第52話 別れはいつも突然に(前編)




 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 身に覚えのない嫌疑をかけられ、かつての恩人が身柄の確保に動き出したとも知らず、当の本人はスケスケの夜着ベビードールを前にその顔を曇らせていた。



『五季の涼風が身に沁みる折、わたくしのカイ様におかれましては、ご壮健でいらっしゃいますか。寂しくなったらいつでもお姉ちゃんの(以下略)

 さて此度は我が国の職人が手がけた最高級の絹糸で仕上げた夜着を贈らせていただきます。

 もちろん代金は結構ですが、それではカイ様のわたくしへの溢れる恩情もといお気が済まないと思いますから、写し絵を何枚か撮影してついでに着心地も教えてくださるとわたくしは大層はかどるもとい職人も喜ぶことでしょう。

 ちなみに湖水のような青はカイ様に。そして淡雪のような白はエルナに良く似合うと思います。ええそれはもう絶対に』


 櫂が赤狼せきろう公国公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロートの直筆の手紙を読み上げると、同室していたエルナ・ヴォルフは「やだ」と即答する。

 護衛以外の物事にはそれが例え自分自身の損得に関わる事であっても関心の薄いエルナが、こうもはっきりと意思を示した事に櫂は驚かされた。

 つまりは櫂が手にした白い夜着が、それだけエルナにとっては問答無用に破廉恥な衣服だと言う事でもある。

 細い肩紐で支えられた三角形の胸当て、その中心には同じ色の小さなリボンが添えられている。胸下から左右に広がるスカート様の布は極めて薄く、部屋の灯りを透かして反対側の壁が見えてしまうほどだ。

 そのスカートの丈は太腿の中ほどまでしかない。縁にはレース地のフリルが施されており、それだけ見ればとても愛らしいが……問題はスカートに覆われていない中央部にある。簡単に言うとお腹も股間も丸出しのデザインなので、穿いている下着が正面からは丸見えになってしまうという塩梅だ。

 ちなみにこの夜着を贈りつけた公女殿下はその点もしっかり考慮しており、同じ布地で作られたやたらと小さいショーツも同梱されていた。


「うわぁ…これもう18禁ですね…」


 ほぼ下着同然な衣装の美少女キャラクターを愛でてきた櫂から見ても、マリアリガルが贈りつけた夜着は呆れるほどに大胆かつ煽情的な代物であった。

 しかしこれを自分だけではなく、渋い顔をしている黒髪の少女も纏うとなれば話は変わってくる。


「しかしエルナ、マリアは是非にと仰ってますよ。私の目から見ても良く似合うと思います」


「やだ」


「私も恥ずかしくて顔から火が出そうですし、これまでも撮影時に我に返って軽く死にたくもなる時もありましたが、赤信号二人で渡れば何とやらです」


「やだ。カイだけ着ればいい」


「マリアがエルナの分も贈ってきた、その意味は分かりますよね? ここでもしエルナが厚情に報いねば報酬もとい帝国と公国の関係にも影響を及ぼしかねませんよ?」


「知らない。やだ。恥ずかしい」


「恥ず……んふふふふ、エルナもやはり女の子なんですねぇ?

 これは私も俄然がぜんやる気が湧いて来ました。エルナが一緒に着替えてくれるまで諦めませんよ私は!」


 本気で恥じらうエルナを前に、櫂の中でむくむくと沸き上がる熱情。

 もしもこの時の櫂が転生前の32歳男性であれば、この場でエルナに切り捨てられても世間はそれを善しと判定を下すだろうが、今の櫂は誰もが認める12歳の美少女である。

 可愛い女の子に弱いのは何も男だけではない。その事実を櫂はミカゲ・アゲハとの馴れ初めを通じて実感していた。


「さぁさぁエルナ、一緒にパジャマパーティーと洒落込みましょう。うひひひひ」


 白い夜着を手にエルナにじりじりとにじり寄る櫂。その口元は三日月の如くに口角が引き上げられ、小悪魔そのものと言った笑みを称えている。

 相手が護衛対象であり、加えて任務に支障を来すとは見なされない行為だと分かっているだけに、エルナは己が意にそぐわない事態であっても剣を抜くことはもちろん、手を上げて物理的に制止する事もできなかった。何故なら彼女はそういう風に

 櫂はその事を何とはなしに気付いていたが、だからと言って強引に衣服を脱がせたりはしない。自称紳士なので。

 でも無理強いはする。してしまう。自称紳士なので。


「わ、分かった……カイも一緒になら……」


「本当ですか⁉ 本当ですね? そうと決まれば善は急げですねキャストオフ!」


 エルナの言質を取るや否や、櫂は部屋着である厚めの地味なワンピースを文字通り脱ぎ捨てて、青い夜着を身にまとう。デザインはエルナに押し付けた白いそれと同じだが、櫂の雪の様に白い肌に淡い水色が良く映えている。

 一目で高級品だと分かる光沢を放つ布地と手の込んだ細かな刺繍ししゅうとフリルは、女性として咲き始めたばかりの華奢な肢体を必要最低限にしか隠していなかった。小さなショーツから伸びる長い二本の脚や露わになった肩回りと鎖骨、魅惑的な起伏がほのかに影を落とす胸から下腹部のライン、年頃の乙女と世間が必死で隠そうとするものを曝け出しながらも、それを恥じない櫂の奔放さとの対比に思わずエルナは見惚れてしまう。


 「……ふふっ、後はなるべく鏡を見ないようにすれば完璧ですね。さて次はエルナの番ですよぉ~」


「…わ、分かったら、あっち向いてて」


 櫂はその言葉に従いエルナに背を向けて、更に手で顔全体を覆う。

 エルナを油断もとい安心させる為のパフォーマンスではあったが、実はそれだけではない。


(……ふむ、鞘ごと剣を外しましたね。だとすればあの全身に帯びた無数の短刀筒も全て外すのでしょうか? いや太腿とか二の腕に巻き付けたままというのもそれはそれで趣がありますが……)


 視覚を遮る事で研ぎ澄まされる聴覚を活用し、衣擦れの音を聞き取りながら想像の中で少女の艶姿あですがたを思い描くと言う変態的な趣向を楽しみつつ、櫂はその時を待ち焦がれていた。

 時間にして数分後、やっと着替え終えた事をエルナが告げると、櫂は弾かれるように振り向いた。


「おお、おお……」


 思わず櫂は感嘆の声を漏らし、うやうやしく合掌まで始める。

 エルナは櫂と違って所在無さげに立ち尽くしたまま、体の前で腕を重ね合わせ、女性として隠すべき箇所を二重に覆っていたが、その恥じらい具合もまた櫂にとっては何よりのご馳走であった。

 何より櫂の心を奪ったのは色の濃いエルナの素肌と、真っ白な夜着の対比コントラストである。

 櫂の夜着も同様の対比を意図した組み合わせであるが、財を凝らした調度品のように美に美を加算させていく櫂とは異なり、エルナの今の姿は普段は気付きにくい美しさや艶やかさが対比される事で浮かび上がってきている。要するにギャップ萌えとか言われる意表を突いた組み合わせの妙だ。


「うう……やだ……恥ずかしすぎる……」


 櫂の目の前でも平気で裸になれるエルナだが、例え布に覆われていても裸体を強調するような趣向の夜着ベビードールでは勝手も違うらしい。

 さらに目の前には大きな琥珀色の瞳をカッと見開いて、自分を隅から隅まで凝視する櫂がいる。これで恥ずかしがらない人間はまずいないだろう。


(さ、最高です……! 流石に剣を振るうだけあって細いのに筋肉の隆起がはっきり見て取れますね! 腹筋もバキバキ! つか背筋すごッ⁉

 しかしボディビルダーのような見せつけるための筋肉ではなく、引き絞ったアスリートのそれなのが更にポイント高いですよ!

 あと胸は大差ありませんが、腰回りとかお尻のあたりは私より発育良いのでは?)


 頭の中でエルナの肢体を実況解説しつつ、櫂は膝を落として周囲をぐるぐる巡ってはスマホ片手に撮影を繰り返す。

 依頼とは異なる櫂の趣味であったが、マリアリガルがそれを嫌がる筈もない。

 むしろ追加料金を払う可能性も考えられるほど、それらはフェティッシュな写し絵としてスマホに記録されていく。


「か、カイ、わたしばっか撮らないで」


 エルナは顔を真っ赤にしながら櫂に手を差し伸ばした。どうやら撮影役を変わってほしいからスマホを寄越せと言いたいらしい。


「ふふっ、構いませんよ。では私も撮ってもらいましょうか」


 普段なら撮影のたびに「私は何をしているのでしょうか…」と我に返って世の無常に浸る櫂であったが、この日この時だけは目の前にいる最高の被写体エルナを前にして色々振り切れてしまったのか、内股になって腰をくねらせたり、猫を模したポーズや指でハートを作ってウインクしたりと、この(心は)32歳男性ノリノリである。

 そうして撮影開始から既に一刻ほどが過ぎ去り、スマホに記録された写し絵は三桁に届くかと思われた時である。


「カイ」


 ベッドの上で二人身を寄せながら自撮りしていた(※ポーズは櫂が指定)時、エルナが突然櫂にスマホを押し付けたかと思うと、弾かれたようにベッドから降り立った。

 そして跳ねるような足取りで、一瞬にして部屋の窓と窓の間の僅かな隙間に身を寄せる。


「何かありましたか?」


 カイの問いかけにエルナは小さく頷く。何時しか彼女の手は鞘に収まった剣を握りしめており、それで櫂は何が起きたのかを察する事ができた。

 敵意を有した者達が接近してきた。

 エルナが身を隠すように壁に身を寄せた事から、屋敷の周囲も既に包囲されているのかもしれない。

 敵意の持ち主について櫂には生憎と心当たりがなかったが、それでもいくつか予測は立てられる。何故なら自分はこれまで国の垣根を越え、超常の力を駆使しながら同じ超常の者――「勇者」たちと渡り合ってきたのだ。

 その力や存在を疎ましく感じて排斥するか、或いは無理矢理にでも味方に引き込もうとする勢力が出てきても何も可笑しくはないだろう。


(何者かが押しかけて来たのですかね? 帝都のそれも貴族宅を複数で囲むからには相手は帝国側の人間と見るべきでしょうか。まぁ私も清廉潔白な身の上ではありませんし、何が来ても不思議ではありませんが)


 やがて部屋の外から老夫婦や使用人が戸惑う声や、複数の足音が無粋にも床を踏み鳴らす音が聞こえてくると櫂の疑念は確信へと変わる。

 それから部屋のドアが打ち鳴らされるまでに、大して時間は要さなかった。




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