第53話 別れはいつも突然に(後編)




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 欲望のままに(精神年齢的には)年下の少女との撮影に耽る櫂であったが、その終わりを告げたのは、突然屋敷に押しかけて来た何者かの存在であった。



「このような時間に申し訳ない、我々は帝都守備隊の者だ。少しお話を聞かせていただきたい」


 時刻は夜。櫂とエルナ・ヴォルフが居候する屋敷に押しかけたのは「帝都守備隊」を名乗る男達であった。

 帝都守備隊とはその名の通り、銀鷲ぎんしゅう帝国の帝都イーグレの防衛と治安維持を担う組織であり、そこに所属するのは都の治安を守る頼もしい番人としてだけでなく、罪を犯した臣民を容赦なく逮捕・連行する存在として、庶民や貴族の両方から畏怖される組織である。

 それでも相手が貴族の家に厄介になっている、それも年端の行かない少女だと知ってか口ぶりは慇懃いんぎんだが、一方で拒絶は決して認めないとする威圧感を誇示する事も忘れない。


「ええ、分かりました」


 言の葉には動揺を示しつつ、櫂はそっと手を伸ばして剣を抜き放とうするエルナを制止した。

 本音はともかく建前としては力づくで目的を果たそうとする意図はないようだと察し、だとすればこちらも穏便に応じた方が得策だと櫂は判断したのである。

 それでもエルナは何か言いたげに口を開きかけたが、その前に櫂は部屋の扉を開けてしまう。


「これはこれは、かたじけな――」


 櫂が部屋の扉を半分ほど開けると、そこに立っていたのは複数の屈強な男性――それも軽装だが鎧をまとい、腰には剣をいた兵士ばかりだ。

 櫂に呼びかけたのはその中でも隊長らしき風格を備えた兵士であったが、彼の貼り付けたようなわざとらしい笑みは、櫂の姿を目撃した途端にして吹き消えてしまう。


「何かご用ですか?」


 櫂としては充分に非難を含ませた声で応じたつもりだったが、この時の彼(女)には大きな誤算が二つあった。

 一つは彼(女)が肉体的には12歳の少女だっただけに十分なドスを利かせる事が叶わず、本気で戸惑っているかのような心許ない声になってしまった事。

 そしてもう一つは、この世界の倫理観に於いては裸を見せるよりも恥ずかしい、大胆で過激な夜着ベビードールを身に着けたままであった事だ。


「――あ、あああ、も、申し訳ない! ど、どうかお召し物を! 話はそれからで結構です!」


 慌てて首ごと視線を逸らす隊長らしき兵士、その後方では櫂の艶姿に顔を真っ赤にしながら唖然とする兵士たちが複数。

 それらを目撃した櫂は「あっ」と声を上げて、ようやく失態に気付いた。


「では、少しお待ちください」


 それでも慌てず騒がずに平静を装って扉を閉める櫂であったが、待ち受けていたのは「それ見た事か」と半目で抗議するエルナであった。


「……ごめんなさい、私がうっかりしていました」


 櫂にとってはせいぜい下着姿で来客を出迎えてしまった程度の失敗であったが、扉の外の兵士たちの動揺はその比ではなかった。

 隊長は貴族(だと思っている)の、それもうら若きご令嬢に恥をかかせてしまったと顔面蒼白になり、配下の兵士たちは高級娼婦もかくやというレベルの破廉恥な衣服をまとったあどけない美少女という、倒錯極まる光景が意識に焼き付いて離れなくなってしまい――


「お、おい今の見たか?」


「あ、あぁ…あれが昔話の天女とやらか? それともどこかの妓楼の舞姫ひめなのか?」


「ばか、あんな可愛い子が商売女なわけないだろ。帝都の劇団の新しい巫姫ひめ様に決まってらぁ」


「お、お前ら静かにしろ!」


 好き勝手に素性を探りあった挙句、隊長に叱咤される有様であった。

 一方その頃、手早く着替え始めた櫂とエルナであったが、二人が身に着けたのは撮影前に着ていた簡素な部屋着ではなかった。


「――どうするの、カイ?」


 黒いシャツとタイトな革製のズボンの上から、革製の簡易的な防具とホルダーを幾つも備えたベルトを巻きつけるエルナ。その腰には愛用の長剣を佩いていた。


「どうやら私を何処かに連行しようと言う腹積もりですかね。恐らくは何かしらの命令を受けたのでしょう。見たところそこまで悪い人達ではなさそうですし」


 一方、櫂は白いシャツに赤いネクタイの上から黒いスーツを羽織り、同じ色のミニスカートから伸びる脚には同じ色のタイツを穿いていた。

 二人ともに外出時の装いだが、エルナは更に革製の手袋をはめ、櫂はクローゼットの中から背負う形に改良した愛用の鞄を取り出す。


「こんな事もあろうかと前もって準備していましたが、まさかこんなに早く必要になるとは思いませんでしたね」


 今まで副業で貯めたお金や転生前の世界から持ち越してきた私物、そしてに欠かせない道具を詰め込んだ鞄を背負う櫂。

 このまま兵士たちに大人しく連行されるつもりは、さらさら無いようだった。


「さようならお爺さん、お婆さん、あと執事さんたち。今までの御恩はいずれ必ずお返し致します」


 簡単かつ一方的に礼を述べると、櫂とエルナは部屋の中でも一際大きな窓に近付き――


「逃げたぞーーーー!」


 屋敷の周囲を囲んだ部下の声を耳にすると同時に、隊長格の兵士は有無を言わさず部屋に押し入った。

 そこには脱ぎ捨てられた夜着と部屋着以外に、少女達の存在を証明するものは何も見当たらない。そして二人の行く先は、大きく開け放たれた窓が如実に物語っていた。


「追え! 決して逃がすな!」


 隊長が檄を飛ばすと、後ろに控えていた兵士たちは一斉に屋敷の外へと駆け出していく。

 後に残されたのは開け放たれた窓に向けて二人の無事を祈る老婦人と、妻の肩を抱きかかえながらこの事態を一刻も早く公女に伝えようと、執事に小声で命じる老貴族だけであった。



 それより少し前、櫂とエルナは窓を開け放つと同時に窓から勢いよく飛び降りていた。そこは屋敷の二階であったが、二人にとってはこの程度の高さなど躊躇ためらう理由にもならない。

 屋敷の周囲を囲んでいた兵士たちが二人が逃げ出した事に気付いて声を張り上げた時にはもう、二人は地面を蹴って解き放たれた矢の如く駆け出していた。

 兵士たちはたとえ相手が年端も行かぬ少女だろうと、窓から飛び降りて逃走を企てる可能性は十分に考えられるとして警戒していた。

 よって二人が飛び降りるのを確認すると共に、兵士たちは槍を構えて着地地点である中庭に殺到する。例え足を痛めることなく着地を果たしたとしても、そこから立ち上がって走り出すまでには取り囲んでしまえるだろうと踏んだうえで。


 しかし着地と同時に櫂はその身に宿した“超能スキル”で、エルナは鍛錬で得た超常的な身体能力をもってして瞬時に加速。

 二人は疾風の如くに四方から殺到する兵士たちの脇を一瞬にして通り抜け、難なく脱出を果たしてしまう。

 兵士たちがそれに気付いてきびすを返した頃にはもう、二人の姿は夜の闇に溶け込んでいた。


「――エルナ、このまま城壁を抜けて外に出ますよ!」


「うん」


 細い路地裏をましらの如くに、縦横無尽に駆け抜けていく二人の少女。

 大人一人が通るのがやっと言うほど狭い路地裏には、舗装されていない剥き出しの地面や、無造作に置かれた私物などにより足を取られてしまうのが常だが、櫂とエルナに限ってはその常識は通用しないようだ。

 彼女達が毎日のように大通りではなく好んで下町の入り組んだ路地を歩いていた理由はここにあった。即ち追っ手を撒いて速やかに帝都を脱出するための逃走経路。

 エルナが立案した経路を凄まじい勢いで駆け抜けていく櫂であったが、仮にこのまま無事に逃げおおせたとしても、その先の展望もこの夜と同じく闇に包まれてしまっていた。


「――嗚呼、できればもう一度男爵閣下の領地に戻りたかったのですが、これでは敵いそうにもありませんね」


 路地裏を駆け抜けながら、櫂は溜息をこぼす。

 この世界に転生した自身の失われた『過去』――それを知る手がかりを探そうと思い立った矢先、帝都の守備隊に追われる身となってしまった。

 何より帝都の治安維持を任されたかつての恩人であり、当てにしていたアルマン・ド・ランスカーク男爵が、居候先の屋敷に押し掛けてきた兵士たちと無関係だとは櫂にはとても思えない。

 彼の意図は不明だが、何かしらの理由で自分の身柄を拘束し連行しようと兵を動かしたと見るのが妥当だろう。

 ランスカーク男爵の誠実な人柄や自分に向けてくれた多大な温情を疑うつもりはないが、それ以前に彼は厳格で律儀な帝国臣民であり誇り高き貴族であることを櫂は良く知っている。

 加えて――男爵が実に抜け目のない策士でもある事も。


「はいはい、悪いけど逃げるのはここまでね」


 闇に包まれた路地の先、帝都イーグレの二重の城壁の内に設けられた複数の城門の一つ、それを目前にして立ちはばかる人影がひとつ。

 夜の闇に加えて街灯を背にしている事から余計にその顔は定かではないが、声色と影と一体化したシルエットからまだ若い男性だと分かる。


「――⁉」


 驚きに息を呑みながら、エルナは櫂の前に立つと音もなく長剣を抜き放った。

 しかし相手の男性は動揺ひとつ示さず、ゆっくりと歩を進めてくる。


「カイ、逃げて。今すぐ」


 「――エルナ? つまり強敵なのですか?」


 護衛としてどんな時も櫂の側から離れる事を良しとしないエルナが、自分だけに逃走を呼びかけた。

 その事実の重みを改めて思い知らせるかのように、立ち憚る男性が剣を抜く。

 エルナの長剣よりも細く、しかし磨き上げられた牙の如くに洗練された湾刀サーベル

 帯刀を許可された兵士や下級騎士にとっては憧れの的であり、それ自体が持ち主の身分と腕前を約束する湾刀を片手に構えた男性は、そのまま手を広げてエルナに話しかけてくる。


「お役目ご苦労だエルナ。ここからはが引き継がせてもらうよ」


 親しげな物言いとは裏腹に、彼はエルナが櫂を守るように間に立ち、剣を収めようとしない姿を目にしても、それを疑問にも感じないようだった。

「兄」だと謳いながらも己が家族を手にかける事をまるで躊躇わない、そんな冷酷さが櫂の肌を粟立たせる。


「――帝都保安局副局長兼特務衛士とくむえいし、シグトゥス・ヴォルフ。

 又の名を“二の人狼”、人狼にはそれぞれ数字が振られているけれど、一に近いほど強くなる」


 自分達の前に立ち憚る男の名と身分を、エルナはそう説明した。

 “人狼”とは名前通りの怪物の事ではなく、その名を冠した銀鷲帝国の治安維持組織――その構成員の通り名である。

 そしてエルナもまたその“人狼”の一人であった。


「ふむ、同僚でしたか。ちなみにエルナに振られた数字は?」


「……わたしは“五の人狼”。だから」


 エルナの手が突き放す様に強く櫂の胸を押す。ここから自分からすぐに離れるようにと。

 護衛対象に対しては如何なる時でも暴力と見なされる振る舞いを避けるようにと幼き“人狼”の、それは別れの挨拶だった。


「わたしは絶対に――に勝てない」




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