげ始めた。偶然にも目指す場所が同じだった理由を知りたいと櫂が訪ねると、ベルタもまた嬉しそうに答えた。


「それはですね~? ランスカークには私のご先祖様である‟御柱の遣い”第三十三柱――錬金術師ベルタ様が遺した工房が存りまして。私はそこに研究用の資料を取りに行くつもりなのです~」



 名前:ベルタ=Ⅶ(本名:ナナコ・シドウ)

 性別:女性

 年齢:15歳

 クラス:錬金術師

 属性:求道

 Strength (力): 8

 Agility (敏捷):6

 Vitality (体力): 12

 Intelligence (叡智):29

 Wisdom (賢さ): 29

 Charisma (魅力): 10

 Luck (運): 26

 保有技能:集積知/大いなる真理アルス・マグナ(-)/数秘術思考









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