第51話 スケスケじゃないですか



 内匠櫂たくみ かい。12歳。

 32歳の冴えないサラリーマンであった彼は、異世界に転生した際に何故か12歳の美少女に生まれ変わっていた。

 貴族院の本会議を明日に控えたその日、貴族たちの秘密裏の議会にて彼(女)は、かつての同僚に告発されてしまう――


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「――あの娘が連合の間者と仰る、その理由をお聞かせ願えますかな?」


 議場の片隅に置かれた座席から立ち上がると、アルマン・ド・ランスカーク男爵は開口一番に説明を求めた。

 後ろに撫でつけた髪やあごに生やした髭はすっかり白くなっているが、顔付きも体格も精悍せいかんそのもの。家名や血筋ではなく己が武を以て貴族社会でも一目置かれる壮年の言葉は、どこまでも穏やかで明朗だった。


 対して彼に言葉を投げかけたのは、白い衣装で首から下をすっぽり覆った桃色の髪の美少女。衣服を縁取る金の刺繍は彼女に品位と身分を与えてはいるが、巨大な銀鷲ぎんしゅう帝国のまつりごとを論じる場にはあまりにも不釣り合いに見える。

 彼女の名は斯波勝己しば かつみ

 異世界に転生して13歳の美少女に生まれ変わった、櫂の同僚であった。


「そうっスね、一月前の建国祭の折にセンパ…タクミ・カイが飛竜に乗った連合の代行者エージェントと共に居る姿を多くの人が目撃していると言うのは?」


 勝己のその一言に、議場に集まった貴族たちの間にはどよめきが起こる。

 タクミ・カイと言えばここ一、二ヶ月の間に帝国でも噂の的になった謎の美女であり、彼(女)の姿を一目見ようと建国祭の武闘大会には大勢の人達が押しかけたほどだ。この場に座する貴族たちの一部もその例外ではない。

 生憎と櫂が姿を披露した機会は少なかったが、大会の最後に起きた「第三の勇者」の襲撃の最中、飛竜を駆るミカゲ・アゲハと櫂の共闘を目撃した者は一人や二人ではなかったのである。


代行者エージェント――連合あちらでは眷獣司けんじゅうしでしたっけ? その一人が飛竜を乗りこなす少女である事は内務府でも確認済っス。まさか帝都守護職の男爵閣下がそれをご存知でないと?」


「ええ、存じております。確かにあの娘は連合の代行者エージェントと行動を共にしており、どうやら随分と仲も良いようですな」


 勝己の指摘に対し、男爵は投げかけられた疑惑を正面から受け止めてその通りだと認めてしまう。

 しかしそれは破れかぶれの開き直りなどではなかった。


「あの娘は代行者と共に殿下の前でも打ったようですが、しかし帝国に対する害意はないと私は公女殿下より直にお聞きしております」


 今この場に集う大貴族よりも遥かに位が高く、未来の皇太子妃としても知られた赤狼せきろう公国公女マリアリガル・フォン・ヴェルアロートの名を持ち出し、男爵は勝己の主張を真っ向から否定する。

 もちろん男爵は櫂が連合の間者などとは信じていないし、マリアリガル自身もそれを一笑に付す事だろう。何故なら櫂は連合どころか帝国にも所属意識を持っておらず、誰にも何も指図されるような生き方を決して選ばないと、二人は身をもって知っていたのだから。


「……確かに、闘技大会の主催は公女殿下でしたな」


「代行者と言えど、西の臣民で耳付き…いや連合の民と付き合いのある人間など珍しくもないな」


 男爵の弁明を受けて貴族たちは大いに戸惑い、何が真実なのかと囁き合う。

 勝己の告発を嘘とは思わないが、さりとて赤狼公国公女の名は貴族としては無視できない。根拠もなくその発言を否定するのは大公家や血縁的にも深い皇室そのものの権威を疑うにも等しい不敬であるのだから。

 意見は千々に乱れ、議場はやにわに騒がしくなる。しかし――


「なるほどなるほど確かにそれならボクの言い分は『弱い』っスね。

 でも……ボクだって当の本人から直接聞いたんスよ? タクミ・カイは連合の盟主に拝謁する栄誉をたまわった、とね」


 その一言は議場に一瞬のなぎをもたらす。そのくらい「信じがたい」内容であったからだ。

 ランスカーク男爵もその顔に驚きを表し、他の貴族たちは「まさか…」と絶句した挙句に今度は勝己の言い分自体を疑い始める。

 八萬まちまん諸国連合の盟主、神狐ラキニアトス・イヅナ。

 櫂が直接対峙した「第二の勇者」であるが、帝国貴族の大半は彼女の顔はおろか名前すら知らないのが現状である。ましてや帝国の貴族が一同に集うこの場においてすら、盟主に拝謁を許された者など一人しかいないのだから、疑われるのも当然の話であろう。


「貴女を疑うつもりはないですが、流石に信じ難い話ではありますな」


 ちなみに当の櫂自身は盟主ラキに拝謁はいえつ(と書いて「いびられた」と読む)した事をランスカーク男爵には話していなかった。仮に話していたとしても男爵は真っ先に冗談だと笑い飛ばしていただろう。

 だが――勝己の告発が真実であるとすれば、もはや赤狼公国公女の名も通用しなくなる。何故なら盟主に拝謁を許されるだけの人物が連合の上層部と無縁であるはずがない。連合が帝国に宣戦を布告した今、そのような人物を好きにさせておく事を良しとする者はこの場では皆無に等しいだろう。

 ちなみにその事を知っている人物は、この場ではただ一人しかいない。故にが口を噤んでしまえば櫂への疑惑は払拭不可能となる。


「でも男爵? は内務府の要請でタクミ・カイに接近し、彼女だけでなく複数の職員が盟主に拝謁した話を聞いたと証言している。従って疑う余地はない――って、じいちゃんも言ってるぜ?」


 そう口を挟んで来たのは、鮮やかな赤い髪と陽に焼けた肌が人目を惹く青年――帝国の大貴族・五公家の一人であるサイレン・ド・シャイハスティン公爵だった。

 彼は隣りに座る老齢の前当主の言葉を代弁し、勝己の正体やその告発には確たる証拠があるのだと補足した。

 しかしそれでも真に受けるものは少数に過ぎない。

 それだけ現実感の薄い話であるだけではなく、シャイハスティン家とその派閥が内務府と呼ばれる行政機関をほぼ牛耳り、帝国の諜報活動を一手に引き受けている事は、この場に集まった貴族たちには公然の秘密であったからだ。

 つまり彼らが証拠をでっち上げて冤罪を被せる可能性は、皇族でもない謎の女性が連合の盟主に拝謁を許された事より、他の貴族たちにはずっと現実味のある話だったのである。


「――ま、そう言う事っスね。もちろんボクの言葉を信じないのは自由だし、タクミ・カイの処遇は皆さんが決めるべきっスけど……とりあえず本人に話だけは聞いてみても良いんじゃないっスかぁ?」


 どこまでも軽薄で挑発的な言動であったが、勝己の言葉には何処からか賛同の拍手が鳴り、それを呼び水として多くの貴族たちが手を打って賛同を示した。

 勝己は「話を聞く」と表現したが文字通りの意味ではない。容疑をかけられた者を拘束して尋問する事も厭わないのだと、この場に集まる誰もが知っている。


「後日、内務府から正式に令状が届く筈さ。男爵、ここはお任せしても良いかい?」


「――は、お任せください」


 祖父ではなく自身の口から、櫂の逮捕を要請するシャイハスティン公爵。彼の国政における役職は内務府の長官でもあった。

 ランスカーク男爵は若き長官にうやうやしく頭を下げると、顔色一つ変えることなく議場を後にした。帝都守護職に任じられた彼にとって治安の維持は重要な使命であり、内務府が下す令状に従い容疑者を逮捕するのもその一環であったからだ。

 議場を出たランスカーク男爵は自分の従者と合流すると、直ちに命じた。


「すぐに兵を出せ。相手はカイとエルナだ。警邏けいら隊程度では返り討ちに合うのが関の山だ」


「はっ、ですが……」


 櫂を知る従者は彼(女)を逮捕せよとの命令に難色を示すが、男爵は「責務を果たせ」と一蹴した。


「陛下に命じられた御役目を果たす事こそ帝国貴族われらの責務である。要らぬ疑いをかけられては家名に泥を塗る事にもなろう――故に帝都保安局にも通達せよ、“人狼”を出すと」


 男爵が口にした“人狼”と言う名に従者は思わず背筋を震わせる。

 それは帝都の治安維持機関が所有する、最強にしての番犬の通り名であったのだから。


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 ランスカーク男爵が退席した後、五公家の一家であるエチゴエモン・フォン・ホムラ公爵は口をつぐみながら、議会の成り行きを見守っていた。

 彼が賛同を示した北征論――北からの侵攻者に優先的に対処すべしとの主張は退けられ、東征論――東の諸国連合との開戦に備える事を前提として議論が進んでいる。

 蚊帳の外に置かれてしまった丸顔のホムラ公爵の視線は、シャイハスティン公爵の隣に控える老いた大貴族の横顔に向けらていた。

 稀代の謀略家として国の内外を問わず恐れられた人間も、今では孫に通訳してもらわねば声を届ける事も敵わないほど衰えている。

 冷静に考えれば衰えているのは喉だけではないとすぐに分かりそうなものなのに、「妖怪」と称されたイメージが実像を見誤らせたのか。隣に座る青年がのか、本人ですら分からなくなっていたとしても不思議ではなかろう。


(――やってくれたな若造め。これで東征派は自分達に異を唱える者を国賊と見なして排すると公言したも同然よ。あの老いれを担ぎ出した真の目的は、この横暴の責を老い先短い先達に擦り付ける為か)


 一連の言動から老獪ろうかいな前当主の傀儡かいらいと思われていた若きシャイハスティン公爵。しかし裏社会の顔役でもあるホムラ公爵はそれ自体がカムフラージュである事を見抜いていた。

 年代の近いアマルダリア公爵の主張を後押しししたのも、貴族社会における世代対立という補助線を引けばその意図は明らかになる。


(あのの後継者と言うのも伊達ではなかったわけか。まったく……ワシも老いたものじゃな)


 陰謀と謀略を駆使して昇りつめた半生も誇りであると考えるホムラ公爵にとって、ここまで一方的にやり込められた事は屈辱に違いないが、その相手が自分の息子ほどの若者であると知り、憎しみよりも自分に対する落胆のほうが大きくなってしまう。


石頭ランバート坊ちゃんヴィフシュタインには悪いが、ワシはもう手を引かせてもらうとしよう。帝国はこれより諸国連合との全面戦争に踏み切る――その行方がどうあれ、ワシはワシの領地を死んでも守らねばならん)


 議会はつつがなく進行し、明日の貴族院の本会議で議決される筈の政策は、この秘密裏の議会で先んじて決定されていく。

 その様子を他人事のように見守りながら、ホムラ公爵はグラスに注がれた葡萄酒を飲み干した。

 その頃にはもう彼の意識の中からタクミ・カイの名はすっかり消え去っていた。


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 そして――同時刻。


「カイちゃん、ほら殿下からお届け物よ」


 老婦人から手渡された小包を手に、内匠櫂は屋敷の廊下を歩いていた。

 帝都イーグレの片隅に建つ二階建ての屋敷には、所有者である老夫婦と数名の使用人が暮らしている。櫂とエルナの二人は今、そこに居候しているのであった。

 自分達の部屋に戻ると櫂は早速小包を開けた。送り主は赤狼公国公女のマリアリガル。名前は明記されていないが、封蝋ふうろうを見ればそれが大公家からの届け物であると一目で分かる。


「どれどれ……『今度はこの衣装でを送ってほしい』ですか」


 櫂が添えられていた手紙を要約すると、部屋に控えていた黒髪の少女エルナ・ヴォルフは「えぇ…」と珍しく眉をひそめた。

 小包には手紙の他に、紙に包まれた衣服とスマートフォンが梱包されている。

 櫂にとっては見慣れた文明の機器であるスマートフォンだが、この世界に於いては限られた人間にしか限られた機能を使いこなせないと言う、極めて非実用的な代物である。


「自分で言うのも何ですが、あの公女様は本当に良い趣味をしていますねぇ……」


 今でこそ赤狼公国に戻っているマリアリガルだが、彼女は事ある毎に櫂に衣服とスマートフォンを送りつけては、その衣装に着替えた姿を撮影してほしいと「お願い」していた。もちろん櫂が断れないように謝礼付きで。

 写真が存在しないこの世界においてスマートフォンの撮影機能は正に一種の魔法であり、「写し絵」とも呼ばれている。

 櫂がかつて生きていた世界ではネットワークを通じて画像データを送信する事ができたが、電子データのネットワークが存在しないこの世界では、撮影した機器ごと物理的に運ぶしかなかった。だからこそ衣服と共にスマートフォンが送られてくるのである。


「マリアの趣味自体は理解できますが、自分が被写体になるのはその……何度やっても気乗りしませんねぇ」


 今でこそ万人が認める12歳の美少女でありながら、心は未だに32歳の独身男性である櫂にとって、フリフリの衣装を着て媚び媚びのポーズを撮影する度に、自分にとって大事なものが失われていくような気がしてならない。

 それでも自由にできるお金が欲しい櫂にとって、マリアリガルの「お願い」は決して無視できない稼ぎでもあった。

 しかし今回マリアリガルが送りつけた衣装を見た櫂は、思わず「げえっ」と品の無い声を漏らしてしまう。

 鮮やかな水色のそれは部屋の灯りを透かすほど薄く、その繊細なデザインと大胆な構成は夜着としての実用性に疑問符を付けずにはいられない。

 かつて生きていた世界では「ベビードール」と呼ばれた衣服を手に、櫂は叫ぶ。


「スケスケじゃないですか、やだーーーーーーーーー!!」






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